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藤原定家
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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後白河天皇
後白河天皇(ごしらかわてんのう、大治2年9月11日(1127年10月18日)-建久3年3月13日(1192年4月26日)、在位:久寿2年7月24日(1155年8月23日)-保元3年8月1... |
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馬場あき子
東京都出身の歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。朝日歌壇選者。古典や能に対する造詣が深く、喜多実に入門、新作能の制作も行って... |
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以仁王
平安時代末期の皇族。後白河天皇の第三皇子。「以仁王の令旨」を出して源氏に平家打倒の挙兵を促した事で知られる。邸宅が三条高倉にあったことから、高倉宮... |
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法然
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、1175年(承安5年)、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀... |
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守覚法親王
平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての皇族・僧。父は後白河天皇。母は藤原季成の娘成子。真言宗仁和寺第6世門跡。永暦元年(1160年)覚性入道親王に師事し... |
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慈円
鎌倉時代の天台宗僧侶である。歴史書『愚管抄』を記した。諡号は慈鎮和尚で一般に吉水僧正とも呼ばれ、また『小倉百人一首』では、前大僧正慈円と称されてい... |
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玉の緒
玉の緒
玉の緒とは、命のことです。女性の秘めた恋心を抽象的にお菓子に表現しました。
辻調グループ校 和菓子助教授 定岡 宏和 ... |
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藤原季成
平安時代末期の公卿。藤原北家閑院流。権大納言藤原公実の七男。正二位・権大納言。加賀大納言と号す。 |
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高倉天皇
平安時代末期の第80代天皇(在位:仁安3年2月19日(1168年3月30日)-治承4年2月21日(1180年3月18日))。諱は憲仁(のりひと)という。 |
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亮子内親王
第77代後白河天皇の第1皇女。母は高倉三位藤原成子(大納言藤原季成の女)。伊勢斎宮、のち安徳天皇・後鳥羽天皇の准母・皇后宮、女院。院号は殷富門院、法名... |
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寂蓮
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。 |
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平井啓
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター、人間科学研究科人間行動学講座、医学系研究科生体機能補完医学講座助教と国立がんセンター中央病院精神腫瘍... |
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藤原俊成
師事
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ葉室家に養子に入り... |
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石丸晶子
国文学者、文芸評論家。東京経済大学名誉教授。東京生まれ。1965年東京大学美術史学科卒、68年同国文科卒、71年同大学院修士課程修了、75年同博士課程単位取... |
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藤原成子
平安時代後期・後白河天皇後宮の女官。閑院流権大納言藤原季成の娘。別名高倉三位局。待賢門院璋子の姪で、後白河天皇とは従姉妹にあたる。邸宅が三条高倉に... |
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小田剛
left 小田剛 日鉄鉱業 更新日: 1999-05-26 ■ 小田剛【おだ・たけし】 【会社】 日鉄鉱業 【経歴】
九州工業大工学部卒。58(昭和33)年日鉄鉱業入社... |
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西村朗
西村朗(にしむらあきら、1953年9月8日-)は日本の現代音楽の作曲家。 |
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出川通
出川通 [デガワトオル] 1950年島根県生まれ。東北大学大学院工学研究科修了(工学博士)。日本の大手重工業メーカーにて研究開発から各種コーポレートベン... |
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プロフィール
式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう、久安5年(1149年)-建仁元年1月25日(1201年3月1日))は、平安時代末期の皇族。 後白河天皇の第3皇女、母は 藤原成子( 藤原季成の女)で、 守覚法親王・ 亮子内親王(殷富門院)・高倉宮 以仁王は同母兄弟。 高倉天皇は異母弟にあたる。賀茂斎院として萱斎院・ 大炊御門斎院などと号された。法号承如法。歌人として新三十六歌仙の1人に数えられている。なお、内親王の名を「ショク ...
略伝
| 平治元年(1159年)10月25日、内親王宣下を受け斎院に卜定。 |
| 以後およそ10年間、嘉応元年(1169年)7月26日に病により退下するまで賀茂神社に奉仕した。 |
| 退下後は母の実家高倉三条第、その後父・後白河院の法住寺殿内(萱御所)等に暮らし、元暦2年(1185年)8月10日、准三宮宣下を受ける。 |
| 一時叔母・八条院暲子内親王の下に身を寄せたが、八条院とその猶子の姫宮(以仁王王女、式子内親王の姪)を呪詛したとの疑いをかけられて、押小路殿に移り出家したらしい。 |
| 建久3年(1192年)、後白河院死去により大炊御門殿ほかを遺領として譲られたが、大炊御門殿は九条兼実に事実上横領され、また同7年(1196年)には橘兼仲の妻を巡る事件(後白河院の霊が託宣をしたと偽り、夫婦共に流罪となった)に連座し洛外追放の処罰を受けるなど、身辺多端であった(この事件についてはやがて処分が撤回された)。 |
| 兼実失脚後は大炊御門殿へ移り、正治元年(1199年)頃から病がちとなる。 |
| 同2年(1200年)秋に東宮守成親王(後の順徳天皇)を猶子とする話が出たが、病重く実現しないままに建仁元年(1201年)1月25日、享年53歳で死去した(死去前後の病状は藤原定家『明月記』に詳しい)。 |
歌作
| 『新古今和歌集』の代表的女流歌人として知られ、藤原俊成に師事して多くの優れた作を残した(彼の『古来風躰抄』は内親王に奉った作品であるという説が一般的である)。 |
| 『後鳥羽院御口伝』には「斎院はことももみもみとあるやうに詠まれき」とあるように、艶麗でありながら俊成の閑寂さをも併せもつ独自の歌境がその魅力であると言えるだろう。 |
| 季の歌と特に恋歌に秀作が多く、自らを内に閉じこめるような深沈とした憂愁のさまや、夢と現実との狭間にある曖昧な様子や感傷的な追憶を好んで詠むこと、運命に対して弱い自分を守ろうとする凛乎とした強さが歌のうちにあることなどから、その生涯や恋愛についてさまざまな推測が成されるが、いずれも憶測の域を出ていない。 |
| 歌作はその大半が題詠であり、このことも彼女の生涯を考証するうえでの障害の一つとなっている。 |
| 後鳥羽院による『正治初度百首』の作者の一人としてこれを詠進した以外には歌会・歌合などの記録も残っていない。 |
| なお内親王にとっては、現存する作品のなかではこの百首歌が最後の作品である。 |
| 勅撰集では『千載和歌集』に初出(10首)。 |
| 以下『新古今和歌集』に44首採られたのを初めとして勅撰撰入は類計157首。 |
| 家集に『式子内親王集』(一名『萱斎院集』)があり、400首足らずの作品が現存する。 |
| 家集『式子内親王集』の内容はきわめて不十分で、本文としても筋の悪いものが多い。 |
| 内親王の作ははやく散逸してしまったらしく、ある時期まで残っていた3つの百首歌(うち1つが『正治百首』)を後人がまとめ、さらに勅撰集にあって上記3百首歌のなかに見られない作60首余を拾って成ったのが『式子内親王集』である。 |
| このほかに彼女の作として現在までに知られているのは10数首があるのみである。 |
定家との関係
| 藤原俊成の息子定家は養和元年(1181年)以後、折々に内親王のもとへ伺候した。 |
| 一説によれば内親王のもとで家司のような仕事を行っていたのではないかとも言われているが、詳細ははっきりしない。 |
| 定家の日記『明月記』にはしばしば内親王に関する記事が登場し、特に死去の前後にはその詳細な病状が記されていることから、両者の関係が相当に深いものであったことは事実である。 |
| おそらくは定家から九条家歌壇の動向やいわゆる新儀非拠達磨歌などの情報を得たことなどもあったであろう。 |
| 後に中世後期になって、定家と内親王は秘かな恋愛関係にあったのだとする説があらわれ、これが能『定家』などを生む契機となった。 |
| 一般にこの説は中世歌学特有の伝説の類として否定されているが、文献学的に言えば内親王に関する資料があまりにも少ないがために、これを積極的に肯定することも、あるいは否定することもできないというのが実情である(定家が内親王より13歳年下であるというのが否定説の唯一の根拠)。 |
| また近年法然とのあいだに消息の往来があったことが判明し、彼が密かな思慕の対象であったとする説もあるが石丸晶子『式子内親王伝-面影人は法然』、これも定家説同様に決定的な根拠は何一つないといっていい。 |
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1159年
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内親王宣下を受け斎院に卜定 |
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1192年
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後白河院死去により大炊御門殿ほかを遺領とし... |
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式子内親王さんについてのひとこと紹介
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