| 大竹高校時代は投手。 |
| この頃から機敏で俊足であり、マウンドから走り二塁走者を刺した、という逸話を残している。 |
| 1954年、南海ホークスにテスト生の投手として入団。 |
| 1年目のキャンプで肘を痛め、遊撃手に転向した。 |
| 2年目の1956年7月29日に1軍スタメン出場を果たし、初打席でプロ初安打となるレフト線への三塁打を放った。 |
| 同デビュー戦では4打数4安打を残し、その後の試合でも3打席安打を続け、プロ初打席から7打席連続安打を記録した。 |
| 1957年から1軍に定着。 |
| 同年は114試合出場、打率.284を記録した。 |
| 翌1958年も遊撃手として120試合に出場し打率.288、1959年には打率.310を記録するなど成績を上げていき、先輩・木塚忠助の後継者として期待された。 |
| しかし無類の鉄砲肩ながら悪送球が多く、1961年に鶴岡一人監督の勧めで外野手(中堅手)に転向した。 |
| 同年に42盗塁で盗塁王に輝くと、1965年まで5年連続盗塁王となり、リードオフマンとして杉浦忠、野村克也、皆川睦雄らと南海の黄金時代に大きく貢献した。 |
| ダイヤモンド一周/13秒9、100メートル/11秒4の俊足と好守で鳴らし、「プロ野球のスピード感を変えた男」ともいわれた。 |
| 1963年(この年と翌1964年の2年間のパ・リーグは150試合制)には187安打を放ち、最多安打を記録した。 |
| これは1994年にイチローに抜かれるまで31年にわたってパ・リーグ記録だった。 |
| 開幕から100安打到達61試合も、1994年イチローの60試合到達まで日本記録だった100安打到達時のイチローの打率は.398だったが、広瀬は.412だった(「イチローのすべて」朝日ソノラマ1994年p134)。 |
| 同年の676打席はパ・リーグ記録(2005年に赤星憲広に抜かれるまで日本記録)、626打数は日本記録である。 |
| 1964年には89試合目まで打率4割をキープ(1989年にウォーレン・クロマティに抜かれるまでプロ野球最長記録)、後半調子を落としたが打率.366、72盗塁という自己最高の成績で首位打者と盗塁王を獲得した。 |
| 打率.366は1985年に落合博満に抜かれるまで長らく右打者の歴代最高打率だった。 |
| フルスイングする豪快な打撃で、同年はしばしば3番打者を務め、1試合2本塁打を含む5打数5安打、7打点を記録した試合もあった「ベースボールアルバムNo119イチローオリックス・ブルーウェーブ」ベースボールマガジン社1994年p59。 |
| しかし、同年シーズンに手首を痛め、以降は腱鞘炎に苦しむようになった。 |
| 1970年の消化試合では、1試合だけ投手として登板し、二回を3四球無失点で切り抜けた。 |
| 1972年7月1日の西鉄戦で、史上6人目となる通算2000本安打を達成。 |
| 1977年に現役引退した。 |
| 通算盗塁数は日本歴代2位の596。 |
| シーズン最多盗塁死は1度も記録せず、通算盗塁成功率82.9%(596盗塁123盗塁死)は、300盗塁以上の選手では歴代1位の記録である。 |
| 「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクに追い込まれたら走らない」等、有用な場面でのみ盗塁を仕掛ける職人肌の選手で高い盗塁技術を誇り、1964年3月から5月にかけて31連続盗塁成功と、1968年にシーズン盗塁成功率.957(成功44、失敗2)といういずれも日本記録を持っている。 |
| 1塁から3メートル75という並外れたリードを取り、スタートするやスピードを殺さず2塁ベースの手前まで全力で走り、短いスライディングで二塁を陥れた。 |
| 1964年のシーズンに広瀬が4割近い打率を挙げ、さらにあまりにも走るので、日本野球機構は盗塁王を同年から連盟表彰にした。 |
| それまで日本では盗塁はあまり評価されておらず、広瀬は盗塁を認知させた最初の選手である。 |
| 「本当に必要なときにしか盗塁しない」という信念が質の高い記録を残す結果になったが、もっと貪欲に走っていれば盗塁数を上積みでき、通算最多盗塁記録を現役最後の年に目の前で福本豊に更新されるという事態を招かなかったのではないかという向きもある宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』講談社、1993年P697,699。 |
| なお松下電器時代の監督に「お前はノンプロの広瀬になれ」と言われ、背番号12を付け広瀬をよく見に行ったという福本は、「広瀬さんは神様やもん。 |
| プロに入ってからもそれは一緒よ。 |
| 相変わらず雲の上の存在やった」と述べている『別冊宝島』1517号「プロ野球情念の天敵対決」2008年宝島社 p87-p88。 |
| 西鉄ライオンズのエース稲尾和久との一瞬を巡る駆け引きはファンを魅了した。 |
| オールスターでも盗塁を7回すべて成功させている。 |
| また、センターから左右両翼まで走りこんで捕球できるほどの守備範囲もあった万能選手で、外野手としてシーズン353守備機会の日本記録と、1試合10守備機会・1試合10刺殺のパ・リーグ記録を持っている。 |
| 野村克也は広瀬について、「オレは野球の天才を2人しか知らない。 |
| 長嶋茂雄と広瀬や」 |
| 長嶋と広瀬とイチローや」「広瀬は僕の一年後に入ってきたんですけど、バットの素振りしてるのなんて見たことないですよ。 |
| 2年目で一軍に入って、すぐレギュラー獲りましたね。 |
| こっちは30打席ノーヒットだったのに。 |
| とにかく、超人的なバネしてましたよ」と語っている浅草キッド『濃厚民族』 スコラマガジン 2003年 p228-229。 |
| ※かつては天才を2人と言っていたが、近年はイチローを加えて3人としている。 |