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つながりの強いひと
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広瀬旭荘
先祖
球が坂をころげ、馬が駆け降りる様。雲が踊り、風が木の葉を舞上げる様だ」と言い、清代末期の儒者、兪曲園は「東国詩人の冠」と評している。また著述も多く... |
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大村益次郎
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日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家、である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。 |
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広瀬久兵衛
先祖
広瀬久兵衛 【ひろせ-きゅうべえ】 1件の用語解説(広瀬久兵衛で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 広瀬久兵衛 ひろせ-きゅうべえ... |
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頼山陽
頼山陽(らいさんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)-天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は... |
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亀井南冥
師事
江戸時代の儒学者で、医者、教育者。筑前国姪浜(現在の福岡市)に生れる。諱は魯、字は道載、通称は主水、南冥はその号である。亀門学の祖。 |
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菅茶山
江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。 |
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岡村繁 リンコーコーポレーション 更新日: 2002-04-06 ■ 岡村 繁【おかむら・しげる】 【会社】 リンコーコーポレーション 【経歴】
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広瀬勝貞
広瀬勝貞(ひろせかつさだ、1942年6月25日-)は日本の政治家、官僚。大分県知事。通商産業省最後の、中央省庁再編後の経済産業省では初代の事務次官をつとめた。 |
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海原徹
日本の教育学者・歴史学者。元京都学園大学学長、京都大学名誉教授、教育学博士(京都大学、1973年)。専門は日本教育史特に江戸時代から近代にかけての教育... |
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上野彦馬
上野彦馬(うえのひこま、天保9年8月27日(1838年10月15日)-明治37年(1904年)5月22日)は幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家(写真師)。日... |
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三浦梅園
日本の江戸時代の思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国(大分県国東市安岐町富清)の出身。諱は晋(すすむ)。条理学と言われる独自の学問体系を築いた『... |
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緒方洪庵
緒方洪庵(おがたこうあん、文化7年7月14日(1810年8月13日)-文久3年6月10日(1863年7月25日))は日本の武士・足守藩士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を... |
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長三洲(ちょうさんしゅう) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1833―1895) 幕末 から明治中期にかけての漢学者、書家。 漢詩 、 南画 でも非凡であった。... |
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帆足万里
江戸時代後期の儒学者・経世家。父は豊後国日出藩家老の帆足通文。字は鵬卿。号は愚亭など。三浦梅園、広瀬淡窓と共に豊後三賢の一人と言われる。なお、近隣... |
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プロフィール
- 広瀬淡窓とは
- 経歴
- 思想
- 著書
- 詩集・日記の注解
- 参考文献
- 伝記文献
- 史跡
- その他
広瀬淡窓(ひろせたんそう、天明2年4月11日(1782年5月22日)-安政3年11月1日(1856年11月28日))は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。淡窓は号。通称は寅之助のちに求馬(よみはモトメ)。諱は建。字は廉卿あるいは子基。別号に青渓など。末弟に 広瀬旭荘、弟 広瀬久兵衛の子孫に、日田市長、衆議院議員だった 広瀬正雄、その子息の一人 広瀬勝貞は現大分県知事。
経歴
| 豊後国日田郡豆田町魚町の博多屋三郎右衛門の長男として生まれる。 |
| 少年の頃より聡明で、淡窓が10歳の時、久留米の浪人で日田代官所に出入りしていたとされる松下西洋(まつしたせいよう)に師事し、詩や文学を学んだが、淡窓が13歳のときに西洋が豊後佐伯毛利氏に仕官したため師を失ったという木藪正道著『日田の歴史を歩く』文芸堂1990年。 |
| 16歳の頃に筑前の亀井塾に遊学し亀井南冥・昭陽父子に師事したが、大病を患い19歳の暮れに退塾し帰郷。 |
| 病は長引き、一時は命も危ぶまれたが肥後国の医師倉重湊によって命を救われる。 |
| その後、病気がちであることを理由に家業を継ぐのを諦めて弟の久兵衛に商売を任せ、一度は医師になることを志すが、倉重湊の言葉によって学者・教育者の道を選ぶ。 |
| 文化2年(1805年)には長福寺に初めの塾を開き、これを後の咸宜園へ発展させた。 |
| 咸宜園は淡窓の死後も、弟の広瀬旭荘や林外、広瀬青邨等以降10代の塾主によって明治30年(1897年)まで存続、運営された。 |
| 塾生は全国各地から集まり、入門者は延べ4000人を超える日本最大級の私塾となった。 |
| 淡窓は嘉永6年(1853年)から晩年まで万善簿(まんぜんぼ)という記録をつけ続けた。 |
| これは、良いことをしたら白丸を1つつけ、食べすぎなどの悪いことをしたら1つ黒丸をつけていき、白丸から黒丸の数を引いたものが1万になるようにするものだった。 |
| 1度目は67歳に達成し2度目の万善を目指して継続していたが73歳の8月頃に停止されている。 |
| 淡窓は安政3年(1856年)に死去。 |
思想
| 淡窓の指針である「敬天」とは、人間は正しいこと、善いことをすれば天朱子学においては「天」と「理」は同じものであるが、淡窓の考える「天」は「理」とは別の存在であり、「理」を理解すれば人間は正しい行いをして暮らすことができる、しかしその「理」を生む「天」は理解することができない、とするから報われるとする。 |
| 淡窓の説くこの応報論は「敬天思想」といわれ、近年まで主な研究対象になっていた。 |
| 最近は主に、実力主義教育を採った組織としての咸宜園研究や、淡窓自身の漢詩研究になっている。 |
著書
| 著書は以下を主に約120作ある。 |
| 『遠思楼詩鈔』。 |
| 『迂言』 <日本思想大系38 近世政道論>岩波書店に収む。 |
| 『懐旧楼筆記』。 |
| 『淡窓詩話』など。 |
| 『淡窓全集』(全3巻)、日田郡教育会編、思文閣で復刻、1971年。 |
詩集・日記の注解
| 『広瀬淡窓・広瀬旭荘』 工藤豊彦 <叢書日本の思想家.35>明徳出版社、1978年。 |
| 『広瀬淡窓・広瀬旭荘』 岡村繁訳注、<江戸詩人選集.第9巻>岩波書店、1991年。 |
| 『広瀬淡窓』 林田慎之助訳著 <日本漢詩人選集.15>研文出版、2005年。 |
| 『現代語訳 淡窓詩話』 向野康江訳注、葦書房、2001年。 |
| 『廣瀬淡窓の詩 遠思樓詩鈔評釈』(全4巻)、井上源吾編著、葦書房、1996年。 |
| 『廣瀬淡窓日記』(全4巻)、井上源吾編訳注、弦書房、2005年。 |
参考文献
| 『広瀬淡窓の研究』 田中加代、ぺりかん社、1993年-大著、「私塾の研究」ほか。 |
伝記文献
| 『若き日の廣瀬淡窓』 井上源吾、葦書房、1998年-幼少期から31歳までの伝記。 |
| 『廣瀬淡窓評傳』 井上源吾、葦書房、1993年-大著。 |
| 『広瀬淡窓と咸宜園 ことごとく皆宜し』 海原徹、ミネルヴァ書房、2008年。 |
| 『広瀬淡窓』 井上義巳、<人物叢書>吉川弘文館、1987年。 |
| 『広瀬淡窓』 深町浩一郎、岡田武彦監修、<西日本人物誌15>西日本新聞社、2002年。 |
史跡
| ;長福寺(ちょうふくじ)。 |
| 寛永8年(1631年)に創建された豆田上町にある真宗大谷派の寺院である。 |
| 山号は照雲山である。 |
| この寺の僧である法幢に詩経を学び、後に倉重湊のすすめによって寺境内にあった学寮を借りて咸宜園の前身となった塾を開いた。 |
| 本堂は、国の重要文化財に指定されている。 |
| ;咸宜園(かんぎえん)。 |
| 広瀬淡窓が設立した私塾。 |
| 国の史跡に指定されている(詳細は咸宜園を参照のこと)。 |
| ;長生園(ちょうせいえん)。 |
| 日田市中城町にある広瀬家の墓所である。 |
| 元は、広瀬三右衛門(淡窓の弟)の別邸があった地で「長生園」はその別邸の名前である。 |
| 後に淡窓が墓所に選び、淡窓自身の後に青邨や林外の墓が置かれた。 |
| 国の史跡に指定されている。 |
その他
| 大分県日田市には淡窓の名を冠した「淡窓町(大字淡窓)」や「淡窓図書館」がある。 |
| 淡窓図書館は、以前は咸宜園跡の北隣に位置していたが、現在は700mほど東の上城内町に移転。 |
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1631年
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創建された豆田上町にある真宗大谷派の寺院で... |
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1805年
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長福寺に初めの塾を開き、これを後の咸宜園へ... |
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