| それまでISUフィギュアスケート選手権やISUチャンピオンシリーズ(現在のISUグランプリシリーズ)に出場した経験の無い、全くの無名選手が高難度のジャンプを決めたことは、大きな驚きをもって迎えられた。 |
| 1995-1996年シーズンからはISUグランプリシリーズにも参戦。 |
| 1999年世界選手権において、史上初めてショートプログラムでの4回転ジャンプ(トウループ)に成功斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.108。 |
| 2000年四大陸選手権では3位となった。 |
| 2度目のオリンピックとなった2002年ソルトレイクシティオリンピックでは、中国スケート連盟の理事長姚濱にペアで優勝候補の一角だった申雪/趙宏博組を差し置いて中国チームで最も注目してほしい選手と言わせた。 |
| しかし、ショートプログラムでは4回転トウループで失敗、3回転ルッツの予定が2回転になり19位、フリースケーティングでは3度の4回転ジャンプ(4回転トウループ、4回転サルコウ、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーション)を成功させたが16位に終わった。 |
| その後は徐々に評価を上げていき、2004年世界選手権では7位入賞を果たした。 |
| しかし新採点システム(ISUジャッジングシステム=コード・オブ・ポイント)施行後は再びその評価を落とす形となった。 |
| 3度目のオリンピックとなった2006年トリノオリンピックでは、出場した全選手中唯一4回転サルコウを成功させ10位。 |
| オリンピック後、30歳の誕生日(現地時間では30歳の誕生日の前日)に行われた2006年世界選手権のフリースケーティングで4回転トウループ‐3回転トウループコンビネーションと4回転サルコウを成功させ周囲を驚かせ国際大会からは退いた。 |