| ルーキーイヤーの2006年は、8月26日に初の一軍昇格を果たし、同日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智に替わる代打でプロ初出場を果たすも、木塚敦志の前に三塁ゴロに倒れた。 |
| 2007年は、10月4日にプロ初スタメン出場。 |
| 延長戦11回裏の満塁の場面で死球を受け、思わぬ形でプロ初打点を挙げる。 |
| 10月6日の対ヤクルト戦で、プロ初安打を放つ。 |
| 翌7日の対横浜戦では3安打を放ち、初の猛打賞を記録する。 |
| 終盤の活躍とセンターの堅実な守備が買われ、クライマックスシリーズにおいては全試合スタメンで起用される。 |
| 続く日本シリーズでもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では10代では打点をあげた。 |
| なおこの試合に1-0で勝ち、この打点は日本一を決める決勝点となった。 |
| この犠飛はストレートを打ったのだが、「スライダーを投げられていたら打てなかった」と語っており、外角への変化球の対応が現在の課題である。 |
| 日本シリーズでの活躍が認められ、12月の球団主催によるハワイへの優勝旅行にも参加する予定だったが、出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた。 |
| 2008年の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。 |
| 森野将彦が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。 |
| 森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での不本意な成績も相まって、開幕一軍スタートとはならなかった。 |
| 5月16日、森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。 |
| しかし目だった活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。 |
| 6月11日に再昇格。 |
| 9月7日、対横浜戦の9回裏一死の場面に代打で登場し、横山道哉から一軍でのプロ初本塁打を放つ。 |
| これが同時にサヨナラの殊勲打となった。 |
| その後もシーズン終了まで一軍に定着。 |
| 主に代打での起用が多かった。 |
| シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。 |
| 2009年は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。 |
| 一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流。 |
| プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。 |
| 藤井淳志、小池正晃、ルーキーの野本圭と外野のポジションを競うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。 |
| その後8月に一度登録されるが、勝負どころでのゲッツーや三振を繰り返し、9月に再び抹消された。 |
| 最終的には前年の59試合出場を下回り42試合にとどまるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。 |
| 2010年は、ルーキーの大島洋平や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、日本シリーズでも活躍できずに終わった。 |
| オフに背番号を8を大島が付けることになったため、西川明の退団で空き番号になっていた40に変更。 |
| 2011年は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。 |
| 18日のロッテ戦では同点ホームラン、22日の楽天戦では自身初の4安打を記録。 |
| 6月4日の西武戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に2008年以来、自身2本目となるサヨナラホームランを放った。 |
| さらに、その翌日(6月5日)には、9回裏に2日連続のサヨナラホームランを放った。 |
| 個人の2試合連続サヨナラ本塁打は西武時代の2002年松井稼頭央以来8人目。 |
| 中日では初の出来事である |
| また、前述の活躍もあり6月の月間MVPを初受賞。 |
| チームの野手としても2009年6月の和田一浩以来2年ぶりの受賞となった。 |