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桓武天皇
親
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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葛原親王
親 父
平安時代初期の皇族。桓武天皇の第三皇子。官位は一品・大宰帥。桓武平氏の祖。 |
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高見王
高見王 【たかみおう】 1件の用語解説(高見王で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 高見王 たかみおう   824-848 平... |
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平高望
平安時代中期の賜姓皇族。桓武天皇の孫(もしくは曾孫)にあたり、高望王流桓武平氏の祖。従五位下・正親正・上総介。 |
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平惟範
平安時代前期の貴族。平高棟(高棟王)の3男で、桓武天皇の曾孫にあたる。母は、贈太政大臣藤原長良の娘で従四位上典侍従藤原有子。妻は人康親王の娘。子に時... |
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実範
平安時代後期の僧。父は参議藤原顕実。字は本願。蓮光少将上人・中川中将上人・中川律師とも称される。興福寺で法相教学を、醍醐寺の厳覚と高野山の教真に真... |
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藤原長良
妻
平安時代初期の公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の長男。陽成天皇の外祖父。官位は従二位・権中納言。贈正一位・太政大臣。枇杷中納言と号した。 |
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平時忠
平安時代末期の公家。桓武平氏高棟流、いわゆる堂上平氏の生まれ。父は兵部権大輔・平時信。母は二条大宮(令子内親王)の半物(はしたもの、下仕えの女房)... |
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平清盛
平安時代末期の武将・公卿・政治家である。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡子として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終... |
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平善棟
平善棟(たいらのよしむね/善棟王(よしむねおう)、生年未詳-天長6年6月22日(829年7月26日))は平安時代前期の賜姓皇族。桓武天皇の皇孫で葛原親王の第二... |
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平季長
平安時代前期の貴族。平高棟(高棟王)の4男で、桓武天皇の曾孫にあたる。貞観13年(871年)に渤海使が来航すると、式部少丞であった季長はその接待にあたる... |
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淳和天皇
平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。諱は大伴(おおとも)。 |
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平時子
平安時代末期の女性。平清盛の正室(継室)。位階は従二位。二位尼(にいのあま)と称される。中級貴族の平時信の娘で、母は二条大宮(令子内親王)の半物(... |
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平朝臣
父・ 平高望 は寛平元(889)年5月13日に平朝臣姓を賜った 「賜平朝臣姓者五人」 (『日本紀略』:『国史大系』所収) のうちの一人とされている。また、 『... |
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平将門
平安時代中期の関東の豪族である。平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸... |
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平滋子
後白河天皇の譲位後の妃。高倉天皇の生母。女御、皇太后、女院。桓武平氏高棟流、いわゆる堂上平氏の生まれ。父は兵部権大輔・平時信(贈左大臣)、母は中納... |
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平忠常
平安時代中期の武将、豪族。父は陸奥介平忠頼で、房総平氏の祖。 |
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平国香
平安時代中期の武将。平高望の長男。常陸平氏や伊勢平氏の祖。 |
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清和天皇
平安時代前期の第56代天皇。在位は天安2年11月7日(858年12月15日)-貞観18年11月29日(876年12月18日)。後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖で、諱は惟仁... |
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プロフィール
平高棟(たいらのたかむね/高棟王(たかむねおう)、延暦23年(804年)-貞観9年5月19日(867年6月24日))は、平安時代前期の賜姓皇族。 桓武天皇の皇子である一品・ 葛原親王の長男。官位は正三位・大納言。桓武平氏高棟流の祖。
経歴
| 弘仁14年(823年)無位から従四位下に叙せられ、侍従に任ぜられる。 |
| 天長2年(825年)父・葛原親王による再度の抗表により、伯父に当たる淳和天皇から平姓を賜与され臣籍降下し、平高棟と名乗る。 |
| 中務大輔・兵部大輔・大蔵卿・刑部卿を経て、承和10年(843年)40歳の時に従三位に昇叙され公卿に列した。 |
| 仁寿元年(851年)参議に任官。 |
| 斉衡元年(854年)皇太子・惟仁親王(のち清和天皇)の春宮大夫を兼任し、天安2年(858年)惟仁親王の即位に伴い正三位・権中納言に叙任される。 |
| 貞観元年(859年)山城国葛野郡にあった別邸を仏教修行の道場とし、「平等寺」の額を賜与された。 |
| 貞観2年(860年)中納言、貞観6年(864年)大納言に至る。 |
人物
| 身長が六尺あり、美しいひげを持っていた。 |
| 幼い頃から聡明で。 |
| 古くから伝えられた書物を好んで読んだ。 |
| 性格が細やかで親切であり、華美に飾り立てるようなことはなかった。 |
| 諸官を歴任したが政務にあたっては寛容を重視した。 |
| 晩年は仏教に帰依し経典を読誦した。 |
| 大納言に任ぜられてのちは食封の多くを仏事に費やしたという。 |
| 『日本三代実録』貞観9年(867年)5月19日条。 |
官歴
| 弘仁14年(823年)1月7日:従四位下に叙位。 |
| 9月:侍従に任官。 |
| 天長元年(824年)9月22日:大学頭に転任。 |
| 天長2年(825年)7月6日:平姓の賜与を受け臣籍降下。 |
| 天長3年(826年)9月13日:中務大輔に転任。 |
| 天長4年(827年)6月9日:兵部大輔に転任。 |
| 天長5年(828年)閏3月9日:大舎人頭に遷任。 |
| 天長7年(830年)1月7日:従四位上に昇叙、大舎人頭如元。 |
| 10月13日:大蔵卿に転任。 |
| 天長8年(831年)日付不詳:刑部卿に遷任。 |
| 承和9年(842年)1月7日:正四位下に昇叙、刑部卿如元。 |
| 8月11日:大蔵卿に遷任。 |
| 承和10年(843年)4月14日:従三位に昇叙、大蔵卿如元。 |
| 仁寿元年(851年)12月25日:参議に補任、大蔵卿兼任如元。 |
| 斉衡元年(854年)8月28日:春宮大夫を兼任、大蔵卿兼任を止むか。 |
| 天安2年(858年)9月14日:権中納言に転任。 |
| 11月7日:正三位に昇叙、権中納言如元。 |
| 貞観元年(859年)12月21日:陸奥出羽按察使を兼任。 |
| 貞観2年(860年)1月16日:中納言に転任、陸奥出羽按察使兼任如元。 |
| 貞観6年(864年)1月12日:大納言に転任。 |
系譜
| 妻:藤原有子(藤原長良の長女)-典侍。 |
| 三男:平惟範(855-909)。 |
| 男子:平実範(又は平実雄)。 |
| 男子:平季長(?-897)。 |
| 女子:藤原房雄室。 |
| 子孫については、平氏#高棟王流を参照。 |
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