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つながりの強いひと
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坂本堤
坂本堤(さかもとつつみ、1956年4月8日-1989年11月4日)は神奈川県横須賀市出身の弁護士、自由法曹団員。オウム真理教幹部等によって殺害(坂本堤弁護士一家... |
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麻原彰晃
日本の宗教家、宗教団体オウム真理教(現Aleph)の元代表、教祖であり、日本の国家転覆を企てたテロリストおよび、この一連の事件他による死刑囚。自称、日本... |
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端本悟
オウム真理教の元幹部。ホーリーネームはガフヴァ・ラティーリヤ。 |
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早川紀代秀
兵庫県出身の元オウム真理教幹部。ホーリーネームはティローパ。教団内でのステージは正悟師で、省庁制が採用された後は建設省大臣だった。麻原の信頼が厚く... |
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新実智光
新実智光(にいみともみつ、1964年3月9日-)は愛知県出身の元オウム真理教幹部。ホーリーネームはミラレパ。教団内でのステージは正大師で、教団が省庁制を採... |
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横山真人
オウム真理教元幹部。神奈川県出身。ホーリーネームはヴァジラ・ヴァッリィヤ。教団内でのステージは師長。教団が省庁制を採用した時は、科学技術省次官の一... |
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中川智正
元オウム真理教幹部。岡山県出身。ホーリーネームはヴァジラ・ティッサ。麻原彰晃の主治医。 |
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林泰男
元オウム真理教幹部。東京都出身。ホーリーネームはヴァジラチッタ・イシディンナ。教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正... |
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広瀬健一
オウム真理教元幹部。東京都出身。ホーリーネームはサンジャヤ。教団内でのステージは師長。教団が省庁制を採用した後は、科学技術省次官の一人となる。 |
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林郁夫
林郁夫(はやしいくお、1947年1月23日-)は元オウム真理教幹部。元医師。教団が省庁制を採用した後は治療省大臣だった。地下鉄サリン事件の実行犯。ホーリー... |
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井上嘉浩
元オウム真理教幹部。京都府京都市左京区出身。ホーリーネームはアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。 |
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豊田亨
オウム真理教元幹部。兵庫県明石市出身。ホーリーネームはヴァジラパーニ。教団内でのステージは師長。教団が省庁制を採用した後は科学技術省次官の一人となる。 |
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石井久子
元オウム真理教の幹部。ホーリーネームはマハー・ケイマ。 |
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大内利裕
オウム真理教の元幹部。福島県出身。ホーリーネームはプンナ・マンターニプッタ。1995年当時はオウム真理教モスクワ支部で活動していた。大内早苗は妹。 |
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遠藤誠一
遠藤誠一(えんどうせいいち、1960年6月5日-)は元オウム真理教幹部。北海道札幌市出身。ホーリーネームはジーヴァカ。教団内でのステージは正悟師で、1994年... |
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土谷正実
土谷正実(つちやまさみ、1965年1月6日-)は元オウム真理教幹部。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了。有機物理化学を専攻。ホーリーネームは... |
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高橋克也
オウム真理教の信徒。神奈川県横浜市出身。ホーリーネームはスマンガラ。 |
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平田信
オウム真理教の信徒。北海道札幌市出身。ホーリーネームはポーシャ。 |
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上祐史浩
宗教団体ひかりの輪代表。アーレフ(現Aleph・旧「オウム真理教」)元代表。オウム真理教信者としての名前(ホーリーネーム)は、マイトレーヤだった。教団内... |
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富永昌宏
富永昌宏(とみながまさひろ1969年2月25日-)は大阪府出身のオウム真理教元出家信者。医師。 |
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プロフィール
- 岡崎一明とは
- 経歴
- 解脱
- 起訴された事件
- 坂本堤弁護士一家殺害事件における役割
- 公判
- 死刑確定後
- 逸話
- 参考文献
岡崎一明(おかざきかずあき、1960年10月8日-)はオウム真理教元古参幹部である。ホーリーネームはマハー・ アングリマーラ。現在の姓は宮前。
経歴
| 産まれてすぐに養子に出される。 |
| 養子であるためにちやほやされ、近所の店でお菓子を盗み後で母親が支払うというようなことを繰り返していたが、叱られることもなく、小学校に入学後もほしいものは何でも手に入ると思っていた。 |
| オウム入信後、岡崎はこの当時のこうした行為を悪業ととらえ後にカルマとなって今生ですべて返ってきたと捉えた『マハーヤーナ・スートラ』麻原彰晃1988年2月25日オウム出版。 |
| 1979年(昭和54年)、山口県立小野田工業高等学校計測科卒業後、計測会社に就職。 |
| しかし、長続きせずに7年間いくつもの営業職を転々とする。 |
| 健康食品、学習教材などの販売であった。 |
| 人間の価値を数字で判断し決定してしまう会社と社会システムに嫌気がさすが、そのころ宗教(あるいは精神世界)こそが自己の能力を発揮できる場であると考え始めるようになる。 |
| そんな頃、1985年にオウム真理教の前身であるオウム神仙の会が主催した神奈川県でのセミナーに参加。 |
| このとき、麻原に面会した岡崎は「私は仕事で嘘をついてものを売ったことのある穢れた人間です」と悩みを打ち明けたところ、麻原が「そう思った時点からあなたの罪は消えている」と答えた。 |
| この言葉を聞いた岡崎は、大きな包容力と明るいソフトなイメージを麻原に感じびっくりする。 |
| 心底からやさしい、なんと明るい人なんだろうと感じ深く傾倒、1986年9月、出家を決意 |
| 当時、オウムは信者獲得拡大を目指しており、プロモーションビデオを制作したり街頭でのビラ配りを行っていた時期であった |
| 営業経験を買われた岡崎は、麻原から教団の本の販売を指示され、オウム出版の営業責任者としてオウム出版の発行する書籍を販売しながら修行を続け、1987年7月、石井久子についで信徒の中で二番目の解脱者とされて、教団幹部の地位に就いた。 |
| 犯行時の姓は養子先の佐伯であったが、教団を離れた後に、実家の岡崎姓を名乗る。 |
| その後、公判中に養子縁組をし、宮前に改姓した。 |
| 男性信者殺害事件、坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、それらで起訴されている。 |
| 1990年に麻原彰晃が真理党を結成して出馬しているときに、当時の妻(現在は離婚)とともに、教団の金を3億円持ち逃げしようとしたが、金は早川紀代秀らによって取り戻される。 |
| 同年、教団を脱会している。 |
| この後、坂本の息子の遺体を埋めた場所の地図を警察に匿名で送るなど、坂本事件の証拠をちらつかせながら麻原を脅し、1,000万(既に持ち逃げしていた170万円を含む)を得る。 |
| その後、郷里の山口県で学習塾を経営していたが、地図を警察に匿名で送った件について事情聴取を受け、そこで坂本一家を殺害したことを自首し、岡崎の示した場所から坂本の遺体が発見されたため、1995年9月6日に逮捕される。 |
解脱
| 麻原彰晃によって、1988年7月25日、ラージャ・ヨーガにて成就したと認められる。 |
| 5月28日から59日間にわたり、連日16時間~20時間の独房修行の結果である。 |
| この際、10日目ごろから急に眠れなくなり麻原に話したところ「それは佐伯、私に対する帰依がないからだ」といわれたことにショックを受ける。 |
| さらにその後、麻原から何でもよいから書いたものを提出するよういわれ悟った雰囲気の文章を提出する。 |
| 世話役のOはそれを見て感心したものの、麻原に電話口の向こうで「それはエゴだ」といわれ再びショックを受ける。 |
| また、この独房修行期間に営業の仕事の上で教団内で誤解を受けていると感じ、自分はオウムには必要のない存在ではないかと疑心暗鬼になり、修行を断念することまで考える。 |
| が、その苦しみの原因が自分の存在を教団内で認めてもらいたいというエゴイズムであると察し、修行を続ける。 |
| 解脱3日前にサットヴァとラジャスという2つのグナを見、翌朝には3グナを見たことで麻原に成就を認められる。 |
| 麻原は、岡崎の解脱を認めたものの、「グルに対する真がなくとも、意志が強ければ修行だけで成就することができる例だろう。 |
| 実は彼はグルに対する真がなかったのだ」とあくまで冷淡に述べている。 |
坂本堤弁護士一家殺害事件における役割
| 1989年11月3日の朝、麻原に命令されて他の5人の実行犯とともに坂本の住んでいた横浜市磯子区洋光台のアパートへ向かう。 |
| それぞれ役割分担をして出勤する坂本を待ち伏せていたが、オウムでの修行生活で当日が祝日であることを忘れており、坂本は家から出てこなかった。 |
| そこで、岡崎が麻原の命令もなくアパートの鍵を調べて、施錠されてなかったことを知る。 |
| 早川を通して麻原に知らせると、深夜に家族しかいなかったら家族ごと殺害しろと命令される。 |
| 岡崎がもう一度調べて施錠されていなかった事から、岡崎らは午前3時頃に坂本一家殺害を遂行。 |
| 岡崎は坂本を絞殺した。 |
| その後、一家の遺体をそれぞれ別の場所に遺棄した。 |
| このために弁護士の義父は、「岡崎がいたから事件が解決したのではなく、岡崎がいたから事件が起きた。 |
| 」と言っている。 |
公判
| 坂本堤弁護士一家殺害事件は岡崎の自首によりオウムの犯行だとわかったために自首は成立した。 |
| 裁判では公訴事実を争わず、自首による刑の軽減が認められるかが主な争点となった。 |
| 地下鉄サリン事件の実行犯だった林郁夫の公判では自首による刑の軽減が認められて無期懲役となったが、岡崎の公判では自首する機会があったにも関わらずなかなか自首しなかったこと、自首の動機が罪の意識からではなく、脱走した教団から自分の身を守るためであったこと、遺族が極刑を望んだことから自首による刑の軽減は適用されずに、死刑の判決が下った。 |
| その後、控訴審は棄却され、上告審も「法治国家の秩序を一顧だにしない反社会性の極めて高い犯行」という理由で棄却されたため、2005年4月7日に死刑が確定『死刑』34-35頁。 |
| オウム真理教事件において、一番初めに死刑が確定した人物である。 |
死刑確定後
| 『A』などアーレフに関するドキュメンタリー作品を発表してきたドキュメンタリー監督の森達也は、支援者を通じて岡崎に手紙を出した。 |
| 返事の中で岡崎は死刑にされることを肯定し、森との面会・文通が叶う日が来ることを信じていると述べている。 |
| 森は死刑廃止の立場から岡崎の死刑執行を阻止したい気持ちだと述べている『死刑』318-320頁。 |
| 2008年10月11日、「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が確定死刑囚105人を対象として行ったアンケートの結果を公表した。 |
| この中で岡崎は「日本人は死刑囚の実態を知らず、偏見を植え付けられている。 |
| 生まれた時は真っ白な人間で、環境によって死刑囚にも偉人にもなる」と記していた。 |
逸話
| ホーリーネーム授与時に、麻原から「お前のホーリーネームはダイバダッタかアングリマーラしかない。 |
| どちらにするか自分で決めろ」といわれたという大泉実成『麻原彰晃を信じる人びと』ISBN4-89691-202-0P181。 |
| 「ダイバダッタ」や「アングリマーラ」は、仏弟子ではあるが問題のある経歴の持ち主の名である。 |
| これが事実としたら、この時点で麻原は岡崎の人間性に疑念を抱いていたことになる。 |
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1960年
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岡崎 一明(おかざき かずあき)はオウム真理... |
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1985年
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オウム真理教の前身であるオウム神仙の会が主... |
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