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つながりの強いひと
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海老沢勝二
元日本放送協会(NHK)第17代会長、元横綱審議委員会委員長、元アジア太平洋放送連合(ABU)会長。茨城県潮来市出身で、潮来市名誉市民。 |
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川口幹夫
日本放送協会(NHK)の第16代会長。鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。 |
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池田芳蔵
日本の実業家。兵庫県出身。大英勲章KBE。三井物産の社長・会長、日本放送協会(NHK)の会長を歴任した。 |
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橋本元一
第18代日本放送協会(NHK)会長。NHK初の技術局出身の会長であった。 |
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小野吉郎
昭和期の逓信官僚。元郵政事務次官、日本放送協会(NHK)第11代会長。広島県広島市出身。 |
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前田義徳
放送経営者、ジャーナリスト。北海道旭川市出身。第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 |
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田中角栄
友達
日本の政治家。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 |
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福地茂雄
日本の会社経営者。アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた... |
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阿部眞之助
明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。東京日々新聞主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長。恐妻家としても... |
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野村秀雄
放送経営者、ジャーナリスト。第8代NHK会長、元朝日新聞社代表取締役、熊本日日新聞社社長。広島県双三郡原村(現・三次市十日市町)出身。 |
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永井多恵子
元日本放送協会(NHK)のアナウンサー・解説委員・副会長。 |
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今井義典
日本のジャーナリストである。NHK解説委員長、解説主幹(担当分野は国際問題・経済)、日本放送協会(NHK)副会長などを経て、ABUアジア太平洋放送連合会長。... |
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原正人
日本の映画プロデューサー。現在、映画制作配給会社のアスミック・エースエンタテインメント株式会社(ASMIKACEENTERTAINMENT,INC)特別顧問、ならびにHaraOf... |
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野川由美子
京都府京都市出身の女優。京都府立朱雀高等学校卒業。夫は演出家の逢坂勉(本名・山像信夫)。女優・声優の山像かおりは義理の娘にあたる。所属事務所は中田... |
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松本正之
第20代日本放送協会(NHK)会長。元東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長、副会長。 |
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原謙三
1976年に原謙三国際特許事務所として設立され、以来、世界各国での知的財産権の取得および権利の行使を代理し、知的財産権を保護するスペシャリスト集団とし... |
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永田清
大東文化大学経営学部企業システム学科教授。博士(工学、中央大学)、東京都出身。 |
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下村宏
明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家。玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力したことでも知られている。拓殖大学第6代... |
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プロフィール
- 島桂次とは
- 来歴・人物
- 逸話
- 著書
- 参考文献
- 関連サイト
島桂次(しまけいじ、1927年8月30日-1996年6月23日)は、第15代NHK会長、元NHK記者。栃木県出身。 シマゲジのニックネームでも知られた。
来歴・人物
| 1952年NHKに入局、初任地はNHK盛岡放送局。 |
| 社内で酔っ払って夜勤のアナウンサーを殴って気絶させてしまい、ニュースの時間を島自らが音楽をかけ続けてやり過ごしたという話が残っている。 |
| 政治部記者となり池田勇人、田中角栄を始めとする政治家と親交を深め自由民主党と強いパイプを築き、「自民党の代理店」と呼ばれた特に池田以来の「宏池会」との関係は強力だった。 |
| 同じく自民党有力者たちとのパイプで知られる読売新聞の渡辺恒雄は、宏池会だけは島の牙城で、うかつに手を出せなかったと語っている。 |
| 『渡邉恒雄回顧録』(御厨貴・伊藤隆編、中央公論新社、2000年)を参照。 |
| NHK元会長の海老沢勝二は政治記者時代の部下であり、海老沢の出世は島による引き立てが大きかったと言われる。 |
| 1981年2月4日、『ニュースセンター9時』で放送を予定していた特集「ロッキード事件五年-田中角栄の光と影」で政治関連部分の一部が突如業務命令で放送中止になるといういわゆる「ロッキード・三木発言カット事件」が起きた。 |
| 業務命令を発したのは当時報道局長だった島で、この事件を利用して自分に敵対的な人物に日本放送労働組合委員長だった上田哲の派閥というレッテルを貼ることで一掃したと言われている。 |
| この事件を機に島はNHKでの主導権を確立した。 |
| 強いリーダーシップを発揮し浅間山荘事件では長時間中断なしの放映を決断させたと言われる。 |
| 坂本、池田体制での実権は島が掌握していたといわれる。 |
| 1989年4月、NHK会長に就任。 |
| 任期中は衛星放送の本放送を開始したり、NHKエンタープライズなどの関連団体を活用した商業化路線を進めたりした。 |
| しかし、NHKの商業化路線は民放各社に強い警戒感を抱かせ、国際メディア・コーポレーション(MICO)の設立に民放各社が協力しなかったり、グローバルニュースネットワーク(GNN)構想が頓挫したりした。 |
| 島によるNHK商業化路線は、NHKに民間の手法を導入することによって番組の質を向上させ、受信料に頼らない経営で国際的なメディア戦争に生き残ろうとしたとの評価がある一方、金儲け第一主義で公共放送のあり方を歪め、2004年から相次いだ不祥事の元凶をつくったとする批判もある(その後を継いだ川口幹夫は島の路線を否定した)。 |
| 1991年4月、放送衛星の打ち上げ失敗の問題を巡って、国会の逓信委員会で滞在場所について虚偽の答弁をしたことが問題となり(愛人と同席していたという報道もあった)。 |
| 7月に会長職を引責辞任した。 |
| この問題を追及したのは当時逓信委員長だった野中広務であり、島の追い落としには海老沢と自民党経世会(竹下派)の動きがあったともされている。 |
| 会長辞任後はインターネットによる情報発信に関心を移し、島メディアネットワークを設立した。 |
| また、政治記者だった経験を生かして政治評論家としても活動していた。 |
| 1996年6月23日、急性呼吸不全のため68歳で死去。 |
逸話
| 1960年、島はアメリカのルーズベルト大統領の例にならって党首の演説会をテレビでやろうと発案、その企画実現に奔走した。 |
| 当時は立会い演説会が一般的であった。 |
| マスコミ嫌いで知られた池田勇人首相を懇意だった関係で「これからは政治家もマスコミに顔を出して、直接国民と話さなければ駄目ですよ」等と何とか説得。 |
| これにより民社党委員長・西尾末広、日本社会党委員長・浅沼稲次郎も出ざるを得なくなり、三党による党首立会演説会が実現した。 |
| これが同年10月12日、有名な浅沼稲次郎暗殺事件があった演説会である。 |
| 当日の島は官邸記者クラブの招待で川崎球場に日本シリーズを観戦していて事件をラジオで知り、慌てて首相官邸に着くと池田から「お前がよけいなことを企画するから、えらいことが起こったんだぞ」と怒鳴り散らされたという。 |
| NHKは浅沼刺殺の瞬間を直後のテレビニュースで放送した。 |
| これは一国の公党の党首が公衆の面前で暗殺され、その映像が全国に伝わるというテレビ報道にとってひとつのエポックとなった『シマゲジ風雲録―放送と権力・40年』145-147頁。 |
著書
| 『シマゲジ風雲録―放送と権力・40年』文藝春秋、1995年2月。 |
| 『電子の火 インターネットで世界はどう変わるか』明日香新社(出版社)、1995年8月。 |
参考文献
| 高橋健二『ハイビジョンNHKの陰謀―松下電器の思惑ソニーの打算』光文社、1992年。 |
| 松田博『NHK―問われる公共放送』岩波書店、2005年、104-112頁。 |
| 小野善邦『本気で巨大メディアを変えようとした男―異色NHK会長「シマゲジ」』現代書館、2009年。 |
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1960年
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島はアメリカのルーズベルト大統領の例になら... |
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1981年
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『ニュースセンター9時』で放送を予定してい... |
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