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庄松
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司馬遼太郎
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弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵名マイトレーヤ(Skt.&x092e;&x0948;&x0924;&x094d;&x0930;&x0947;&x092f;)、パーリ名メッテイヤ(Pl.metteyya)は仏教の菩薩の一...
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戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。本願寺第十一世。妻(裏方)は三条公頼の三女の如春尼。子に教如・顕尊・准如がいる。
富楼那
釈迦十大弟子の一人。説法第一。十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、弁舌にすぐれていたとされる。
菩薩
修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていった。
須菩提
釈迦十大弟子の一人である。解空第一。また無諍第一、被供養第一とも称される。
阿那律
阿那律(あなりつ、アヌルダなど、名前については後述)釈迦十大弟子の一人。天眼第一。釈迦の従弟。
優波離
釈迦の十大弟子の一人。持律第一と称せられた。
公弁法親王
江戸時代の天台宗僧侶。後西天皇の第6皇子、貴宮秀憲親王。出家後、親王宣下を受け法親王となる。毘沙門堂門跡のほか日光山(東照宮、輪王寺門跡)、東叡山寛...
迦耶・迦葉
釈迦の弟子の一人。三迦葉の三男。迦耶(ガヤー)は象と訳し、彼がマガダ国のガヤー(迦耶、象頭山)の城内に住んでいたためこの名がある。彼も兄のウルヴェ...
那提・迦葉
那提・迦葉(なだい・かしょう、ナディー・カッサパ)は釈迦の弟子の一人。三迦葉の次男。那提(ナディー)は河川と訳すが、マガダ国のガヤー(迦耶)城付近...
プロフィール
庄松とは
概説・人物
本寂上人とのエピソード
庄松(しょうま、寛政11年(1799年)-明治4年(1871年)3月4日)は、浄土真宗の信仰に生きた市井の人で、その言行から妙好人として著名である。讃岐の庄松と呼称されることが多い。
概説・人物
妙好人庄松は、
鈴木大拙
によって世に紹介された。
大拙は「浄土系
信者
の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる」(『日本的霊性』)と、庄松の言行を評価し、以後、現代に至るまで浄土真宗の門徒を中心に広く知られている。
庄松は、讃岐国大内郡土居村(現香川県東かがわ市土居)に、谷口清七の子として生まれた。
小作農の家であったので貧しく、縄ないや草履づくりなどもし、その間にも子守や寺男としても働いていたと伝えられている。
生涯独身を通し、僅かな田畑を耕して生涯を終えた。
庄松の性格は直情径行であったので、さまざまな苦悩があったようであるが、旦那寺である三本松の
勝覚
寺住職の融海がわが子のように可愛がったり、役僧の周天によって導かれて、次第にその信仰を深めていったといわれる。
勝覚
寺は西本願寺末、後に真宗興正派。
庄松の信仰は属していた講(真宗の信仰者組織)が身口意の三業帰命を厳しく説くものであった。
その言行は時には一言居士の直言にも似た皮肉に満ちたものでありながらも、暖かい慈悲の心が感じられるものが多い。
本寂上人とのエピソード
同行5、6人と一緒に本山興正寺に参り、帰敬式を受けるとき。
本寂上人がお出ましになり、庄松の「おかみそり」をすませ、次の人に移ろうとしたとき、ご門主の袖を引き止めて「あにき覚悟はよいか」といった。
ご門主は振り返って庄松をごらんになり、そのまま続けた。
式が終わると、奥から使いの僧がきて「いまご門主さまの法衣の袖を引いた同行はどこにおるか、ご前に出られよ」と。
庄松は礼儀作法も知らないので、ご前であぐらをかいて座りこみました。
ご門主「先ほど私の法衣を引っ張ったのはその方か」。
庄松「ヘエ、おらであった」。
ご門主「何と思って引っぱったのだ」。
庄松「ヘエ それは、そんな立派な赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄を逃れることならぬで、後生の覚悟はよいかと思うて聞いてみたんじゃ」。
ご門主「ほほう 赤い衣を着ても地獄は逃れぬかの 私もそれが聞きたいためにそなたを呼んだのじゃ。
私を敬うてくれる人はたくさんいるが、親身になって後生の意見をしてくれたのは、そなた一人じゃ、よう意見してくれた。
しかしそなたはどうじゃ、信をいただいたか」。
庄松 「ヘエ、いただきました」。
ご門主「その信をいただいた姿を一言もうしてみよ」。
庄松 「何ともない」。
ご門主「それで後生の覚悟はよいのか」。
庄松 「そりゃわからぬ」 。
ご門主「わからぬで浄土へ参れると思うのか」。
庄松 「そりゃ親分に聞いてもろたらようわかる」。
ご門主「親分とは誰のことか」。
庄松 「ご本堂におられる阿弥陀様のことじゃ、お浄土参りはわしの仕事じゃないし、わしに聞いたとてわかるものか」。
ご門主「おお よく申した。
往生の一定は弥陀のはからいである。
我が機のはからいではない。
おまえはまことに正直な男じゃ、今日は兄弟の杯をするぞよ」。
ご門主は非常に喜ばれて、兄弟分の杯をかわしたそうである。
庄松 - Wikipedia
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