| 当時、癌の発生原因は不明であり、主たる説に「刺激説」「素因説」などが存在していた。 |
| 山極は煙突掃除夫に皮膚癌の罹患が多いことに着目して刺激説を採り、実験を開始する。 |
| その実験はひたすらウサギの耳にコールタールを塗擦(塗布ではない)し続けるという地道なもので、すでに多くの学者が失敗していたものであった。 |
| しかし、山極は、助手の市川厚一と共に、実に3年以上に渡って反復実験を行い、1915年にはついに人工癌の発生に成功する。 |
| その一方で山極による人工癌の発生に先駆けて、デンマークのヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功していた。 |
| 、1926年にはフィビゲルにノーベル生理学・医学賞が与えられた。 |
| しかし1952年アメリカのヒッチコックとベルは、フィビゲルの観察した病変はビタミンA欠乏症のラットに寄生虫が感染したさいにおこる変化であり、癌ではないことを証明した。 |
| フィビゲルの残した標本を再検討しても、癌とよべるものではなく、彼の診断基準自体に誤りがあったことが判明した。 |
| 現在、人工癌の発生、それによる癌の研究は山極の業績に拠るといえる。 |
| 山極は1925年、1926年、1928年と没後の1936年の4度、ノーベル生理学・医学賞にノミネートされているノーベル財団ウェブサイトの候補者リストによる |
| 1925年と1936年は日本人からの推薦のみであったが、1926年と1928年はいずれも海外からで、フィビゲルとの連名での推薦であった。 |
| この中で最も受賞の可能性が高かったのは、フィビゲルが受賞した1926年である。 |
| ノーベル財団所蔵の資料によると、同年の選考過程は以下のようなものであったCarl-Magnusstolt,GeorgeKlein,andAlfredT.R.Jansson,。 |
| ''AnanalysisofaWrongNobelPrize-JohannesFibiger,1926:AStudyintheNobelArchives''。 |
| "AdvancesInCancerResearch"vol.92(AcademicPress)2004 |
| ノーベル賞委員会は、フォルケ・ヘンシェン(FolkeHenschen、1881-1977)とヒルディング・バーグストランド(HildingBergstrand、1886-1967)の二人のスウェーデン人医学者に、フィビゲルと山極についての審査を依頼した。 |
| ヘンシェンは過去にフィビゲルを推薦したことがあり、当初作成した報告書ではフィビゲルと山極の両方に高い評価を与え、「人工癌はノーベル賞に値し、もし寄生虫による発見者であるフィビゲルと、タールによる発見者である山極の両名で賞を分けるとすればそれは当然である」と述べた。 |
| 一方、バーグストランドは人工癌の意義は認めたものの、すでに知られていた煙突清掃員や放射線科医の職業癌を例に出し、それらの事実を追認したに過ぎず、癌の起源に関しては少しも新たな事実に光を当てていないとした。 |
| 彼は新しい知識や手法の価値は、長期間にわたる臨床的な事実による知見でのみ実験的に確認されると考えていた。 |
| バーグストランドはオットー・ワールブルク(1931年受賞)による癌組織の嫌気性代謝に関する研究の方が将来の癌研究には重要であるという立場から、フィビゲルと山極の人工癌の研究はノーベル賞には値しないと結論づけた。 |
| 一方、バーグストランドはバクテリオファージ研究者のデレル(Félixd'Herelle)を強く推薦し、この点を巡ってもデレルの研究の独創性を疑問視するヘンシェンとの間で対立した。 |
| ノーベル賞委員会はデレルについて別の専門家に助言を依頼し、ヘンシェンの意見が認められた。 |
| しかし、バーグストランドが人工癌への授賞に反対していたため、ヘンシェンは「フィビゲルは山極が科学界に入ってくる以前に、発見の根拠となる素晴らしいアイディアを持っていた」として、共同受賞という当初の意見を変更し、フィビゲルについてのみ受賞に賛成する新たな報告書をノーベル賞委員会に提出した。 |
| これらを受けてノーベル賞委員会は受賞者を決定した。 |
| ヘンシェンは来日した際に「山極にノーベル賞を与えるべきだった」と当時の選考委員のミスを悔やんだという。 |
| また、選考委員会が開かれた際に「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という発言や、同様の議論が堂々と為されていたことも明かしている朝日新聞社編 『100人の20世紀(上)』 朝日文庫 p237-「山極勝三郎」。 |
| 「東洋人」を理由とする意見はほかにもある |
| ただし、この文章においてはこの内容の出典が明確に記されていない。 |
| が、科学ジャーナリストの馬場錬成はその著書『ノーベル賞の100年』(中公新書)の中で、3回にわたるノーベル財団への取材経験から、ノーベル賞選考における日本人差別は「100パーセントないだろう。 |
| 」と指摘している。 |
| 選考過程を検証した文書においても、人種的な差別については言及されていない。 |