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光厳天皇
南北朝時代の北朝初代天皇とされている(在位:元弘元年9月20日(1331年10月22日)-元弘3年/正慶2年5月25日(1333年7月7日))。諱を量仁(かずひと)という。 |
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室町時代の第103代天皇(在位寛正5年7月19日(1464年8月21日)-明応9年9月28日(1500年10月21日))。諱は成仁(ふさひと)。 |
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足利義教
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先生情報 藤原信子 料理研究家 クッキングコーディネーター 大阪府出身 ■先生のプロフィール 和歌山大学在学中より、中川敏子氏に師事。30歳で独立後、35歳で... |
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後奈良天皇
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プロフィール
- 後花園天皇とは
- 系譜
- 略歴
- 御製
- 在位中の元号
- 陵墓・霊廟
後花園天皇(ごはなぞのてんのう、応永26年6月18日(1419年7月10日)-文明2年12月27日(1471年1月18日))は、室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)-寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱を彦仁(ひこひと)という。
系譜
| 崇光天皇の孫の第一王子。 |
| 母は庭田経有の娘、敷政門院・源幸子。 |
| 伏見宮家は持明院統の嫡流に当たる。 |
| 女院:大炊御門信子(嘉楽門院)(1411-1488)-藤原孝長女、大炊御門信宗養女。 |
| 第一皇女:観心女王(1434-1490)-安禅寺。 |
| 第一皇子:成仁(ふさひと)親王(後土御門天皇)(1441-1500)。 |
| 典侍:日野郷子-日野秀光女。 |
| 皇女(真乗寺宮)(?-1482)-真乗寺。 |
| 宮人:三条冬子(1441-1489)-三条実量女。 |
| 皇女:照厳女王(?-1464)-大聖寺門跡。 |
略歴
| 先代の称光天皇は応永29年(1422年)以降、幾度か危篤状態に陥るなど病弱で皇子が無く、称光天皇の同母弟の小川宮が応永32年(1425年)に早世しており、称光天皇の父で院政を敷いていた後小松上皇は後南朝の動きを牽制する必要があった。 |
| 正長元年(1428年)に称光天皇が危篤に陥ると後南朝勢力などが活動の気配を見せたため、室町幕府6代将軍に就任することになっていた足利義宣は伏見御所にいた彦仁王(後花園天皇)を保護し、後小松上皇に新帝指名を求めた。 |
| 同年7月20日に称光天皇が崩御すると、彦仁王は後小松上皇の猶子となり、親王宣下のないまま7月28日に践祚した。 |
| 翌年の永享元年(1429年)12月27日に即位した。 |
| 称光天皇から後花園天皇に皇位が継承されて以降も後小松上皇による院政が継続されたが、永享5年(1433年)10月に後小松上皇が崩御して後は30年余り親政を行った。 |
| この間、各地で土一揆が起こり、永享の乱や嘉吉の乱などでは治罰綸旨を発するなど政治的役割も担った。 |
| 同11年(1439年)6月に勅撰和歌集(二十一代集)の最後にあたる『新続古今和歌集』が成立。 |
| 嘉吉3年(1443年)9月には後南朝勢力が土御門内裏に夜襲をかけ、後花園天皇は逃れるが、三種の神器の一部を奪われた(禁闕の変)。 |
| 奪われた神器のうち、剣は清水寺で発見されるが、神璽(曲玉)は持ち去られた。 |
| 文安元年(1444年)2月、同母弟の貞常王に親王宣下を行い、同4年(1447年)11月、父に太上天皇の尊号を奉った。 |
| 享徳4年(1455年)1月、後二条天皇の5世孫にあたる木寺宮邦康王に親王宣下を行った。 |
| 長禄元年(1457年)12月に、嘉吉の乱で没落した赤松氏の遺臣が後南朝の行宮を襲って神璽を奪還し(長禄の変)、翌年8月には全ての神器が天皇の手中に帰することになる。 |
| 寛正2年(1461年)4月、亀山天皇の5世孫にあたる常盤井宮全明王に親王宣下を行った。 |
| 同3年(1462年)10月に、皇子の成仁親王に天皇としての心得を説いた『後花園院御消息』を与えている。 |
| 同5年(1464年)7月19日に成仁親王(後土御門天皇)に譲位して上皇となり、左大臣足利義政を院執事として院政を敷いた。 |
| 応仁元年(1467年)に京都で応仁の乱が起こると、東軍細川勝元から西軍治罰の綸旨の発給を要請されたが、上皇はこれを拒否、戦乱を避けて後土御門天皇とともに室町第へ移り、同年9月20日に出家した。 |
| 法名を円満智と称した。 |
| 文明2年(1470年)12月27日、中風のために室町第で崩御した。 |
| 翌年1月2日に後文徳院と追号されたが、漢風諡号(文徳天皇)に「後」字を加えた追号(加後号)は先例がないとする一条兼良の意見があり、2月16日に後花園院と改められた。 |
| 詩歌管弦に堪能で、闘鶏や猿楽・松はやしなどを好み、また学問にも秀でた。 |
| 長禄・寛正の飢饉に際しては、奢侈に明け暮れる将軍足利義政に対して、漢詩を以って戒めたとするエピソードもある。 |
御製
| 思へただ空にひとつの日の本に又たぐひなく生まれ来し身を。 |
在位中の元号
| 正長(1428年7月28日)-1429年9月5日。 |
| 永享1429年9月5日-1441年2月17日。 |
| 嘉吉1441年2月17日-1444年2月5日。 |
| 文安1444年2月5日-1449年7月28日。 |
| 宝徳1449年7月28日-1452年7月25日。 |
| 享徳1452年7月25日-1455年7月25日。 |
| 康正1455年7月25日-1457年9月28日。 |
| 長禄1457年9月28日-1460年12月21日。 |
| 寛正1460年12月21日-(1464年7月19日)。 |
陵墓・霊廟
| 京都府京都市右京区京北井戸町の後山国陵(のちのやまくにのみささぎ)。 |
| 常照皇寺内に所在し、光厳天皇陵と同域。 |
| 文明3年(1471年)1月3日に悲田院にて火葬して埋骨し、翌月、天皇の遺詔によって常照皇寺の光厳天皇陵の傍に移した。 |
| 幕末修陵の際に光厳天皇陵と併せて山国陵と称したが、明治2年(1869年)現陵号に改定。 |
| なお、分骨所が京都市上京区般舟院前町の般舟院陵(はんしゅういんのみささぎ)、火葬塚が上京区扇町の大應寺境内にある。 |
| この火葬塚は、京都府内における近世以前の皇室の陵墓・火葬塚の中で、学術上最も確実なものの一つであるといわれる。 |
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1425年
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早世しており、称光天皇の父で院政を敷いてい... |
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1467年
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京都で応仁の乱が起こると、東軍細川勝元から... |
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