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ルーキーの年から2軍で遊撃手のレギュラーに定着し、2000年ウェスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300を記録。
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2001年はウェスタン・リーグ2位の29盗塁を記録し、シーズン終盤の10月3日にプロ初出場。
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2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウェスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で1軍の二塁手として起用された。
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インターコンチネンタル杯日本代表に選出。
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2003年、鳥越裕介の故障により2番遊撃手で初の開幕スタメン出場。
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鳥越の復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手にまわり、1番村松有人・3番井口とともに盗塁を量産。
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足でダイハード打線に貢献した。
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初の規定打席到達で打率.294、2本塁打、51打点、30盗塁の好成績を残し、チームの日本一に貢献した。
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2004年、遊撃手のレギュラーに定着し、全試合出場と打率3割を記録。
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松中信彦と並び最多安打(174本)、盗塁王(42個)・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。
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2006年、WBC日本代表に選出され、遊撃手として優勝に貢献。
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決勝のキューバ戦では、1点差に迫られた9回表にイチローのライト前ヒットで二塁からホームへ生還。
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その際、捕手のブロックのわずかなすき間から右手をねじ込んで生還し「神の右手」として話題になったが、このプレーで右肘を負傷。
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シーズン復帰は4月中旬までずれ込んだ。
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レギュラーシーズンでは2年ぶりの打率3割を記録。
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2度目となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。
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2007年は2度の長期離脱があり、レギュラー定着後はじめて規定打席に到達しなかったが、打率.329を記録した。
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2008年、交流戦で全体のトップとなる37安打、チームトップの打率.366を記録。
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ソフトバンクの交流戦初優勝に貢献し、野手としては初の交流戦MVPに選出された。
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8月、北京オリンピック野球日本代表に選出されたが、シーズン中から痛めていた左足のケガを押して出場したため骨膜炎を発症。
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帰国後、左足第二中足骨の疲労骨折が判明。
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王貞治監督の最終試合となる楽天戦で復帰した。
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2009年、第2回ワールドベースボールクラシック日本代表に前回に続いて選出。
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遊撃手・三塁手として全試合に出場。
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準決勝のアメリカ戦では9番遊撃手で先発出場、4打数2安打1打点1盗塁により勝利に貢献した。