| 高校時代の1995年に樹立した10000mの32分48秒03は、2006年まで高校記録であった(2007年に世界陸上大阪大会代表となる絹川愛が市橋の記録を更新)。 |
| 1997年3月-19歳で初マラソン。 |
| 名古屋国際女子マラソンでは、レース終盤まで先頭集団に加わり、その後優勝したマディナ・ビクタギロワ(ロシア)や、世界陸上アテネ大会代表となる鈴木博美・飛瀬貴子らとの争いとなる。 |
| 市橋は40km過ぎで脱落となるが、2時間29分50秒で4位に入った。 |
| 1997年7月-札幌国際ハーフマラソンに出走、女子の部で初優勝。 |
| 翌1998年7月の同ハーフマラソンでも優勝、大会2連覇を達成する。 |
| 1997年11月-2度目のフルマラソンだった東京国際女子マラソンでは、34km過ぎまで先頭集団にいたが、優勝した伊藤真貴子らのペースにつけずに遅れ始め、2時間31分25秒で6位に終わる。 |
| 1998年11月-東京国際女子マラソンでは、レース最後の国立競技場へ入った後も浅利純子とデッドヒートを繰り広げていた。 |
| ゴール直前の残り80mで市橋が先に仕掛けてリードしたが、残り30mで浅利に抜かれて逆転され、2時間28分29秒で浅利と同タイムながら惜しくも2位だった。 |
| その後、世界陸上セビリア大会の代表に選ばれる。 |
| 1999年8月-セビリア世界陸上女子マラソンでは、優勝候補筆頭だった高橋尚子の欠場もあって、レース前半の先頭集団は異様なスローペースとなった。 |
| レース後半に入ると先頭集団はハイペースとなるが、市橋は必死に食らいつき、終盤の38km付近からは北朝鮮のチョン・ソンオクとの競り合いとなる。 |
| しかし競技場へ入る直前の41km手前でチョンにリードを奪われ、金メダル獲得のチョンとはわずか3秒差で敗れたものの、市橋のゴールタイムは2時間27分02秒で2位入賞を果たして銀メダルを獲得した。 |
| 1999年11月-セビリア世界陸上の日本女子最高位でメダル獲得の成績が評価されて、翌2000年のシドニーオリンピック女子マラソンの内定代表に選ばれる。 |
| その時の記者会見では「一番良い色のメダルを狙いたいと思います」と笑顔で語っていた。 |
| だが、その後の国内選考レース(東京・大阪・名古屋)では山口衛里、弘山晴美、高橋尚子の3人が2時間22分台の好記録をマーク。 |
| その内弘山が落選となった為、「何故4分以上もタイムが劣る市橋が内定されたのか」という疑問の声が殺到、市橋にとってはなんとも辛い五輪代表選出となってしまった。 |
| 2000年9月-シドニー五輪女子マラソン本番では、レース前半の集団はややスローなペースで、市橋もその集団の中にいた。 |
| その後、優勝して金メダルを獲得した高橋尚子の18km付近でのスパートに、銀メダル獲得のリディア・シモン(ルーマニア)と共に積極果敢についていった。 |
| しかし、25km過ぎのアンザックブリッジ付近で腹痛を起こして遅れ始め、その影響によりズルズル後退。 |
| その後は7位入賞の山口衛里を含めた十数人の選手に追い抜かれて、ゴールタイムは2時間30分34秒で15位に留まった。 |
| それでも、高橋最初のスパートであっというまに遠ざかる高橋を、市橋が飲みかけのボトルを投げ捨て一人追走し追いついてくる一部始終は正面のバイクカメラ位置からとらえられ、レース前の「どんなペースでもついていく。 |
| 」の公約通り無敵高橋に追いすがり独走を許さなかったこのシーンは、レースのハイライトの一つとして数えることができる。 |
| 彼女の不透明な選考があまり蒸し返される事がないのもこの追走があったからと解釈することができる。 |
| 15番目にようやく陸上競技場に帰ってきた市橋に、NHK実況解説の藤井康生も「しかし、彼女自身の見せ場はありました。 |
| 」と賛辞を送っている。 |
| シドニー五輪の翌年、練習の一環として出走した2001年12月のNAHAマラソンは、優勝した市川良子(市橋と同じテレビ朝日所属、アトランタ・シドニー五輪5000m代表)とは7秒差で2位(2時間35分59秒)でゴール。 |
| しかし、その後は度重なる故障等に悩まされ、2002年11月の東京国際女子マラソン(30km付近で途中棄権)への出場以降、大きな大会の出場へは遠ざかっていった。 |
| また、野口みずきや坂本直子といった若手が台頭する中、最大の目標としていたアテネオリンピック女子マラソンへの出場もかなわなかった。 |
| 2005年8月には、3年ぶりのフルマラソンとなる北海道マラソンに出場したが、優勝した千葉真子に大きく差をつけられ15位(2時間44分32秒)に終わった。 |
| 2006年、故障が回復しない事を理由に東京ランナーズ倶楽部を退部し、翌2007年には結婚。 |
| そして同年2月に開催された東京マラソン2007の完走(3時間02分48秒、20位)を最後に、第一線を退いた。 |
| なお現役引退後も、各地の市民マラソン大会(篠山ABCマラソン大会・とくしまマラソン等)でゲストランナーとしての出走や、マラソン関連のメディア出演等の活動を行っている。 |