65821
66219
842909
%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E9%9B%84
%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E9%9B%84
%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E9%9B%84
%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E9%9B%84
%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E9%9B%84
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 岡正雄の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
石田英一郎
日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 |
|
|
江上波夫
「日本における統一国家の出現と大和朝廷の創始が、東北アジアの夫余系騎馬民族の辰王朝によって、4世紀末ないし5世紀前半ごろに達成された」と推論している... |
|
|
岡茂雄
兄
日本の編集者、書店主。大正から昭和初頭の日本に於いて、民族・民俗学や考古学専門の書店「岡書院」、山岳書専門の「梓書房」を経営。学術史上の名著となる... |
|
|
大林太良
大林太良(おおばやしたりょう、1929年(昭和4年)5月10日-2001年(平成13年)4月12日)は日本の民族学者。東京大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。東京... |
|
|
井上幸治
埼玉県出身の歴史学者。専攻は西洋史(近代フランス史)で、フランス史書・哲学などの翻訳・監修も多い。旧制浦和高等学校の文科丙類(フランス語)での友人... |
|
|
折口信夫
日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃくちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。 |
|
|
古野清人
日本の宗教社会学者。福岡県生まれ。1926年、東京帝国大学文学部宗教学科卒業。民族研究所第三部(中部・西部アジア)・第五部部長(東南アジア・インド太平... |
|
|
柳田國男
柳田國男(やなぎたくにお、1875年(明治8年)7月31日-1962年(昭和37年)8月8日)は日本の民俗学者。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、晩年に名誉町民第1... |
|
|
伊藤正
伊藤正とは R25のキーワード:伊藤正 伊藤 正(いとう ただし、1940年6月2日 - )は日本のジャーナリスト。産経新聞中国総局長兼論説委員。中国報道で知られ... |
|
|
坪井洋文
坪井洋文 【つぼい-ひろふみ】 1件の用語解説(坪井洋文で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 坪井洋文 つぼい-ひろふみ... |
|
|
渋沢敬三
日本の財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣(幣原内閣)、旧子爵。祖父は渋沢栄一。 |
|
|
鳥居龍蔵
鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう、1870年5月4日(明治3年4月4日)-1953年(昭和28年)1月14日)は日本の考古学者、人類学者、民俗学者。 |
|
|
平野義太郎
日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。東京生まれ。東京開成中、第一高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部卒、同助手。後藤新平の義理... |
|
|
祖父江孝男
日本の文化人類学者、国立民族学博物館名誉教授。 |
|
|
中根千枝
中根千枝(なかねちえ、1926年11月30日-)は日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日... |
|
|
川田順造
日本の人類学者。専門は、文化人類学。東京外国語大学名誉教授。 |
|
|
綾部恒雄
日本の人類学者。文学博士。文化人類学、宗教人類学、東南アジア及び北アメリカ地域の研究者。 |
|
|
泉靖一
日本の文化人類学者、東京大学東洋文化研究所元教授。専門は文化人類学。正四位勲三等旭日中綬章。 |
|
|
プロフィール
- 岡正雄とは
- 経歴
- 未刊の大著『古日本の文化層』
- 評価
- 著作
- 翻訳
- 解説・評伝
岡正雄(おかまさお、1898年(明治31年)-1982年(昭和57年))は、日本の民族学者。戦中戦後を通じて日本の民族学・文化人類学を主導した。兄は民族学や考古学、山岳書の名著を多数出版した岡書院店主の 岡茂雄。
経歴
| 長野県松本市生まれ。 |
| 旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、1924年、東京帝国大学文学部社会学科を卒業。 |
| 卒論は「早期社会分化における呪的要素」。 |
| 東京女子歯科医学専門学校のドイツ語教師を経て、1925年(大正14年)から柳田國男とともに民族学雑誌『民族』を共同編集し、岡書院から刊行した(~1929年)。 |
| 1929年(昭和4年)、渋沢敬三の援助を得てオーストリアへ渡り、ウィーン大学のヴィルヘルム・シュミットのもとで民族学を学ぶ。 |
| 1933年(昭和8年)に同大学より博士号を授与される。 |
| 1935年(昭和10年)に帰国し、1937年(昭和12年)には日本民族学会が主催した千島樺太調査に随行。 |
| 1938年(昭和13年)、ウィーン大学が設立した日本学研究所の所長として招かれ、戦況の悪化する1940年(昭和15年)まで再びウィーンに滞在した。 |
| 帰国後は文部省直轄の民族研究所設立に奔走し、1943年(昭和18年)の同研究所発足時には総務部長として従事。 |
| 戦時下の国策機関であった民族研究所は敗戦とともに閉鎖され、岡もしばらくは郷里の松本で農業に従事していたが、その後、日本民族学協会理事長として学界に復帰し、1951年(昭和26年)の東京都立大学への赴任を皮切りに、明治大学教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長などを歴任し、多くの研究者を指導した。 |
未刊の大著『古日本の文化層』
| ウィーン大学へ提出した博士論文『古日本の文化層』は、当時のウィーン学派民族学の手法をベースに、先史・考古学、言語学、宗教学、形質人類学、神話学の手法を併せて日本の基層文化を論じた、5巻1452ページに及ぶ畢生の大著であり、寡作だった岡にとっては、まさに代表作と言える。 |
| しかし、現在に至るも邦訳は無く、未刊のままとなっている。 |
| ただし、戦後の1948年(昭和24)5月4日から6日にかけて、東京神田の喫茶店2階で行なわれた、民族学者の石田英一郎や考古学者の江上波夫及び八幡一郎らとの座談会の内容をまとめた『日本民族の起源』は、岡の論文の内容を基礎として展開されている。 |
| また、住谷一彦が、岡の論文の目次部分を邦訳して簡単な紹介を加えている住谷一彦「岡正雄「古日本の文化層」-或る素描-」『歴史民族学ノート』未來社、1983年、173~197頁。 |
評価
| 岡が留学した当時のウィーン大学民族学研究所には、ウィーン学派と呼ばれるシュミットやヴィルヘルム・コッパース、ハイネ・ゲルデルンなど文化史的民族学の黄金期を支えた研究者が結集しており、岡による学説紹介は、彼が用いる「エトノス」や「種族文化複合」などの概念とともに当時の日本の民族学に大きな理論的影響を与えた。 |
| また「座談の名手」と称されたほどに、教育者あるいは理論的指導者としての才を発揮した。 |
| 加えて民族学が未だ大学に基盤を持たなかった時代に、人類科学全般の研究会「APE会」や雑誌『民族』の編集作業を通し、学会組織化の土台となる人的ネットワークを作り、戦後の学制のもとでは東京都立大学大学院にいち早く社会人類学の専攻を設け、東京大学の石田英一郎とともに大学での文化人類学の研究・教育制度の構築に貢献するなど、民族学草創期のオーガナイザーとしても高く評価されている。 |
| 一方、戦前・戦時中、植民地における民族政策の要請から、民俗学は国策として重用されていた。 |
| 岡自身、文部省民族研究所の設立などを通じて、政府や軍部と民族学者との関係を取りまとめる立場にあったことから、学問と植民地主義の結びつきを検証する人類学史では批判的に描かれることも多い坂野徹『帝国日本と人類学者1884-1952年』勁草書房、2005年。 |
著作
| 異人その他日本民族=文化の源流と日本国家の形成言叢社1979。 |
| 『異人その他他十二篇 岡正雄論文集』岩波文庫、1994年。 |
| 『日本民族の起源』石田英一郎、江上波夫、八幡一郎との対談、平凡社、1958年。 |
翻訳
| シャーロット・ソフィア・バーン『民俗學概論英國民俗學協會公刊』、岡書院、1927年。 |
| オスワルド・メンギーン『石器時代の世界史』上巻、聖紀書房、1943年。 |
| 下巻目次の邦訳のみ上巻に所収。 |
解説・評伝
| 大林太良「解説」『異人その他他十二篇』岩波文庫、267~277頁。 |
| category:長野県出身の人物。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
岡正雄さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|