118592
107353
1320321
%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D
%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D
%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D
%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D%20-%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D%E8%94%B5
%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BC%9D
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
呉昌征
プロ野球選手(外野手)。プロ入りからまでは本名の呉波(ごは)。その後日本に帰化し、石井昌征(いしいまさゆき)に改名。登録名は呉昌征とした。 |
|
|
福本豊
大阪府大阪市生野区出身の元プロ野球選手(外野手)。通算盗塁数の日本記録保持者(達成当時は世界記録)で、「世界の盗塁王」の異名を持つ。引退後はコーチ... |
|
|
上田藤夫
1930年代から1940年代までプレーしていたプロ野球選手、1950年代から1960年代まではプロ野球審判員をつとめた。 |
|
|
吉田義男
京都府京都市中京区出身の元プロ野球選手(内野手)。今牛若丸と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神の監督... |
|
|
田淵幸一
東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)、プロ野球指導者(監督、コーチ)、野球解説者、阪神タイガースOB会会長(第6代)。株式会社タブチエンタ... |
|
|
藤村富美男
広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・監督・解説者。日本プロ野球を代表する伝説の強打者であり、大阪タイガース(現:阪神タイガース)の黎明期を支え、戦... |
|
|
木塚忠助
佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。ポジションは遊撃手。右投右打。本名は同字で「ただすけ」。 |
|
|
若林忠志
アメリカ合衆国ハワイ州生まれのプロ野球選手(投手)・監督。ハワイ移民の日系2世。アメリカ名はタダシ・ヘンリー・ワカバヤシ(TadashiHenryWakabayashi)... |
|
|
西村正夫
香川県高松市出身のプロ野球選手・監督。ポジションは外野手。日本球界で初めて「バント名人」と呼ばれた選手である。 |
|
|
青田昇
兵庫県三木市出身のプロ野球選手・コーチ・監督、野球評論家・野球解説者。愛称は「じゃじゃ馬」。現役時代は巨人、阪急、洋松・大洋において豪快なバッティ... |
|
|
後藤次男
熊本県熊本市春日町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・プロ野球監督。愛称は「クマさん」。 |
|
|
川上哲治
熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。現役時代から“打撃の神様”と言われ、また監督としては読売ジャイアンツの黄... |
|
|
河野旭輝
和歌山県出身の元プロ野球選手・プロ野球指導者・プロ野球監督。 |
|
|
田宮謙次郎
プロ野球選手(外野手、投手)・監督・野球解説者・政治家。元下館市市議会議員。2002年野球殿堂入り。 |
|
|
飯田徳治
神奈川県横浜市出身のプロ野球選手・監督。 |
|
|
門田博光
山口県小野田市(現:山陽小野田市)生まれ、奈良県五條市育ちの元プロ野球選手(外野手)。現在は大阪ホークスドリーム監督。現役時代は南海・ダイエー、オ... |
|
|
藤田平
和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手・監督、野球解説者。阪神タイガースの生え抜き打者で名球会入りした唯一の選手。引退後は解説者を経て、シーズン途中... |
|
|
広瀬叔功
広島県佐伯郡大野町(現:廿日市市)出身の元プロ野球選手(外野手)・監督、野球解説者。愛称は「チョロ」。 |
|
|
河西俊雄
兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・スカウト。 |
|
|
プロフィール
- 山田伝とは
- 来歴・人物
- 年度別打撃成績
- タイトル
- 表彰
- 背番号
山田伝(やまだでん、1914年2月5日-1987年5月12日)は、昭和初期(1930年代-1940年代)のプロ野球選手(左投右打・外野手)。和歌山県日高郡切目川村生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント出身。
来歴・人物
| エリグローブ高卒業後、アメリカのノンプロ球団「スタクトン」を経て、セミプロ球団「アラメダ」に入団。 |
| 1937年に同球団の日本遠征で来日したところをスカウトされ、同年阪急に入団した。 |
| 戦争でも帰国しなかったことから、戦時中断を挟んで、1938年秋~1946年までほぼフル出場し、1番・中堅手として活躍。 |
| 1943年に記録した56盗塁は戦前のシーズン最多記録である(戦後、1948年に南海の河西俊雄が66盗塁で更新)。 |
| 非常に俊足の選手で、守備の際どんな打球でも体の中央のへその部分で捕球したところから、「ヘソ伝」として人気を博した。 |
| 左投げながら、二塁を通算6試合守っている(1939年3試合、1940年2試合、1942年1試合)1940年には投手として1勝を記録しているが、4月6日に挙げたその1勝は、対南海戦にて32-2で圧勝、現在も最多得点、最多得点差のプロ野球記録に残っている試合で完投勝利したものだった。 |
| 当時阪急にはハワイ出身の上田藤夫が在籍していたが、上田のハワイ式英語はアメリカ本土出身の山田には通じなかったと言われている。 |
| 引退後、阪神の通訳兼スコアラーとなり、1967年~1971年,1973年,1976年は守備走塁コーチも務めた。 |
背番号
| 11(1937年-1943年、1947年-1948年)。 |
| 22(1944年)。 |
| 2(1946年)。 |
| 54(1967年-1969年)。 |
| 63(1970年)。 |
| 79(1971年、1973年)。 |
| 71(1976年)。 |
|
1937年
|
同球団の日本遠征で来日したところをスカウト... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
山田伝さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|