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プロフィール
山田盛太郎(やまだもりたろう、1897年(明治30年)1月29日-1980年(昭和55年)12月27日)は、昭和期日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。東京帝国大学卒業。
人物
| 野呂栄太郎らと『日本資本主義発達史講座』(岩波書店)を編纂。 |
| 1934年の代表作『日本資本主義分析』で講座派の代表者と目されるようになり、櫛田民蔵、猪俣津南雄、向坂逸郎らの労農派と「日本資本主義論争」或いは「封建論争」を繰り広げた。 |
| 戦後、東大に教授として復帰。 |
| 経済学部長などを務め、定年退官後は、専修大学教授、龍谷大学教授を歴任。 |
評価
| 野呂栄太郎、平野義太郎と並びいわゆる講座派マルクス経済学の理論的主柱として活躍した。 |
| 特に戦前に著された『日本資本主義分析』が日本経済研究に与えた影響は甚大であり、大島雄一をして、「マルクスの資本一般=競争分析、レーニンの独占=帝国主義分析を超えて、一国資本主義分析の典型を提示し」と言わしめた(『山田盛太郎著作集第1巻』の月報より)。 |
| 『日本資本主義分析』において規定した日本資本主義の「軍事的半農奴制的性質」、山田独特の「範疇=型」の検出による分析に対しては、日本資本主義の特殊性を浮かび上がらせた積極面がある一方で、労農派マルクス経済学及び宇野経済学からは、「型」分析の硬直性が問題視された。 |
| 以上のように戦前から戦後にかけての日本経済研究に重要な論点を提示した。 |
| 論文を発表するごとに大きな反響が起きたが、批判者からの批判に対して山田が直接反批判をしたことはない。 |
| 二部門定置説を石井寛冶と提唱した。 |
| 彼の学問は、大塚久雄、内田義彦らの市民社会論に受け継がれることになる。 |
経歴
| 1897年 愛知県に生まれる。 |
| 1920年 東京帝国大学経済学部経済学科入学。 |
| 1923年 同卒業。 |
| 東京帝国大学経済学部副手。 |
| 1925年 東京帝国大学経済学部助教授。 |
| 1930年 共産党シンパ事件で東大を追われる。 |
| 1932年 『日本資本主義発達史講座』刊行(-1933年)。 |
| 1934年 『日本資本主義分析』発表。 |
| 1936年 コム・アカデミー事件で検挙。 |
| 1943年 東亜研究所第九調査委員会主査。 |
| 1945年 東京帝国大学経済学部教授に復職、法学部講師を兼務。 |
| 1946年 中央賃金委員会委員。 |
| 1947年 中央農地委員会委員。 |
| 1948年 土地制度史学会設立。 |
| 理事代表に就任(-1975年)。 |
| 1949年 「農地改革の歴史的意義―問題総括への一試論―」を発表。 |
| 1950年 東京大学経済学部長。 |
| 1957年 東京大学定年退官。 |
| 専修大学商経学部教授。 |
| 1963年 専修大学社会科学研究所 第3代所長(-1967年)。 |
| 1967年 叙勲二等授瑞宝章。 |
| 1968年 龍谷大学経営学部教授(-1977年)。 |
| 1980年 回盲部膿瘍にて死去(享年83)。 |
| 叙従三位、賜銀杯一組。 |
著作
| 『日本資本主義分析』(1934年、のち岩波文庫、1977年解説は山田の継承者である南克己)。 |
| 『山田盛太郎著作集』(全5巻、別巻、岩波書店)。 |
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