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上杉禅秀
妻
室町時代前期の武将、守護大名。関東管領、上総・武蔵守護。禅秀は出家名。犬懸上杉家出身。上杉朝宗の子。妻は武田信春の娘。憲方、憲秋、憲春、持房、快尊... |
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上杉氏憲
親 妻
戦国時代から江戸時代の武将。深谷上杉家の一族で、後北条氏の家臣。上杉憲盛の子。母は太田全鑑の娘。長尾景仲の仍孫に当たる。正室は北条氏繁の娘(氏政の... |
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新田義宗
南北朝時代の武将。新田義貞の三男。生母は正室の小田真知(常陸国・小田城主で八田氏(下野国守護・宇都宮氏一門)の一族)の娘。生年は諸説がある。 |
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千葉兼胤
妻
室町時代前期の武将。千葉氏の第15代当主。第14代当主千葉満胤の子。官位は修理大夫。千葉介。弟に馬加康胤。妻は上杉氏憲(禅秀)の娘で岩松満純、那須資之... |
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那須資之
妻
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、那須氏3代当主。初代当主那須資隆の5男。福原資広・女子(那須頼資妻)の父。那須光資の祖父。初名は之隆。通称は五... |
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新田義貞
鎌倉時代末から南北朝時代にかけて活躍した御家人・武将。正式な名は源義貞(みなもとのよしさだ)。河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。父は新田朝氏、... |
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足利持氏
足利持氏(あしかがもちうじ)は室町時代の武将。第4代鎌倉公方(在位:1409年-1439年)。足利満兼の子。 |
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岩松持国
室町時代中期の岩松氏の当主。父は岩松満春。養父(伯父)に岩松満長。同時期に活動した従兄の岩松家純の系統・礼部家と区別して、持国の系統は官名から京兆... |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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足利満隆
足利満隆(あしかがみつたか)は室町時代の武将である。第2代鎌倉公方足利氏満の3男。 |
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新田義兼
鎌倉時代の武将。新田義重の次男。新田氏本宗家総領2代目。異母兄に山名義範(異説あり)、里見義俊。同母弟に世良田義季、異母弟に額戸経義、義佐ら。子は一... |
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岩松満国
南北朝時代から室町時代初期の岩松氏の当主。 |
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新田貞方
新田貞方(にったさだかた、正平10年(1355年?)-応永16年(1409年))は南北朝時代の武将。新田義貞の孫で、新田義宗の長子。兄弟に岩松満純(新田容辻王丸... |
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武田信満
室町時代前期の守護大名。甲斐国・安芸国守護。甲斐武田氏の第13代当主。第12代当主・武田信春の嫡男。息子に14代当主武田信重・武田信長(上総武田氏祖)、... |
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源頼朝
平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。平安時代末期に河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の... |
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新田政義
鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府御家人。新田義房の長男。新田氏当主。 |
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足利持仲
室町時代の武将。父は鎌倉公方足利満兼、叔父の足利満隆の養嗣子。幼名は乙若丸。満兼が身分が低い女性に産ませた子で当初は上野国で秘かに育てられていたが... |
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上杉憲基
室町時代中期の守護大名。関東管領、上野・伊豆守護。山内上杉家出身で上杉憲定の長男、佐竹義人の兄。養子(『寛政重修諸家譜』によると猶子)に憲春(犬懸... |
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武田信春
南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。甲斐武田氏第12代当主。信時流武田氏の子孫で武田信成の子。官位は陸奥守及び伊豆守。兄弟に基信、武春、布施満... |
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プロフィール
岩松満純(いわまつみつずみ)は、室町時代前期の武将。 上野新田荘の国人領主。父系は足利氏であるが、母系である新田氏の一門を自称する。妻は 上杉氏憲(禅秀)の娘で 那須資之、 千葉兼胤は相婿。子に家純。
生涯
| 岩松満国の子であるが、後に満純本人が自称したことと、後世に子孫が新田姓を称したため、新田義貞の子で正平23年/応安元年(1368年)に戦死した新田義宗の落胤といわれるが確証はない。 |
| 義宗と満国の妹との間に生まれたのが満純である(『系図纂要』)ともいわれる。 |
| 前半生ははっきりとはわかっていない。 |
| 兄に満氏がいたが、早くに亡くなったため、満純が岩松氏の後継となった。 |
| 後に犬懸上杉家出身で関東管領となる上杉禅秀の娘を娶る。 |
| 応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱では舅の上杉禅秀に味方し、鎌倉公方足利持氏追放に功績を挙げた。 |
| この際に義宗の落胤として新田姓を自称したという。 |
| しかし、持氏が室町幕府の援助を受けて反攻してくると、新田荘に敗走した。 |
| しかし隣の佐貫荘の国人領主舞木持広の追討を受け、武蔵入間川の戦いに敗れて捕縛され、応永24年(1417年)に鎌倉の竜の口で斬首された。 |
| この満純の動きに父の満国は同調せず静観し、満純の死後、孫の持国(満純の弟満春の子)に家督を譲り岩松家を継がせた。 |
| 廃嫡されたもう1人の孫の家純(満純の遺児)は出家した。 |
| 後に、家純は祖父の死後に6代将軍足利義教の後押しにより復権し勢力を持ち、岩松家は家純流(礼部家)と持国流(京兆家)に分裂した。 |
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1368年
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戦死した新田義宗の落胤といわれるが確証はない |
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1417年
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鎌倉の竜の口で斬首された |
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岩松満純さんについてのひとこと紹介
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