| 出身地は越中国(現、富山県)と加賀国金沢(現、石川県金沢市)という二説があるが、近年は門人の白井華陽が記した『画乗要略』など諸書の記述から金沢説が取られる。 |
| また、岸家の家系図には寛延2年生まれとされているが、後年岸駒が加賀藩に呈出した書き立てには宝暦6年と記されており、こちらが正確だと考えられる。 |
| 岸駒は生前から年を偽っており、その理由は不明である。 |
| 母は越中国東岩瀬の高岡屋きよという。 |
| きよは宝暦6年、金沢の仕立屋豊右衛門と再婚し、岸駒もこの地で育つ。 |
| 生活は苦しかったらしく、11歳頃手習いのしようにも師につくことができず、店の暖簾や看板で字を覚えた。 |
| 12歳頃紺屋に丁稚奉公にあがる。 |
| 4歳の時オウムを写生したのが絵を描いた始まりされる。 |
| 金沢時代は矢田四如軒あるいは森蘭斎に絵を習ったと伝わるが確証はなく、系図では宝暦13年(1763年)頃、狩野花信と称し絵を描いたとされるが、当時岸駒は8歳で信憑性は薄い。 |
| 安永4年(1775年)の時、名を岸矩、号を蘭斎と改める。 |