| 「長州2世」と呼ばれ前田明らと前座で戦っていたが、1982年11月にメキシコ遠征に出発した後カナダのカルガリーに転戦し、「サニー・トゥー・リバース」というリング名で活躍した。 |
| その姿はモヒカン刈りで、海外で活躍する日本人レスラーを紹介する番組にて、マスクド・スーパースターに挑戦するタイトルマッチが取り上げられたことがある(ちなみにその時のレポーターは、引退したばかりだった女子プロレスラーのタランチュラ)。 |
| またこの当時、マサ斎藤や長州とAWA地区ミネアポリスで接触し、プロレス雑誌で維新軍入りと伝えられたが、帰国命令が出なかったため実現せずに終わる。 |
| ちなみにカルガリー時代にはザ・コブラ(ジョージ高野)を破り連邦ミッドヘビー級のタイトルを奪取している。 |
| 1984年8月に帰国すると、マネージャーの将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」の一員として若松に操られる機械という設定の覆面レスラー「ストロング・マシーン」にギミック変更した。 |
| 当時、記者がマシーンに話しかけると「ギギギ…ガガガ…」という機械音が聞こえた、という記事が新聞紙上を飾っている。 |
| 後年このことを記者がたずねると「屁でもした音だろ」と答えた。 |
| 9月7日、福岡スポーツセンターのメインでアントニオ猪木と一騎打ち。 |
| これがストロングマシーンでのデビュー戦となる。 |
| 1985年4月に「マシン軍団」と仲間割れ(藤波辰巳との決着戦をワカマツがパウダー攻撃でぶち壊したため)。 |
| 5月には藤波の試合後に乱入したワカマツを蹴散らして救出したが、藤波から「お前、平田だろ!?」とマイクパフォーマンスで公然の秘密を暴露され、マスクを脱いで立ち去った(この時タオルを頭から被ったままマスクを脱いだため、素顔を窺い知ることが出来なかった)。 |
| 一連の流れから正規軍入りするかと思われたが、「スーパー・ストロング・マシーン」に改名後も、正規軍とは距離を置いてファイトする。 |
| 藤波がヘビー級に転向してから体格的に使うことが出来なかったドラゴン・スープレックスを2度もしかけられている(そのうちの1度はワカマツのパウダー攻撃が災いしピンフォール負け)。 |
| その後、8月にヒロ斎藤・高野俊二と「カルガリーハリケーンズ」を結成して1986年に全日本プロレスに参戦した。 |
| この間阿修羅・原とアジアタッグ王座を獲得している。 |
| 全日時代では、先に新日から移籍した長州と抗争。 |
| 決着戦でも決着がつかず、エキサイトの余り自らマスクを脱ぎ、長州に叩きつける(ただしセコンドの高野俊二が、タオルで素早く頭を覆い素顔を隠した)。 |
| このころの長州はマシンに関するインタビューでは頻繁に「アイツはマスクを脱ぐべき」と言っていた(ちなみにその後WJプロレス興行内で長州とシングルで対決しピンフォール勝ちをおさめている)。 |
| 1986年6月12日には天龍源一郎のUNヘビー級王座に挑戦、奪取には失敗したものの全日時代の名勝負として語られている。 |
| 1987年、長州らと共に、新日本プロレスに復帰。 |
| 翌年、長州の「俺らが今時代を変えるんだ」という呼びかけがありNEWリーダー軍として長州・藤波・前田・木村健吾らと共闘し、アントニオ猪木・坂口征二・マサ斎藤・星野勘太郎・藤原(助っ人にディック・マードック・武藤敬司)らのNOWリーダー軍と世代闘争を行なった。 |
| この年、若手時代のライバル前田日明と共闘することになったが、別選手(マサ斎藤)との試合のため入場して来た前田にリング下で握手を求めるが無視され激怒し、頭突きと鉄柱攻撃で大流血に追い込んで遺恨となり、5年振りにシングルで対戦。 |
| 名勝負の末、前田にチキンウイングアームロックをかけられドクターストップが入り敗れる。 |
| 1989年にジョージ高野とのタッグ(烈風隊)でIWGPタッグ王座を獲得した。 |
| しかし、王座陥落後に、平田がブロンド・アウトローズ(ヒロ斎藤、後藤達俊、保永昇男)と共闘したこと、及びジョージ高野がSWSに移籍したことから、烈風隊は解散。 |
| その後、1990年にヒロ斎藤とのタッグで、再度IWGPタッグ王座を獲得している。 |
| 後にブロンド・アウトローズはレイジング・スタッフと名を変えたが、一時期全員がカラフルなマスクを被り「マシン軍団」の再来を演じたこともある。 |
| また、仲間割れにより後藤が反選手会同盟に鞍替えした後、平田はWARのリングに参戦し、阿修羅・原と共闘して反WAR軍の一員となる。 |
| 1994年10月、SGタッグリーグにフリーであったマシンが一匹狼の蝶野正洋を誘う形でタッグを組んで出場。 |
| 当時ヒール転向したばかりの蝶野が出場の意欲を持たない社命によるエントリーであった。 |
| その過程で『因縁』が積み重ねられていった(タッチ拒否、ラリアットやケンカキックの誤爆への報復、1人ずつの入場、パートナーであるマシンにマスク剥ぎ等)。 |
| マシンも徐々に蝶野に対し怒りをあらわにするようになる。 |
| しかし社命への反発心や相互の意地が白星を生む結果を積み重ねるにつれ、互いに認める部分が大きくなり、リーグ戦終盤には蝶野から「マシン『さん』、俺ら優勝するんですよね」との言葉が出るようになる。 |
| 葛藤を乗り越えついに優勝決定戦(VS武藤・馳浩組)に進出するが、平田は試合中にパートナーである蝶野から意図的な攻撃やSTFを決めた際にカットを受け、タッチ拒否や救援に入ろうとしない態度に激怒し、蝶野にラリアットを見舞った後自らマスクを脱ぎ顔に叩きつけた。 |
| 会場はそれまでマシン(平田)に対し「マ・シ・ン!マ・シ・ン!」のコールを送っていたが、この瞬間尋常ではない勢いの「ヒ・ラ・タ!ヒ・ラ・タ!」の大合唱で包まれた。 |
| この行動により蝶野は試合中にリングを去り孤立した平田が武藤のムーンサルトプレスにフォール負け。 |
| 試合後、「こんなしょっぱい試合ですいません!」とファンに謝罪。 |
| 蝶野は試合後、浮かなかったマシンが自分を利用して大舞台でマスクを脱ぐために上がってきたと批判したが、最初から覆面を脱ぐ目的があったのかは不明。 |
| 実際には蝶野はマシンがフォールされる直前に救出しようとリングへの途中まで戻って来ており、救出が間に合わなかった照れ隠しで言っただけ、あるいは好い機会だからどうぞ利用して再ブレークしてくれとのエールだった、との見方もある。 |
| 後にT2000マシンを登場させ激怒を誘うなど、蝶野には以降も平田を意識したかのような行動がままある。 |
| SGタッグリーグ優勝決定戦の決裂直後に蝶野との遺恨シングルマッチ3連戦が組まれ対戦するが、初戦では蝶野にSTFをチョーク気味にかけられ泡を吹き白目をむいてしまい試合後に藤波から叱咤される。 |
| しかしその後の対戦でマンハッタン・ドロップからの首固めでピンフォール勝ちを収め一矢報いた。 |
| その後は平田淳嗣として新日本に復帰入団、正規軍で活動するようになり、蝶野とのタッグでブレークを狙う天山の前に橋本とのタッグで立ちはだかる。 |
| 1995年7月に橋本真也と蝶野・天山広吉組を破り再びIWGPタッグ王座を獲得した。 |
| この戴冠は自ら蝶野をジャンピング・パワーボムで葬ったものであり、この時期の平田は第二の全盛期と言っていい活躍を見せた(蝶野や天山、越中、馳からシングルでピンフォール勝ち・タッグではスタイナーやホークウォリアーからも魔神風車でカウント3を奪う等)。 |
| タッグ結成時には半信半疑だった橋本も、次第にパートナーとしての実力に万全の信頼を置く発言が増えるようになる。 |
| 勢いに乗って当時武藤が持っていたIWGPヘビー級王座にも挑戦したが(1995年9月25日・大阪府立体育会館)、戴冠はならなかった。 |
| 1999年から選手会長として「まとめ役」に徹していたが、同時期のレスラー活動では「スーパー・ストロング・マシン」や星野総裁率いる「魔界倶楽部」の「魔界1号」として、マスクマンとしても活動している。 |
| この時期「魔界2号」筑前から、自分と「烈風隊」を再結成してくれとの発言を受けたが明確に解答しないまま現在に至っている。 |
| またラブマシンズの一員である「スーパー・ラブ・マシン」として全日本マットにも登場した。 |
| 「ブラック・ストロング・マシン」としての活動を経たこともある。 |
| 2005年に現場責任者の地位に後藤とともにつくが、新日本に復帰してきた長州と対立し一方的な解任処分を受ける。 |
| これを機に再び反体制勢力に回っている。 |
| 2006年単発興行「WRESTLELAND」のスポークスマンとなる。 |
| 記者会見で「マシンは『誰が来ようが、覚悟しておけ!』とも言っていました」と発表し、マシンと平田は別キャラクターである設定を再度用い始めた。 |
| 2007年は長州・蝶野と和解し、レジェンドを結成。 |
| スーパー・ストロング・マシンとして活動中。 |
| 平田本人は「目のケガのため欠場」ということになっており、会場から試合を観戦して若手にアドバイスを送っているとされる。 |
| 2009年からは永田裕志、井上亘、平澤光秀らと青義軍を結成し、お目付役として若手2人の背中を押している。 |