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つながりの強いひと
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山科言経
戦国から江戸時代初期の公卿。正二位、権中納言。父は山科言継、母は葉室頼継の女。『言経卿記』の著者。天文22年(1553年)従五位上・内蔵頭に任ぜられる。... |
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山科言綱
父
室町時代後期の公家。従二位、権大納言。父は山科言国、子に山科言継。正室は今川氏親の正室である寿桂尼の姉。 |
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今川義元
戦国時代の武将、駿河国の守護大名・戦国大名。足利氏の傍流吉良氏の分家に当たる今川氏の出身で、駿河今川家第9代当主。父は第7代当主・今川氏親、母は父の... |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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岩井三四二
日本の小説家。本名、川合淳二(かわいじゅんじ)。 |
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寿桂尼
戦国時代の女性。駿河国の戦国大名今川氏親の正室。藤原北家、勧修寺流の中御門家(公家)の出自で、父は権大納言中御門宣胤。兄に中御門宣秀、姉は山科言綱... |
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三条西実隆
室町時代の公家。内大臣三条西公保の次男。官位は正二位・内大臣。名はもと公世、公延。号は逍遙院。 |
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今川氏親
今川氏親(いまがわうじちか)は戦国時代の武将・守護大名・戦国大名である。足利氏の一門・吉良氏の庶流である駿河今川家7代当主。駿河守護。父は今川義忠。... |
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湯川敏治
湯川敏治 続群書類従完成会発行年月:2005年08月30日 予約締切日:2005年08月23日 ページ数:454, サイズ:単行本 ISBN:9784797107449 湯川敏治(ユカワト... |
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足利義昭
室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年)-天正16年(1588年))。父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義... |
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足利義輝
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年-1565年)。父は第12代将軍の足利義晴。なお、第10代将軍足利義稙の養子となった阿波公方... |
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上泉信綱
上州出身の戦国時代の兵法家。生年は推測、没年は天正10年(1582年)など諸説あり。 |
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狩野永徳
安土桃山時代の絵師。狩野派(室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった画派)の代表的な画人であり、日本美術史上もっとも著名な画人の1人である。現... |
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今谷明
日本の歴史学者。帝京大学文学部特任教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は日本中世史。京都市出身。官僚を経験した後に歴史学者に転じた、異色の... |
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山科教言
南北朝時代の公家。父は山科教行(山科教定の子・山科資行養子)。弟は山科教繁。子に山科教興・教冬・教藤がいる。1346年(貞和2年/正平元年)内蔵頭に任じ... |
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平手政秀
戦国時代の武将。織田信秀、信長の2代に仕える。尾張国春日井郡にあった志賀城の城主。 |
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中御門宣胤
室町時代中期から戦国時代にかけての公卿である。藤原北家勧修寺流中御門家当主。権大納言中御門明豊の子。官位は従一位・権大納言。出家後の法名は乗光。 |
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三好長慶
戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津守護代、相伴衆。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系・河内源氏の傍系・甲斐源氏・小笠原氏の庶流... |
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近衛前久
戦国時代・安土桃山時代の公家。近衞家当主であり、動乱期に関白左大臣・太政大臣を務めた。初名は晴嗣。 |
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松永久秀
戦国時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永弾正(まつながだんじょう)の別名でも知られている。出身地は山城国とも播磨国ともいわれる。父は不... |
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プロフィール
山科言継(やましなときつぐ、永正4年4月26日(1507年6月6日)-天正7年3月2日(1579年3月28日))は、戦国時代の公家。 山科言綱の子。内蔵頭から正二位・ 権大納言に昇った。現存する『歴名土代』の編纂者であり、多くの戦国大名との交友でも知られている。
経歴
| 山科家は藤原北家四条家の分家であり、羽林家の家格であったが戦国期には他の公家と同様不振の時代を迎えていた。 |
| 天文17年(1548年)には室町幕府によって代々の家領であった山科荘が事実上横領される(天文17年5月25日)という事態に遭遇している。 |
| そのような時代の中で言継は家業である有職故実や笙、製薬のみならず、和歌(三条西公条の門下)、蹴鞠から漢方医学や酒宴、双六などの多彩な才能の持ち主であった。 |
| だが、彼の持った最大の特技は「人脈作り」であった。 |
| 朝廷の財政の最高責任者である内蔵頭として、後奈良・正親町両天皇下で逼迫した財政の建て直しを図ることになる。 |
| 当時の朝廷財政の収入の中で最大のものは諸大名からの献金であった。 |
| 言継はその献金獲得のために各地を奔走することになった。 |
| 既に天文2年(1533年)に歌舞音曲を扱う楽奉行として、尾張国の織田信秀を訪問して、信秀や平手政秀以下の家臣団に和歌や蹴鞠の伝授を行って人脈を深め、後に天皇の即位式に対する信秀からの献金獲得の下均しを行った。 |
| 弘治2年(1556年)には義理の叔母にあたる寿桂尼・今川義元親子を訪ねて駿河国を訪問し、献金の確約を得た。 |
| 永禄9年(1566年)には結城氏重臣の水谷正村に働きかけて御料所回復に成功し、その謝礼に正村の従五位下・伊勢守への任官を推挙している。 |
| 言継の人脈作りの才能は決して上の方ばかりに向けられた訳ではなかった。 |
| 言継はその気さくな人柄で庶民とともに入浴する事もあり、また優れた医療知識をもって天皇や公家達のみならず、京の庶民に対しても治療を行って、しかも無理に治療費を取る事がなかったため、言継は庶民からも人気がある公家となった。 |
| 『言継卿記』にも多くの民間の人々が登場している。 |
| 天文17年(1548年)、室町幕府第13代将軍・足利義輝が言継の家領である山科郷を押領して御料所とする事件が発生し、言継は当時義輝の伯父として近江坂本にて後見にあたっていた前関白・近衛稙家に善処を求め、稙家の計らいで命令が取り消され、言継は坂本を訪れて稙家夫妻及び慶寿院(稙家妹・義輝生母)に薬を献上し、2年後には朝廷から幕府に対して山科家領の年貢納入の阻止を禁じる女房奉書が発給されている(『言継卿記』天文21年10月3日条)湯川敏治『戦国期公家社会と荘園経済』(続群書類従完成会、2005年)ISBN978-4-7971-0744-9P97・98。 |
| 永禄の変後には、室町幕府第14代将軍・足利義栄の将軍宣下の使者となるが、その当日に義栄の対抗馬である足利義昭からも正式な元服の実施と官位昇進要請の使者が来るという事件があったが、言継はこの事態に困惑しつつも臆せずこの要請を受ける返事をした後に仕度をして義栄のいる摂津国に向かっている(なお、昇進要請はその後却下され、元服の方も義昭が独自に行っている)。 |
| 後に義昭が織田信長に擁されて上洛した際に、義昭は前将軍義栄就任の責任者の処分を朝廷に要求した。 |
| 言継は使者を務めた自分がその一番の責任者に挙げられると考えて自宅に謹慎していたものの、義昭からは先の仲介を理由に不問とされ、代わりに将軍宣下の儀の手伝いを要請され、信長の家臣村井貞勝らに装束に関する指導を行っている。 |
| 晩年には山科家では初めて権大納言(1569年)に昇進し、織田信長との交渉役としても活躍した。 |
| 信長もこの年に二条城築城視察の帰りに山科邸を訪問している。 |
| 著書としては自撰歌集『言継卿集』(『拾翠愚草抄』(1527年-1541年)と『権大納言言継卿集』(1562年-1574年)から成り立つ)と日記『言継卿記』がある。 |
| 特に後者は大永7年(1527年)から天正4年(1576年)にかけての50年の長期にわたって記されており、当時の公家や戦国大名たちや上泉信綱などの動向が詳細に記されているだけでなく、彼自身が治療に携わった医療行為に関する詳細な記録も残されており、現存する日本で最古のまとまった診療録であるとも言われている。 |
| 死後300年以上経た大正4年(1915年)11月に、朝廷の財政と対外交渉にあたって朝廷の存続に尽くした功績をもって従一位という破格の贈位が行われた。 |
系譜
| 父:山科言綱。 |
| 母:女嬬(氏名不詳)。 |
| 妻:葉室頼継の娘。 |
| 男子:山科教明。 |
| 男子:山科言経(1543-1611)。 |
| 妻:女官(氏名不詳)。 |
| 女子:福禅庵尼。 |
| 男子:薄諸光(1547-1585)-薄以緒の養子。 |
参考文献
| 今谷明『戦国時代の貴族「言継卿記」が描く京都』(講談社学術文庫、2002年)ISBN4-06-159535-0。 |
| 橋本政宣『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)ISBN4-642-03378-5。 |
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1533年
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歌舞音曲を扱う楽奉行として、尾張国の織田信... |
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1548年
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室町幕府によって代々の家領であった山科荘が... |
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