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プロフィール
- 建川美次とは
- 経歴
- 年譜
- エピソード
- 親族
- 伝記
- 参考文献
建川美次(たてかわよしつぐ、1880年(明治13年)10月3日-1945年(昭和20年)9月9日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
| 新潟県新潟市で地方官吏・野崎美孝の三男として生まれ、同地方官吏・建川周平の養嗣子となる。 |
| 長岡町立阪之上尋常小学校、高田中学校を経て旧制新潟中学校卒。 |
| 11月、陸軍士官学校第13期同期にはのちの陸軍大将乃木希典の長男乃木勝典がいる。 |
| )を卒業(兵科:騎兵)し、見習士官を経て陸軍騎兵少尉任官。 |
年譜
| 1901年(明治34年)11月陸軍士官学校(13期)卒業。 |
| 1902年(明治35年)6月任陸軍騎兵少尉・騎兵第9連隊附。 |
| 1904年(明治37年)11月任陸軍騎兵中尉。 |
| 1905年(明治38年)12月陸軍騎兵学校教官。 |
| 1909年(明治42年)6月任陸軍騎兵大尉。 |
| 12月陸軍大学校(第21期、優等)卒業・参謀本部員。 |
| 1911年(明治44年)8月イギリス駐在。 |
| 1913年(大正2年)7月インド駐剳武官。 |
| 1916年(大正5年)1月参謀本部附・欧州戦争従軍(観戦武官)。 |
| 5月任陸軍騎兵少佐。 |
| 8月イギリス軍従軍。 |
| 1918年(大正7年)3月参謀本部員。 |
| 1919年(大正8年)7月任陸軍騎兵中佐。 |
| 1920年(大正9年)7月参謀本部附仰附(国際連盟陸軍代表随員)。 |
| 1922年(大正11年)12月騎兵第1連隊附。 |
| 1923年(大正12年)3月騎兵第5連隊長。 |
| 8月任陸軍騎兵大佐。 |
| 1924年(大正13年)12月参謀本部課長。 |
| 1928年(昭和3年)3月陸軍少将・支那公使館附武官。 |
| 1929年(昭和4年)8月参謀本部第2部長。 |
| 1931年(昭和6年)8月参謀本部第1部長。 |
| 12月ジュネーブ軍縮会議全権随員。 |
| 1932年(昭和7年)2月参謀本部附仰附。 |
| 7月国際連盟常設委員会陸軍代表。 |
| 1933年(昭和8年)3月第10師団留守司令官。 |
| 1934年(昭和9年)6月第10師団長。 |
| 1935年(昭和10年)12月第4師団長。 |
| 1936年(昭和11年)8月予備役編入。 |
| 1940年(昭和15年)10月駐ソ大使。 |
| 1944年(昭和19年)8月大政翼賛会総務、大日本翼賛壮年団長。 |
| 1945年(昭和20年)9月9日死去。 |
エピソード
| 駐ソ大使在任中の4月13日、日ソ中立条約が締結された。 |
| 調印後、スターリンとモロトフ外相が帰国の途につく日本側代表団をモスクワの駅に見送りにやって来た。 |
| 一行は代表団のメンバー達と互いに抱擁し合い、肩を叩き合い、別れの挨拶を交わしていた。 |
| スターリンは建川のもとにも歩み寄り友好のしるしに肩を叩いた。 |
| この時、かなり強く叩いたらしく、小柄な体格(身長147cm)の建川は三、四歩たじたじと後にさがってしまった。 |
| その光景を見た松岡外相は、人目も憚らず大笑いしたという。 |
親族
| 妻建川敏子森岡正元(陸軍少将)の娘。 |
| 息子建川勇(陸軍中尉)。 |
| 娘婿鈴木康(陸軍大佐)。 |
伝記
| 中島欣也『残影敵中横断三百里-建川斥候長の生涯』新潟日報事業社、1998年。 |
参考文献
| 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会、1991年初版、1994年第3刷など。 |
| 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 |
| 外山操編『陸海軍将官人事総覧陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 |
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