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徳川御三家
単に御三家(ごさんけ)ともいい、徳川氏のうち徳川将軍家(将軍家)に次ぐ地位の次の3家のこと。尾張徳川家(尾張家・尾張藩)-始祖は徳川義直(徳川家康の9... |
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水戸徳川家
常陸国水戸にあった徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。単に水戸家ともいう。1606年(慶長11)9月23日、徳川家康の十一男である松平頼房が常陸国下妻10万... |
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徳川義直
江戸時代前期の大名。尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖である。 |
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紀州藩
江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山... |
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紀州徳川家
江戸時代に紀伊国・伊勢国を治めた徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。紀伊徳川家とも称され、単に紀州家、紀伊家ともいう。また、初代頼宣が常陸国に封... |
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平岩親吉
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の重臣。上野厩橋藩(前橋藩)主。のちに尾張犬山藩主。徳川家康の覇業を支えた功臣の一人であり、徳... |
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成瀬正成
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。犬山藩初代藩主で、尾張藩の付家老。成瀬正一の長男。母は熊谷直連の妹。通称は小吉、従五位下に叙任後は隼人正を... |
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御目見
御目見以上 【オメミエイジョウ】 1件の用語解説(御目見以上で検索) Tweet デジタル大辞泉 の解説 おめみえ‐いじょう〔‐イジヤウ〕【 ▽ 御... |
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竹腰正信
江戸時代初期の武将。山城守。尾張藩附家老を務めた竹腰家の祖。美濃国今尾藩初代当主。初代尾張藩主徳川義直の異父兄。竹腰正時の長男で、母は志水宗清の娘... |
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安藤直次
戦国時代から江戸時代前期の武将。安藤基能の長男で、紀伊田辺藩(紀州藩附家老)初代藩主。慶長5年(1600年)から元和2年(1616年)までは幕府老中を務めた。 |
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徳川頼宣
徳川家康の十男で、常陸国水戸藩、駿河国駿府藩、紀伊国和歌山藩の藩主を歴任して紀州徳川家の祖となる。母は側室の養珠院(お万の方)である。八代将軍徳川... |
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本多富正
安土桃山時代から江戸時代前期の武将。福井藩家老。越前府中城城主。本多重富の子。冨正とも。関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)に徳川家康の子、結城秀康の... |
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重盛さと美
日本のタレント。本名同じ。愛称は、さっちゃん。福岡県福岡市博多区出身。アヴィラ(旧アバンギャルド)所属。 |
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徳川斉荘
江戸時代の大名。天保7年(1836年)に田安徳川家4代当主、天保10年(1839年)に尾張徳川家12代当主となった。 |
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岡村隆史
日本のお笑い芸人、俳優であり、お笑いコンビナインティナインのボケ担当。相方は矢部浩之。大阪府大阪市東淀川区出身。吉本興業(東京本社)所属。身長156.5... |
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成瀬隼人
成瀬隼人 全てを見る(0件) しあこ*S*ヴァルガス(35) 帝(98) ... |
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足助
昭和39年 足助町に生まれる
55年 愛知県立豊田西高等学校入学
59年 愛知大学入学
63年 家業げたげんを継ぐ
平成10年 足助町商工... |
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徳川慶勝
江戸時代後期の大名。尾張藩(名古屋藩)14代・17代藩主。明治時代初期の政治家。尾張藩支藩であった美濃国高須藩主・松平義建の次男。母は徳川治紀の娘。兄... |
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結城秀康
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主。越前松平家宗家初代。 |
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プロフィール
- 御附家老とは
- 任務
- 尾張徳川家
- 紀伊徳川家
- 水戸徳川家
- 御三家以外の御附家老
- 研究書
- 関連項目
御附家老(おつけがろう)とは、徳川幕府初期、将軍家血統の貴公子が藩主(大名)になった際に、将軍より直接命を受けて附属された家老のことである。江戸時代では、将軍から付けられたので「御」をつけて呼ばれたが、現在では単に附家老(つけがろう)ということが多い。多い場合は十数人付けられたらしいが、通常はそのうちの筆頭家老を指す。 徳川御三家の附家老5氏が著名。
任務
| 政務や軍事の補佐を行うとともに、藩主の養育の任も受けていた。 |
| したがって身分としては、藩主の家来というよりも将軍直属のお目付け役という性格が強い。 |
| 時代が下るにしたがって藩ごと、附家老家ごとに考え方に差ができ、藩主に忠実に仕えて将軍家と対抗しようとしたり、逆に陪臣身分からの脱却を画策して藩主と対抗したり、藩内で派閥抗争を繰り広げる人物もあったようである。 |
尾張徳川家
| 平岩氏(尾張犬山12万3000石)。 |
| 平岩親吉が慶長12年(1607年)閏4月26日より徳川義直の附家老となる。 |
| 親吉は慶長16年(1612年)12月晦日没し、無嗣により除封された。 |
| 竹腰氏(美濃今尾3万8000石)。 |
| 竹腰正信が元和5年(1619年)より徳川義直の附家老となる。 |
| 慶応4年(1868年)1月24日明治政府により10代正旧が大名と認められる。 |
| 成瀬氏(尾張犬山3万5000石)。 |
| 成瀬正成が元和2年(1616年)より徳川義直の附家老となる。 |
| 慶応4年(1868年)1月24日明治政府により9代正肥が大名と認められる。 |
紀伊徳川家
| 安藤氏(紀伊田辺3万8000石)。 |
| 安藤直次が元和5年(1619年)7月19日より徳川頼宣の附家老となる。 |
| 慶応4年(1868年)1月24日明治政府により16代直裕が大名と認められる。 |
| 水野氏(紀伊新宮3万5000石)。 |
| 水野重央が元和5年(1619年)7月19日より徳川頼宣の附家老となる。 |
| 慶応4年(1868年)1月24日明治政府により10代忠幹が大名と認められる。 |
水戸徳川家
| 中山氏(常陸松岡→常陸太田→常陸松岡[手綱]2万5000石)。 |
| 中山信吉が徳川頼房の附家老となる。 |
| 慶応4年(1868年)1月24日明治政府により14代信徴が大名と認められる。 |
| 水野氏(安房・上総国内 石高不明)。 |
| 水野分長が徳川頼房の附家老となる。 |
| 分長は元和9年(1623年)没し、無嗣により除封された。 |
御三家以外の御附家老
| 本多氏(越前府中(武生)3万9千石)。 |
| 本多富正(本多重次の甥)が慶長6年(1601年)に徳川家康の子、結城秀康の越前藩一国68万石に附家老として従う。 |
| 以降幕末まで越前家筆頭家老として代々執政を行う。 |
| 当初は鬼作左・本多重次自身、もしくはその子を望まれていたのだが、陪臣扱いを嫌って甥実父は死別。 |
| 重次が養育を代わりに立てたとも言われている。 |
| 松平忠直の改易の際は独立大名化を打診されたが、越前松平家(藩初代の秀康)への恩義があると言って、正式な独立を固辞した。 |
| 一方、幕府では大名待遇を受けており、大名行列を組んでの参勤交代、その際の長刀を掲げたままでの、または駕籠に乗ったままでの関所通過の許可、江戸城内では柳の間詰め(四位以下の大名並)、幕府より浅草(後に本所)に江戸屋敷を拝領している。 |
| 将軍家の慶弔行事では諸大名と並んで献上を行い、江戸在勤の折は将軍に必ず御目見え、拝領物を頂く慣例となっており、その待遇は独立大名並であった。 |
| しかし廃藩置県後に本多家は陪臣として扱われ、士族とされるが、旧領民および旧家臣らがこれを不服として1870年(明治3年)に武生騒動を起こし、明治12年に華族に列せられ、1884年(明治17年)に男爵となった。 |
| 本多氏(越前丸岡4万石)。 |
| 本多成重(本多重次の子)は幕臣として5000石を食んでいたが、慶長18年(1613年)松平忠直(越前75万石)付の附家老となり、若年の忠直を前述の本多富正と共に支え、大坂の役などに活躍。 |
| 一説には重次が、送り込んだ甥の出世を見て、実子を福井藩にねじ込んだ(なので新参なのに石高が富正より少し高い)、とも。 |
| 忠直が後に改易・流罪となった際、成重(丸岡藩)は独立、大名となった。 |
| 小笠原氏(尾張犬山1万石)。 |
| 小笠原吉次が慶長5年(1600年)11月より松平忠吉(尾張清洲52万石)の附家老となる。 |
| 忠吉が慶長12年(1607年)3月5日没し、無嗣により除封されたため、吉次は慶長12年(1607年)閏4月29日下総佐倉へ転封され大名となった。 |
| 能見松平氏(越後三条2万石)。 |
| 松平重勝が慶長19年(1614年)より松平忠輝(越後高田60万石)の附家老となる。 |
| 忠輝が元和2年(1616年)7月5日不行跡により除封されたため、元和3年(1617年)12月下総関宿へ転封され大名となった。 |
| 鳥居氏(甲斐谷村[郡内]3万5000石)。 |
| 鳥居成次が元和2年(1616年)より徳川忠長(甲斐府中20万石→駿河府中50万石)の附家老となる。 |
| 2代忠房は寛永9年(1632年)10月28日忠長に連座し除封された。 |
| 朝倉氏(遠江掛川2万6000石)。 |
| 朝倉宣正が寛永元年(1624年)より徳川忠長の附家老となる。 |
| 寛永9年(1632年)忠長に連座し除封された。 |
| 稲葉氏(越後糸魚川2万石)。 |
| 稲葉正成が元和4年(1618年)2月より松平忠昌(越後高田25万石)の附家老となる。 |
| 正成は元和9年(1623年)退去したため除封された(のち寛永4年(1627年)2月に下野真岡2万石の大名となる)。 |
研究書
| 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年)ISBN4-7924-0617-X。 |
| 大宮守友・小山譽城編『奈良県・和歌山県の不思議辞典』(新人物往来社、1998年)ISBN4-404-02628-5。 |
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1601年
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徳川家康の子、結城秀康の越前藩一国68万石に... |
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