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つながりの強いひと
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向坂逸郎
福岡県大牟田市出身の日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 |
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太田薫
昭和期の労働運動家、元日本労働組合総評議会議長。元宇部窒素(現・宇部興産)企画課長。春闘方式を定着させた人物。 |
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中野洋
中野 洋 :著 発行: 笠間書院 この版元の本一覧 B5判 153ページ 定価:2,621円+税 総額を計算する ISBN 978-4-3-1 (4-3-7) C3081 品切・重版未定 へ復刊希... |
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高野実
日本の労働運動家。元日本労働組合総評議会(総評)事務局長。ジャーナリストの高野孟は長男、気功師の津村喬は二男。 |
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小田実
日本の作家・左翼運動家。九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 |
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金日成
朝鮮半島の抗日運動家・革命家で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。1948年から1972年までは同国の首相であり、1972年から1994年に死去する... |
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市川誠
氏名 市川 誠 (イチカワ マコト) ICHIKAWA Makoto 所属 文学部 教育学科 職名 准教授 ホームページ http://www.rikkyo.ne.jp/web/makorin/ncent.htm メール... |
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槙枝元文
日本の教育者、労働運動家。元日本教職員組合議長。元日本労働組合総評議会(総評)議長。ミスター日教組という異名を持つ。子息の槙枝一臣は弁護士。 |
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埴輪
日本の古墳時代に特有の素焼の焼き物。古墳上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。 |
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鎌倉孝夫
日本のマルクス経済学者。埼玉大学名誉教授、元東日本国際大学学長。 |
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宮本顕治
日本の政治家、文芸評論家。戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。... |
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富塚三夫
富塚三夫 - Wikipedia 富塚三夫 . 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 移動: 案内, 検索 . 富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 ... |
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田中角栄
日本の政治家。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 |
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浅沼稲次郎
東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身の日本の政治家。日本社会党書記長、委員長を歴任した。正しい姓名は淺沼稻次郎。巨体と大きな声で全国を精力的に遊... |
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磯崎叡
磯崎叡(いそざきさとし、1912年8月16日-1997年6月19日)は日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。 |
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宇都宮徳馬
日本の政治家、実業家。ミノファーゲン製薬創設者。正三位勲一等。参議院議員(2期)、衆議院議員(10期)、日中友好協会会長・名誉会長、日本北アフリカ協会... |
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江田三郎
日本の政治家。衆議院議員(5期)、参議院議員(2期)、社会市民連合代表(初代)、日本社会党委員長代行、書記長、副委員長を歴任した。長男は法務大臣・前... |
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鈴木茂三郎
日本の政治家、第2代日本社会党委員長。ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた。 |
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プロフィール
岩井章(いわいあきら、1922年4月25日-1997年2月18日)は、労働運動家、元日本労働組合総評議会(総評)事務局長。
経歴
| 長野県松本市出身。 |
| 1937年に日本国有鉄道(国鉄)に入り、機関士として勤務した。 |
| 1945年に日本が第二次世界大戦で敗北した後、国鉄内での労働運動高揚を受けて1946年に結成された国鉄労働組合(国労)へ加入、甲府支部青年部長を振り出しに内部で頭角を現した。 |
| 1950年には中央執行委員に就任した。 |
| 1955年、総評内の路線闘争で合化労連の太田薫と連携し、事務局長に就任した。 |
| 太田が同時に総評副議長となり、1958年に総評議長に就任すると、岩井は太田との連携で「太田-岩井ライン」を形成し、総評の実権を握った。 |
| 2人は総評が中心となって産業別に団結して経営側に大幅な賃上げなどの要求を求める「春闘方式」を定着させ、その成果によって労働界内部では岩井の権威が確立した。 |
| また、安保闘争、三井三池争議などを指導した。 |
| 政治面では岩井は日本社会党、特にその左派を支持し、社会主義協会の向坂逸郎などとの関係が深かった。 |
| 総評の方針として社会党支持を明確にし、「各組合の政党支持選択の自由」を掲げて影響力の拡大を狙う日本共産党系の活動は抑えたが、選挙や大衆活動での社共共闘には前向きだった。 |
| 一方、反共主義や労使協調を唱え、民主社会党(民社党)を支持する全日本労働総同盟(同盟)とは鋭く対決し、労働運動の主導権を守り続けた。 |
| また、岩井は世界労働組合連盟(世界労連、WFTU)との関係を重視し、東側陣営の社会主義国をはじめとした世界各国を訪問した。 |
| その中には中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)など日本との国交がない国もあり、民間レベルでの関係改善に貢献した。 |
| ただし、特に北朝鮮訪問と金日成体制称賛は同時期に発生していた日本人拉致事件に気付かずに行い、後世からの非難を浴びる事になった。 |
| 1969年レーニン平和賞受賞。 |
| 事務局長を退き、顧問になった後も、岩井は太田と共に総評での影響力を持っていた。 |
| しかし、1987年4月に国鉄が分割・民営化され、国労が組織分裂・大量脱退・JRグループへの不採用などで組合員を大きく減らすと、岩井の活動基盤は損なわれた。 |
| さらに同年、社会党右派影響力拡大と民社党との関係改善を背景に、総評が自らの民間組合と同盟などが合併する全日本民間労働組合協議会(全民労協)の結成を目指すと、「労働界の右翼再編」としてこれに反対する岩井は太田や市川誠元総評議長らと共に顧問から外された。 |
| この後、岩井は太田・市川と共に「労働研究センター」を設立した。 |
| 1989年、総評の解散と全民労協を母体にした日本労働組合総連合会(連合)が発足すると、同年12月9日には労働研究センターを改組して全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成した。 |
| これは連合や共産党系の全国労働組合総連合(全労連)に加盟しない組合のナショナルセンターとなったが、かつての総評と比較するとその規模ははるかに小さく、太田-岩井ラインの威光は過去のものになった。 |
| 岩井はその後も国労闘争などでの指導や支援を続けたが、社会党の凋落、全労協の縮小、連合主導下の春闘の不振、国労内部の意見対立などで大きな成果は得られず、病没した。 |
参考文献
| 『職場こそ戦場!! 反独占・平和の闘い』(「岩井章主要論文・講演集」編集委員会編、国際労働運動研究協会、1998年)。 |
| 『大失業時代の労働運動-労働組合の再生と復権』(岩井章・中野洋、社会批評社、1996年)。 |
| 『現代と労働運動』(全5巻)(向坂逸郎・岩井章、河出書房新社、1972-1973年)。 |
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1937年
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日本国有鉄道(国鉄)に入り、機関士として勤... |
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1955年
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総評内の路線闘争で合化労連の太田薫と連携し... |
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