| しかし、メジャーではシーズン2ケタ本塁打を2度記録したが、フルシーズンレギュラーを取ったことはなかった。 |
| 2002年9月のロースター拡大に伴ってメジャーに昇格して初出場を果たす。 |
| 2003年シーズンはメジャーで開幕を迎え、出場機会も増えた。 |
| しかし、同年のインターリーグにおけるヤンキース戦でサード側に飛んだフライを追いすぎて投手のケリー・ウッドと交錯、後頭部を地面に打って脳震盪を起こし、球場内に救急車が入るほどの騒ぎとなってしまった(日本ではこのシーンがBSで放映された)。 |
| この怪我が原因で故障者リスト入りし、その後は出場機会が激減。 |
| 結局80試合出場に止まり、カブスはポストシーズン進出を果たしたがロースターからは漏れた。 |
| 2003年シーズンオフ、奇しくもデレク・リーとのトレードでフロリダ・マーリンズに移籍。 |
| 2004年シーズンは4月だけで9本のホームランを打つなど、ついに期待されていた大砲としての素質が開花したかのように見えた。 |
| しかし、5月以降は月2本のペースでしか打てなかった。 |
| それでも、2割7分台の打率の割には高い3割8分台の出塁率を評価されて、同年のトレード締め切りの直前にブラッド・ペニーと一緒にポール・ロデューカ、ギレルモ・モタとの交換トレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍した。 |
| ドジャースでは同じポジションに主砲のショーン・グリーンがいたため出場機会が減り、一塁の控え要員に回された。 |
| 同年のプレイオフではセントルイス・カージナルスとのディビジョン・シリーズの第1戦に代打として出場、凡打に終わった。 |
| ショーン・グリーンがダイヤモンドバックスに移籍した2005年シーズンの序盤は、オルメド・サインズとのツープラトンで相手先発が右投手の時のスタメン一塁手を務めていたが、終盤戦はジェイソン・フィリップスにポジションを奪われ、一塁の控え兼代打要員としてベンチを温める機会が多かった。 |
| 直球に滅法強い反面、変化球を苦手としていて、2005年6月のミネソタ・ツインズとの3連戦では3打席連続を含めて3試合で6本の本塁打を打って大砲の片鱗を見せたこともあるが、スイングスピードが遅く、持ち前のパワーを生かしきれていないと評されている。 |
| 2006年に行われたワールド・ベースボール・クラシックでは韓国代表のメンバーに選ばれ、4番を打った。 |
| なお、アメリカ戦では、ダン・ウィーラーからだめ押しのスリーラン本塁打を打ってチームの韓国代表の勝利および2次リーグ突破の立役者にもなった。 |
| この年の春期キャンプ中にウェーバーに掛けられ、ボストン・レッドソックスに移籍。 |
| しかし、キャンプ終了後にカットされてマイナー行きとなり、3Aのポータケット・レッドソックスでシーズンをはじめる。 |
| この年は故障続きでメジャーに一度も昇格することなく、シーズン途中でメジャーの40人ロースターから外された。 |
| シーズン後にはマイナー契約を交わしていたポータケット・レッドソックスからも解雇され、自由契約。 |
| 2007年の春季キャンプにはタンパベイ・デビルレイズとスプリット契約を交わして参加したが、40人ロースターに入ることなく解雇され、韓国に帰国することとなった。 |
| 2007年3月、KBO(韓国野球委員会)の海外進出選手特別ドラフトで、出身高校の所在地である光州広域市をフランチャイズ保護地域として持つ起亜タイガースが指名した。 |
| 5月に起亜への入団が正式決定し、契約金8億ウォン、年俸3億5000万ウォンと破格の待遇で迎えられた。 |
| 2006年末にはメジャーリーグ番組のレポーターをしていた日本人女性と婚約したが、2007年11月には婚約破棄が伝えられた。 |
| 起亜入団時には、本拠地光州だけでなく各地の球場が崔希涉見たさに満員となったが、調整不足と相手のマークが厳しかったこともありまったく打てず、脇腹痛もありすぐに2軍落ちした。 |
| だが7月に1軍復帰後本来の実力を見せ始め、韓国1年目の成績は52試合に出場、打率.337、67安打、7本塁打、46打点の好成績を残した。 |
| 2008年以降は起亜の主砲としての活躍が期待されたが、キャンプから原因のわからない頭痛を訴え、リタイアと復帰を繰り返し、トレーニング不足が心配された。 |
| その結果、2008年もトレーニング不足による故障と不振でシーズン途中1軍と2軍を行き来して、結局、背筋痛などで登録を抹消されたままシーズンを終了した。 |
| シーズンが終わって、前年より落ちた成績で、精神力の弱さも指摘された。 |
| また、メジャーリーグ出身選手の補強でシーズン直前の予想では優勝候補にまで挙がっていた所属チームの起亜タイガースは6位でシーズンを終え、彼の不振がその一因として挙げられた。 |
| この不振により、2009年の年俸は2億ウォンと、2008年より1億5000万ウォンも減額されてしまった。 |
| 韓国3年目となった2009年は、打率3割、30本塁打、100打点を超える好成績でようやっと本領を発揮し、チームの韓国シリーズ優勝に大きく貢献し、2010年シーズンの契約更改では、前年比倍増の年俸4億ウォンとなった。 |