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つながりの強いひと
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安倍能成
日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣を歴任。貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員... |
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野間清治
講談社創業者であり、元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、昭和時代前期の出版界を牽引した。 |
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三木清
(西田左派を含めた上での)京都学派を代表する哲学者。兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)出身。弟に中国文学者の三木克己がいる。 |
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日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会... |
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佐藤義亮
新潮社の創立者。雑誌「新潮」を発行した。哲学館(現在の東洋大学)夜間部卒。 |
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小林秀雄
文芸評論家。 東京市神田区(東京都千代田 区)生まれ。東京都立日比谷高等学校 東京府立一中116名中75番で卒業、その後第一高等学校 (旧制) 一高を経て、東... |
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藤村操
藤村操(ふじむらみさお、1886年7月-1903年5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳の滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時... |
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昭和期の日本の古書肆、古書鑑定家である。長岡町神田(現新潟県長岡市)に生まれる。 |
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西田幾多郎(にしだきたろう、1870年6月17日(明治3年5月19日)-1945年(昭和20年)6月7日)は日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創... |
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明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。若き日の昭和天皇、秩父宮雍... |
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『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫理学と呼ばれる。日本的な思想と西... |
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日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 |
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下中弥三郎
平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。 |
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角川源義
角川源義(かどかわげんよし、大正6年(1917年)10月9日-昭和50年(1975年)10月27日)は日本の実業家。角川書店(現・角川グループホールディングス)の創立... |
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江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主(在任:嘉永4年(1851年)-安政5年(1858年))。島津氏の第28代当主である。 |
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神田一
テンテン テンテン 結成 2002年4月
神田 一 かんだ はじめ (左)
本名:神田 一(かんだ はじめ)
生年月日:1982年10月16日
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入門・... |
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寺田寅彦
戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身(出生地は東京市)。 |
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プロフィール
- 岩波茂雄とは
- 経歴
- 略歴
- 参考文献
- 作品
- 外部リンク
- 関連サイト
岩波茂雄(いわなみしげお、1881年8月27日-1946年4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。貴族院多額納税者議員。
経歴
| 長野県諏訪郡中洲村(諏訪市中洲)の農家に生まれる。 |
| 父義質は村の助役をしていたが、体が弱く茂雄が15歳のとき病死した。 |
| 尋常小学校、高等小学校をへて、1895年(明治28年)には諏訪実科中学校(現・諏訪清陵高)へ入学。 |
| 在学中には父が死去し、戸主となる。 |
| 母を助け農業をしていたが1899年に上京し、日本中学に入学。 |
| 母が学資を仕送りしてくれた。 |
| ある時母親が上京すると茂雄は東京見物をさせようと思うも母は用事が済むとさっさと帰郷してしまった。 |
| 息子を勉強させたいばかりに働いたのだという。 |
| 翌年には卒業し、1901年、杉浦重剛を慕い第一高等学校に入学する。 |
| 藤村操が自殺した際、彼の友人でもあった茂雄は哲学書等を携えて40日間山小屋に篭もり死に付いて真剣に考え、自身も死を選びつつあったが、母親の下山の訴えでとうとう下界へ戻る。 |
| けれど先の事件の影響を受け、落第した。 |
| この頃、煩悶から東京本郷で求道学舎を主宰していた真宗大谷派僧侶の近角常観のもとを訪れ、近角から著書『信仰の餘瀝』を渡される。 |
| 試験放棄のため除名中退処分となり、再起して1905年東京帝国大学哲学科選科に入学。 |
| この頃には内村鑑三の影響を受け、1906年には結婚。 |
| 神田高等女学校(現在の神田女学園)に奉職するも教師としての自信を喪失し退職。 |
| 1913年(大正2年)、神田区南神保町に古本業岩波書店を開く。 |
| 破格の正札販売を実施、古書店から出発し、夏目漱石の知遇を得て1914年には「こゝろ」を出版。 |
| これは自費出版であったが、岩波書店の処女出版と位置付けられる。 |
| 漱石没後は安倍能成らと「漱石全集」を刊行した。 |
| 『思想』(1921年)『科学』(1931年)『文化』(1934年)などの雑誌や、1927年(昭和2年)には「岩波文庫」を創刊。 |
| 日中戦争について「日本はしなくてもいい戦争をしている」と日本軍に対して批判的な立場から活動を展開していた。 |
| これによって軍部の圧力をかけられるようになる。 |
| 1940年には学徒及び篤学の学者、研究者を援助する目的で財団法人「風樹会」を設立。 |
| 同年、津田左右吉の著作『古事記及日本書紀の研究』他4点が発禁処分となった事件では発行元として、津田と共に出版法違反で起訴。 |
| 1942年に有罪判決、上告中の1944年免訴となる。 |
| また美濃部達吉の天皇機関説を支持する投稿を朝日新聞に行ったが、同紙が不掲載としたため、朝日は意気地なしだ、と批判した。 |
| 1945年3月に貴族院多額納税者議員に互選、任命されるが、同年9月には脳出血で倒れる。 |
| 翌年には雑誌『世界』が創刊され、文化勲章も受けるが、同年に64歳で死去。 |
| 戒名は文猷院剛堂宗茂居士。 |
| 墓所は鎌倉・東慶寺。 |
略歴
| 1913年8月5日:岩波書店創業。 |
| 1914年:夏目漱石の「こころ」を出版(岩波書店の処女出版)。 |
| 1921年:「思想」創刊。 |
| 1927年:岩波文庫創刊。 |
| 1933年:岩波全書創刊。 |
| 1938年:岩波新書創刊。 |
| 1945年:貴族院議員。 |
| 1946年2月:文化勲章を受章。 |
| 1946年4月:逝去。 |
参考文献
| 『岩波茂雄 茂雄遺文抄』<人間の記録>日本図書センター 1998年。 |
| 安倍能成 『岩波茂雄伝』 岩波書店 1957年、新版1978年。 |
| 小林勇 『惜櫟荘主人 一つの岩波茂雄伝』 同 1963年、講談社文芸文庫、1993年。 |
| 岩波書店編集部編 『岩波茂雄への手紙』 2003年。 |
| 岡茂雄 「岩波茂雄さんとの出会い」『本屋風情』平凡社、1974年、224~228頁。 |
| 中公文庫で再刊された。 |
| 司馬遼太郎 「哲学書肆」、「三人の茂雄」 『本所深川散歩.神田界隈』に所収。 |
| <街道をゆく36> 朝日新聞社、1992年、のち朝日文庫。 |
| 東京刑事地方裁判所編『津田左右吉岩波茂雄出版法違反予審終結決定書』1941年。 |
外部リンク
| category:日本の実業家。 |
| category:長野県出身の人物。 |
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1899年
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上京し、日本中学に入学 |
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1914年
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「こゝろ」を出版 |
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