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つながりの強いひと
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杉田玄白
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。杉田... |
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田沼意次
江戸時代中期の武士・大名。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。 |
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村上元三(むらかみげんぞう、1910年3月14日-2006年4月3日)は日本の小説家。朝鮮元山生まれ。青山学院中等部卒。1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳... |
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日本の漫画家、特撮作品原作者。1984年までは石森章太郎の表記を用いた。本名、小野寺章太郎(おのでらしょうたろう)。血液型はAB型。代表作は『サイボーグ0... |
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大田南畝
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木村黙老 【きむら-もくろう】 1件の用語解説(木村黙老で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 木村黙老 きむら-もくろう... |
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松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(... |
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芳賀徹
日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長、岡崎市美術博物館館長、静岡県立美術館館長。 |
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(LeonardodaVinci,1452年4月15日-1519年5月2日)はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能人(uomouniversale,ウォモ・ウニ... |
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日本の小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者、日本藝術院会員。本名は井上廈(いのうえひさし)。1961年から1986年までの本名は内山廈(うちやまひさ... |
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松平頼恭
松平頼恭(まつだいらよりたか)は江戸時代の大名。讃岐高松藩の第5代藩主。 |
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日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園大学短期大学部学長。女子美術大学芸術学部ファッション造形学科客員教授。 |
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本居宣長
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プロフィール
- 平賀源内とは
- 経歴
- 人物と業績
- 作品
- 資料・研究
- 関連施設
- テレビ
- 小説
- 漫画
- 演劇
- 関連サイト
平賀源内(ひらがげんない、享保13年(1728年)-安永8年12月18日(1780年1月24日))は江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家)である。諱は国倫(くにとも)、号は鳩渓(きゅうけい)・風来山人・福内鬼外(ふくうちきがい)・貧家銭内(ひんかぜにない)など。通称は源内、元内とも。父は白石茂左衛門(良房)、母は山下氏の娘。兄弟多数。
経歴
| 讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)に生まれる。 |
| 平賀氏は讃岐高松藩の足軽身分の家で、元々は信濃国佐久郡の豪族だったが、戦国時代平賀玄信の代に甲斐の武田信虎・晴信父子に滅ぼされ、奥州の白石に移り伊達氏に仕え、白石姓に改めた。 |
| のちに伊予宇和島藩主家に従い四国へ下り、讃岐で帰農したという。 |
| 幼少の頃には掛け軸に細工をして、「お神酒天神」を作成したとされ、その評判が元で13歳から藩医の元で本草学を学び、儒学を学ぶ。 |
| また、俳諧グループに属して俳諧なども行う。 |
| 寛延元年(1748年)に父の死により後役として藩の蔵番となる。 |
| 宝暦2年(1752年)頃に1年間長崎へ遊学し、本草学とオランダ語、医学、油絵などを学ぶ。 |
| 留学の後に藩の役目を辞し、妹に婿養子を迎えさせて家督を放棄する。 |
| 大阪、京都で学び、さらに宝暦6年(1756年)には江戸に出て本草学者田村元雄(藍水)に弟子入りして本草学を学び、漢学を習得するために林家にも入門して聖堂に寄宿する。 |
| 2回目の長崎遊学では鉱山の採掘や精錬の技術を学ぶ。 |
| 宝暦11年(1761年)には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行う。 |
| この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。 |
| 物産博覧会を度々開催し、宝暦12年(1762年)には物産会として第五回となる「東都薬品会」を江戸の湯島にて開催する。 |
| 江戸においては知名度も上がり、杉田玄白や中川淳庵らと交友する。 |
| 高松藩の家臣として再登用されるが、江戸に戻るために辞職する。 |
| 宝暦13年(1763年)には『物類品隲』を刊行。 |
| オランダ博物学に関心をもち、洋書の入手に専念するが、源内は語学の知識がなく、オランダ通詞に読み分けさせて読解に務める。 |
| 文芸活動も行い、談義本の類を執筆する。 |
| 明和年間には産業起業的な活動も行った。 |
| 明和3年(1766年)から武蔵川越藩の秋元凉朝の依頼で奥秩父の川越藩秩父大滝(現在の秩父市大滝)の中津川で鉱山開発を行い石綿などを発見した(現在のニッチツ秩父鉱山)。 |
| 秩父における炭焼、荒川通船工事の指導なども行う。 |
| 現在でも奥秩父の中津峡付近には、源内が設計し長く逗留した建物が「源内居」として残っている。 |
| 安永2年(1773年)には出羽秋田藩の佐竹義敦に招かれて鉱山開発の指導を行い、また秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝える。 |
| 安永5年(1776年)には長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を修理して復元する。 |
| 安永8年(1779年)夏には橋本町の邸へ移る。 |
| 大名屋敷の修理を請け負った際に、酔っていたために修理計画書を盗まれたと勘違いして2人を殺傷したため、11月21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死、享年52。 |
| 杉田玄白らの手により葬儀が行われたが、幕府の許可が下りず、墓碑もなく、遺体もないままの葬儀となった。 |
| ただし晩年については諸説あり、大工の秋田屋九五郎を殺したとも、後年逃げ延びて田沼意次の保護下に天寿を全うしたとも伝えられるが、いずれも未だにはっきりとはしていない。 |
| 戒名は智見霊雄。 |
| 墓所は総泉寺の移転前の台東区の敷地にあり、総泉寺自体が浅草に移転した後もそのままの場所に残されている。 |
人物と業績
| 天才、または異才の人と称される。 |
| 鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。 |
| 文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。 |
| また平賀焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。 |
| 男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。 |
| わけても、2代目瀬川菊之丞(瀬川路考)との仲は有名である。 |
| 『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。 |
| 玄白の回想録である『蘭学事始』は、源内との対話に一章を割いている。 |
| 源内の墓碑を記したのも玄白で、「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。 |
| 〕とあり、源内の才能に玄白が驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。 |
| 科学者としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布の開発がある。 |
| 一説には竹とんぼの発明者とも言われ、これを史上初のプロペラとする人もいる。 |
| 気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたと言われる。 |
| ただし、結局これらは実用的研究には一切結びついておらず、後世の評価を二分する一因となっている。 |
| 『エレキテル』の修復にあっては、その原理について源内自身はよく知らなかったにもかかわらず、修復に成功したという。 |
| 「夏バテ防止のために土用の丑の日にウナギを食べる」風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案した「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが元との説が文政5年(1822年)の『明和誌』にある。 |
| また、明和6年(1769年)にはCMソングとされる、歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評される。 |
| 浄瑠璃作家としては福内鬼外の筆名で執筆。 |
| 時代物を多く手がけ、作品の多くは五段形式や多段形式で、世話物の要素が加わっていると評価される。 |
| 江戸に狂歌が流行するきっかけとなった大田南畝の『寝惚先生文集』に序文を寄せている他、風来山人の筆名で、後世に傑作として名高い『長枕褥合戦』や『萎陰隠逸伝』などの春本まで残している。 |
| 衆道関連の著作として、水虎山人名義により1764年(明和元年)に『菊の園』、安永4年(1775年)に『男色細見』の陰間茶屋案内書を著わした。 |
| 鈴木春信と共に絵暦交換会を催し、浮世絵の隆盛に一役買った他、博覧会の開催を提案、江戸湯島で日本初の博覧会『東都薬品会』が開催された。 |
| 文章の「起承転結」を説明する際によく使われる、「''京都三条糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す''」の作者との説がある。 |
作品
| 『黒奴を伴う赤服蘭人図』。 |
| 『西洋婦人図』。 |
| 『物類品隲』。 |
| 『根南志具佐』。 |
| 『風流志道軒伝』。 |
| 『放屁論』『放屁論後編』。 |
関連施設
| 平賀源内記念館、平賀源内先生遺品館-香川県さぬき市志度。 |
| 発明品や著作物、杉田玄白と源内の書簡などが展示されている。 |
| また、平賀源内記念館が2009年3月22日にオープンし、平賀源内祭りの会場。 |
| 平賀源内墓-東京都台東区橋場二丁目旧総泉寺墓地。 |
| 1943年、国の史跡に指定。 |
| 平賀源内先生の墓-香川県さぬき市志度 微雲窟自性院。 |
| 平賀源内生祠-広島県福山市鞆の浦 広島県指定史跡。 |
| 平賀源内の偉業をたたえて発明工夫を振興する基金を、エレキテル尾崎財団が1994年に寄贈。 |
| この基金を基に、香川県さぬき市(旧志度町)とエレキテル尾崎財団とが、四国内の科学研究者を授賞対象とする源内賞、奨励賞を設定し、毎年3月に表彰。 |
テレビ
| 『天下御免』(1971年、NHK、源内役:山口崇)。 |
| 現代を江戸時代に置き換え、平賀源内を案内役として話を進め、風刺的な要素を含んでいた。 |
| 『キカイダー01』第36話「四次元の怪恐怖のタイム旅行」(1973年、NET、石ノ森章太郎原作、源内役:野々浩介)。 |
| 悪の組織シャドウが平賀源内の誘拐を画策してタイムトンネルで江戸時代に移り、01とビジンダーがこれを追って食い止める話がある。 |
| 舞台は源内がエレキテルを復元した1776年頃である。 |
| 『影の軍団II』(1981年、関西テレビ 源内役:山村聰)。 |
| 徳川家重の時代の末期、1760年頃が舞台。 |
| 奇しくも、上記の『キカイダー01』と『影の軍団II』の両方で志穂美悦子が出演しており、作品で源内と関わっている。 |
| 必殺シリーズ(ABC)では時代的に合わないが、現代的な気球やグライダーを出す場合に安易に平賀源内を出す傾向がある。 |
| 『仕事人アヘン戦争へ行く』(1983年)では源内が獄中にいた(アヘン戦争当時、日本で投獄されていた蘭学者では高野長英がいる)。 |
| 『必殺仕切人』(1984年)第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」で源内が江戸時代の飛行コンテストで審査員をしている。 |
| 中条きよし扮する三味線屋の勇次は両方に登場しており、設定上は『アヘン戦争』が先で『仕切人』の方が後の話である。 |
| 『翔んでる!平賀源内』(1989年、TBS、源内役:西田敏行)。 |
| 『殿さま風来坊隠れ旅』(1994年、テレビ朝日、源内役:火野正平)。 |
| 他にドラマ愛の詩シリーズおよびTVアニメ版の『ズッコケ三人組』における『ズッコケ時間漂流記』(源内役:藤岡弘(ドラマ版)、松山鷹志(アニメ版))や、アニメ『落語天女おゆい』(源内役:てらそままさき)の映像化作品がある。 |
演劇
| 井上ひさし作『表裏源内蛙合戦』。 |
| 1970年に熊倉一雄演出、山田康雄主演でテアトル・エコー新装杮落しとして初演された。 |
| 膨大な資料を駆使し言葉遊びを極めた音楽劇で、センセーショナルな評判を集め、戯曲がすぐに新潮社から出版されるという異例の展開となった。 |
| 1992年にも安原義人主演で恵比寿に移転した同劇場の杮落としとして再演されている。 |
| 2008年には作者が戯曲に改訂を施し、蜷川幸雄演出、上川隆也主演でBunkamuraシアターコクーン他で上演された。 |
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1748年
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父の死により後役として藩の蔵番となる |
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1756年
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江戸に出て本草学者田村元雄(藍水)に弟子入... |
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