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つながりの強いひと
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山田盛太郎
昭和期日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。東京帝国大学卒業。 |
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羽仁五郎
日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。 |
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服部之総
日本の歴史学者。島根県浜田市、金城町出身。 |
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大井憲太郎
明治期の自由民権運動家、社会運動家、衆議院議員。旧姓、高並。別名、馬場城二郎、馬城山人。 |
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守屋典郎
守屋典郎 【もりや-ふみお】 1件の用語解説(守屋典郎で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 守屋典郎 もりや-ふみお  ... |
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平野富二
実業家。石川島造船所(現IHI)創立者。 |
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幸徳秋水
明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。本名は幸徳傳次郎(こうとくでんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられた... |
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宇佐美誠次郎
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清野謙次
日本の医学者、人類学者、考古学者、考古学・民俗学資料の収集家。 |
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片山潜
日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 |
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岡正雄
日本の民族学者。戦中戦後を通じて日本の民族学・文化人類学を主導した。兄は民族学や考古学、山岳書の名著を多数出版した岡書院店主の岡茂雄。 |
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豊島与志雄
日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。 |
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土屋隆
土屋隆 東ソー 更新日: 2007-10-04 ■ 土屋 隆【つちや・たかし】 【肩書き】 東ソー 社長 【生年月日】 昭和15年2月9日 【年齢】 67歳 【出身地】 長... |
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山田剛
山田 剛 (やまだ・ごう) 日本経済研究センター研究本部主任研究員 専門 インド・南アジア経済・政治、中東・イスラム世界 学歴・職歴 1988年 早稲田大学政... |
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末川博
日本の民法学者。戦前に京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長・学校法人立命館総長を歴任。立命館では末川を名誉総長として顕彰している。長男は立命館大... |
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小川修
小川修 [オガワオサム] 1957年(昭和32年)東京浅草生まれ。3代目の江戸っ子。’80年明治大学政治経済学部卒業後、日本梱包運輸倉庫、丸紅ソリュージョン等... |
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鶴見俊輔
評論家、哲学者、大衆文化研究者、政治運動家。 |
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小林良正
小林良正プロフィール 優しい言葉とほほえみで、説法を行うお母さん尼僧。浄土宗の尼僧として、日本人の「心の浄化」を祈願し、念仏行脚で日本一周を... |
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田中正造
日本の政治家。足尾銅山鉱毒事件を告発した。衆議院議員選挙に当選6回。幼名、兼三郎。下野国小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。 |
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プロフィール
- 平野義太郎とは
- 来歴
- 著作
- 大アジア主義
- 翻訳
- 参考文献
- 関連サイト
平野義太郎(ひらのよしたろう、1897年3月5日-1980年2月8日)は、日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。東京生まれ。東京開成中、第一高等学校を経て、1921年、東京帝国大学 法学部卒、同助手。 後藤新平の義理の姪婿で、獄中転向で有名な元 日本共産党委員長 佐野学、共産党系演劇人でインターナショナル訳詞者の 佐野碩、武装共産党時代の党指導者 佐野博、 鶴見和子・俊輔姉弟とは姻戚に当たる。
来歴
| 1927-1930年、フランクフルト大学に留学してマルクス主義を研究する。 |
| カール・ウィットフォーゲルやヴィルヘルム・ヴントの講義を受講。 |
| 1930年、帰国後、共産党シンパ事件に加担したとして治安維持法違反で検挙されて免官処分、執行猶予付きの有罪判決を受けた。 |
| 1936年にはコム・アカデミー事件で検挙されたがこの時には無罪になった。 |
| 戦争中の大東亜戦争賛美により戦後は教職追放。 |
| しかし共産党の組織力を背景にして復権し、20年間にわたって日本平和委員会会長を務めるなど、平和運動家となる。 |
| もともとは民法、ゲルマン法の研究者として出発したが、『日本資本主義発達史講座』に参加して講座派の論客として知られるようになった。 |
| 中国研究家でもあり、(社)中国研究所所長(1946年-1960年)、現代中国学会(現、日本現代中国学会)幹事長・会長(1951年-1960年)に就任する。 |
| (いずれも初代)。 |
| 1953年に行われた第3回参議院議員通常選挙の全国区に無所属で立候補し、10万を越える票を得たが落選している。 |
著作
| 『民法に於けるローマ思想とゲルマン思想』(有斐閣、1924年)。 |
| 『法律における階級闘争』(改造社、1925年)。 |
| 『日本資本主義社会の機構』(岩波書店、1934年)。 |
| 『太平洋の民族=政治学』(日本評論社、1942年・清野謙次との共著)。 |
| 『民族政治学の理論』(日本評論社、1943年)。 |
| 『民族政治の基本問題』(小山書店、1944年)。 |
| 『大アジア主義の歴史的基礎』(河出書房、1945年)。 |
| 『日本資本主義社会の機構と法律』(明善書店、1948年)。 |
| 『自由民権運動とその発展』(新日本出版社、1977年)。 |
| 『平野義太郎著作集』(全6巻、白石書店)。 |
| 『西ドイツ国家独占資本主義と労働者階級』上林貞治郎と共同編著(大月書店、1970年)。 |
大アジア主義
| 1937年、留置中に転向した平野は、中国華北部での自然村調査などをへて、1945年に『大アジア主義の歴史的基礎』を発表する。 |
| 同書は、戦後、転向後の「逸脱」として顧みられることはなかったが、近年、「日本におけるアジア主義の終着点」とも評価され |
| および山室信一『思想課題としてのアジア』岩波書店、2001、見直されはじめている。 |
| 平野は同書において「アジアにおける植民地態勢打破の先駆者はわが日本であり、アングロサクソンの世界旧秩序打開の創始者もまたわが日本だった」とし、楢井藤吉や、荒尾精、大井憲太郎らの系譜の延長に、孫文の大亜洲主義を位置づけたうえで、日本と中国との連合への試みとして、大東亜共栄圏を捉えた。 |
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1921年
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東京帝国大学法学部卒、同助手 |
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1923年
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東京帝国大学法学部助教授 |
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平野義太郎さんについてのひとこと紹介
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