| 同シーズンの全日本ジュニア選手権ではショートプログラムから精彩を欠き総合10位に留まった。 |
| 1998年の長野オリンピックに出場したエレーナ・ベレズナヤを見て「自分もエレーナのようになりたい」と思い、現コーチであるタマラ・モスクビナにすぐに手紙を送り、その後も何度もコーチをして欲しいと嘆願した。 |
| モスクビナは「ロシアに来るには難しいし、治安も悪い。 |
| 無理だ」と川口を諦めさせようとしたが、川口が諦めずに何度もお願いしてくるため「自分と一緒にトレーニングするのは、大変である」ことを判らせようと2つの難しいテストを行った。 |
| そのテストに川口は合格し、モスクビナの元でトレーニングすることを許可された。 |
| 1999-2000シーズンよりアレクサンドル・マルクンツォフとペアを組みペアスケーティングへ転向、1999年全日本ジュニア選手権では優勝を飾る。 |
| 翌2000-2001シーズン、ISUジュニアグランプリに参戦し、JGPメキシコ杯で優勝、JGPハルビンで3位となり初出場のJGPファイナルではペア日本代表選手として初表彰台となる3位。 |
| 2001年世界ジュニア選手権では、ペア日本代表選手として初の表彰台となる銀メダルを獲得した。 |
| 2001-2002シーズンからシニアクラスに完全転向し、ISUグランプリシリーズに出場。 |
| 第70回全日本選手権ならびに第71回全日本選手権で連覇を果たしたが、2003年5月、アレクサンドル・マルクンツォフとのペアを解消。 |
| 同年9月にロシアのサンクトペテルブルク大学に入学。 |
| 2004年夏、デヴィン・パトリックと新たにペアを結成し、2004-2005シーズンより競技会に復帰した。 |
| 第73回全日本選手権で優勝。 |
| 翌2005-2006シーズンからは所属をアメリカに移し、2006年全米選手権に出場するが15位に終わり、シーズン後にデヴィン・パトリックとのペアを解消した。 |
| 2006年4月アレクサンドル・スミルノフとペアを組み、2006-2007年シーズンよりロシア所属となる。 |
| 同シーズンのロシア杯で3位、2007年3月ロシア代表として2007年世界選手権に出場し、9位。 |
| ロシアが同国籍を持たない選手を代表に選出したのは初めてであった。 |
| 2007-2008シーズンはスケートカナダ、ロシア杯ともに3位となり、初のグランプリファイナル進出を決めた。 |
| グランプリファイナルではショートプログラムとフリースケーティングともに転倒があり5位に終わった。 |
| 2008年ロシア選手権で初優勝を飾り、2008年欧州選手権と2008年世界選手権のロシア代表に選出された。 |
| 2008年欧州選手権ではショートプログラムで4位スタートとなったものの、フリースケーティングで3位となり総合3位、初出場でメダルを獲得した。 |
| また昨年に続いて出場となった2008年世界選手権では大きくパーソナルベストを更新してメダルまであと一歩に迫る4位となった。 |
| 2009年1月、バンクーバーオリンピックにロシア代表として出場することを目指し、同国の国籍を取得した共同通信配信記事ほか、「フィギュア川口ロシア国籍取得 ペアで五輪メダル目標」として『朝日新聞』2009年1月18日付朝刊、第14版、第17面に掲載。 |
| 日本は二重国籍を認めないため「国籍が日本でなくなるということは重大な決断なので、そうするからには五輪でメダルを取りたい」と発言PressNetJapan。 |
| 2009年世界選手権ではショートプログラム2位、フリースケーティング3位となり総合3位となった。 |
| 2010年1月、2010年欧州選手権ではショートプログラム、フリースケーティング、総合得点の全てにおいてパーソナルベストを更新して初優勝。 |
| フリーではISU歴代最高得点も更新した。 |
| 2010年2月、バンクーバーオリンピックにロシア代表として初出場。 |
| SPでは3位の好発進だったが、フリーではミスが重なり惜しくも五輪メダルは逃したものの、総合で4位入賞を果たした。 |
| 続く2010年世界選手権では2年連続の総合3位となった。 |