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徳川慶喜
江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年‐1868年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職... |
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井伊直弼
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幕末の大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の... |
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藤田東湖
江戸時代後期に活躍した水戸藩の政治家、水戸学藤田派の学者。東湖神社の祭神。 |
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江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主。水戸黄門としても知られる。諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうま... |
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島津斉彬
江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主(在任:嘉永4年(1851年)-安政5年(1858年))。島津氏の第28代当主である。 |
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伊達宗城
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阿部正弘
対立
江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主。江戸幕府老中首座。幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。阿部家宗家11代。 |
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会沢正志斎
日本の武士・江戸末期の水戸藩の儒者。水戸学の代表的思想家。父は会沢恭敬で長男、母は根本重政の娘。名は安(やすし)。字は伯民。通称は恒蔵。号は正志斎。 |
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吉田松陰
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家、である。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。 |
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徳川斉脩
常陸国水戸藩の第8代藩主。第7代藩主・徳川治紀の長男。官位は従三位。権中納言。正室は第11代将軍・徳川家斉の七女・峰姫(第12代将軍・徳川家慶の異母妹で... |
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徳川家斉
江戸幕府第11代征夷大将軍(在位:1787年-1837年)。御三卿一橋家・第2代当主徳川治済の長男。母は側室のお富の方。 |
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徳川慶篤
江戸時代後期の大名。常陸水戸藩第10代藩主。諡号は順公。最後の将軍・徳川慶喜の同母・長兄。 |
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徳川慶福
江戸幕府第14代征夷大将軍。父が第12代将軍徳川家慶の実の弟で、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主。初名は慶福(よし... |
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徳川昭武
清水徳川家第6代当主、のち水戸藩最後(第11代)の藩主。第9代水戸藩主徳川斉昭の十八男で、第10代藩主徳川慶篤、第15代将軍徳川慶喜の異母弟にあたる。生母... |
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徳川頼房
江戸時代初期の大名。常陸水戸藩初代藩主、水戸徳川家の祖。徳川家康の11男。 |
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水戸徳川家
常陸国水戸にあった徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。単に水戸家ともいう。1606年(慶長11)9月23日、徳川家康の十一男である松平頼房が常陸国下妻10万... |
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武田耕雲斎
幕末の人。水戸藩の天狗党の首領。本姓は源氏。家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系 甲斐源氏の流れで小笠原氏の庶流にあたる跡部氏。位階は贈正四位。 |
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橋本左内
幕末期の越前国福井藩士。家系は足利一門のひとつ、桃井氏後裔。号は景岳。諱は綱紀。父は橋本長綱、母は小林静境の娘。実弟は明治における陸軍軍医総監・男... |
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松平慶永
松平慶永 まつだいら よしなが
文政11年9月2日 〜明治23年6月2日 (1828〜1890) 写真1:近世名士写真 其2 白黒 ; 27.0×21.0cm 東京生まれ。幕末の... |
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プロフィール
- 徳川斉昭とは
- 略歴
- 家督相続
- 藩政改革
- 幕政参与
- 最期
- 人物・逸話
- 官職位階履歴
- 家系
徳川斉昭(とくがわなりあき)は、江戸時代末期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)の将軍・ 徳川慶喜の実父である。
略歴
| 第7代藩主・徳川治紀の三男。 |
| 母は公家の外山氏。 |
| 第15代将軍・徳川慶喜の実父である。 |
| 幼名は虎三郎、敬三郎。 |
| 諡号は烈公、字は子信、号は景山、潜龍閣。 |
| 本当はなりあきとは読まず、なりあきらと読むが、同時期に有名な島津斉彬がおり、混同を避けるために、なりあきと読まれる(但し、息子たちの場合、「昭」の字は「あき」と読む)。 |
| 神号は「押健男国之御楯命」(おしたけおくにのみたてのみこと)・「奈里安紀良之命」(なりあきらのみこと)など。 |
| 官位は従三位権中納言だが、薨後、正一位権大納言が贈られている。 |
| 藩政改革に成功した幕末期の名君の一人である。 |
| しかし将軍継嗣争いで井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。 |
家督相続
| 寛政12年(1800年)3月11日、水戸藩第7代藩主・徳川治紀の三男として水戸徳川家江戸小石川藩邸で生まれる。 |
| 母は公家の外山氏(日野家一門)であった。 |
| 幼少時から会沢正志斎のもとで水戸学を学び、聡明さを示した。 |
| 文政12年(1829年)、長兄で第8代藩主・徳川斉脩の死後、大名昇進を画策する附家老の中山信守を中心とした門閥派より第11代将軍・徳川家斉の第20子・恒之丞(徳川斉彊)を養子に迎える動きがあったが、これを抑えて下士層の支持を得て家督を継ぎ、第9代藩主となる。 |
藩政改革
| 天保2年(1832年)、有栖川宮織仁親王の皇女・登美宮吉子と結婚する。 |
| 藩政では藩校・弘道館を設立し、門閥派を押さえて、下士層から広く人材を登用することに勤めた。 |
| こうして、戸田忠太夫、藤田東湖、安島帯刀、会沢正志斎、武田耕雲斎、青山拙斎ら、斉昭擁立に加わった比較的軽輩の武士を用い藩政改革を実施した。 |
| 斉昭の改革は、水野忠邦の天保の改革に示唆を与えたといわれる。 |
| 天保8年(1837年)7月、斉昭は、。 |
| #「経界の義」(全領検地)。 |
| #「土着の義」(藩士の土着)。 |
| #学校の義(藩校弘道館及び郷校建設)。 |
| #「総交代の義」(江戸定府制の廃止)。 |
| さらに蝦夷地開拓や大船建造の解禁などを幕府に提言している。 |
| その影響力は幕府のみならず全国に及んだ。 |
| またこれにより水戸、紀州、尾張の付家老5家の大名昇格運動は停滞する。 |
| しかし、弘化元年(1844年)に鉄砲斉射の事件をはじめ、前年の仏教弾圧事件などを罪に問われて、幕命により家督を嫡男の徳川慶篤に譲った上で強制隠居と謹慎処分を命じられた。 |
| その後、水戸藩は門閥派の結城寅寿が実権を握って専横を行なうが、斉昭を支持する下士層の復権運動などもあって弘化3年(1846年)に謹慎を解除され、嘉永2年(1849年)に藩政関与が許された。 |
幕政参与
| 嘉永6年(1853年)6月、ペリーの浦賀来航に際して、老中首座・阿部正弘の要請により海防参与として幕政に関わったが、水戸学の立場から斉昭は強硬な攘夷論を主張した。 |
| このとき江戸防備のために大砲74門を鋳造し弾薬とともに幕府に献上している(うち1門が水戸の常磐神社に現存)。 |
| また、江戸の石川島で洋式軍艦「旭日丸」を建造し、幕府に献上した。 |
| 安政2年(1855年)に軍制改革参与に任じられるが、同年の安政の大地震で藤田東湖や戸田忠太夫らのブレーンが事故死してしまうなどの不幸もあった。 |
| 安政4年(1857年)に阿部正弘が死去して堀田正睦が名実共に老中首座になると、さらに開国論に対して猛反対し、開国を推進する井伊直弼と対立する。 |
| さらに第13代将軍・徳川家定の将軍継嗣問題で、徳川慶福を擁して南紀派を形成する井伊直弼に対して、息子である一橋慶喜を擁して一橋派を形成して直弼と争った。 |
| しかしこの政争で斉昭は敗れ、安政5年(1858年)に直弼が大老となって日米修好通商条約を独断で調印してしまい、さらに将軍職も慶福(家茂)を第14代将軍としてしまったのである。 |
| このため、安政5年(1858年)6月に将軍継嗣問題及び条約調印をめぐり、越前藩主・松平慶永と尾張藩主・徳川慶恕、一橋慶喜らと江戸城無断登城の上で井伊直弼を詰問したため、逆に直弼から7月に江戸の水戸屋敷での謹慎を命じられ、幕府中枢から排除された。 |
| 安政6年(1859年)には、孝明天皇による戊午の密勅が水戸藩に下されたことが井伊直弼の逆鱗に触れ、水戸での永蟄居を命じられることになり、事実上は政治生命を絶たれる形となった(安政の大獄)。 |
最期
| 万延元年(1860年)8月15日、蟄居処分が解けぬまま心筋梗塞により水戸で急逝した。 |
| 享年61(満60歳没)。 |
| 3月に起こった桜田門外の変から間もない時期であったために、当時は彦根藩士に暗殺されたのではないかとの風説が流れた。 |
人物・逸話
| 諡号の「烈公」にもあるように、まさに幕末をその荒々しい気性で生き抜いてきた人物であった。 |
| 斉昭は単に艶福家であったのみならず、女色に淫すること甚だしく、兄嫁・峯姫(徳川家斉の娘で、徳川家茂の父・徳川斉順の同母姉)の上臈・唐橋(元大奥女中)にも手を出していたと言われる。 |
| そのほかに、長男の嫁・線姫にも手を出した(そのため線姫は結婚5年で自害)などという説もある。 |
| また大奥の女性たちに対して、今で言うセクハラまがいの発言も多かったと指摘されている。 |
| このため、大奥の女性たちに忌み嫌われており、息子・慶喜の将軍継承争いにも影響したとされる。 |
| なお、斉昭は生涯に男女あわせて37人の子供をもうけたが、その多くが各地の藩主になったり、藩主に嫁いだりしている。 |
| 三田村鳶魚。 |
| 礼儀作法に厳しい性格であるため、幼い頃、寝相が悪かった息子の慶喜が寝る時に、枕の両脇に剃刀を立てて寝かせていた渋沢栄一『徳川慶喜公伝第4巻』平凡社〈東洋文庫107〉、1968年、p416、田中彰『明治維新の敗者と勝者』1980年、日本放送出版協会〈NHKブックス368〉、『人物日本の歴史19』小学館、1974年。 |
| 幼少期から水戸学の影響を受けたため、開国には猛反対していたが、西洋の物品に対しては大いに興味を示したといわれる。 |
| 『水戸黄門―江戸のマルチ人間・徳川光圀』鈴木一夫、中公文庫。 |
| 幕末期に人材の少なかった徳川家では唯一のカリスマ性と行動力を持ち合わせた人物であり、その死は幕府にとって痛手となった。 |
| 斉昭の死後、水戸藩では内紛が起こり、彼が見出した人材はことごとく自滅することとなる。 |
| 『水戸黄門―江戸のマルチ人間・徳川光圀』鈴木一夫、中公文庫。 |
| 徳川光圀と共に、茨城県の常磐神社に祭神として祀られている。 |
| http://komonsan.jp/mitukuni-and-nariaki/。 |
| 斉昭の詠んだ歌から水戸藩中屋敷址に弥生という地名が生まれたため、弥生時代の間接的な名付け親である。 |
| 斉昭は寵愛していた側室の地位を引き上げた。 |
| その側室は大喜びして金を無心したので斉昭は理由を尋ねた。 |
| すると「今までより地位が上がりましたので、衣装に費用が多くかかりますから」と答えた。 |
| 斉昭は「それには及ばぬ。 |
| これまでの衣装で我が前に務めよ」と申し渡したが、側室は「それでは体面が保てず、奉公が務まりません」と答えた。 |
| すると斉昭は激怒し「このようなときにおねだりするとは心違いも甚だしい。 |
| 奉公が務まらないというならば出仕は無用だ」と述べて出て行った。 |
| その後、斉昭はその側室の目通りを許さなかったという『続道聴塗説』、大郷信斎の。 |
| 水戸家は毎年幕府から1万両の援助金を受けていた。 |
| だが斉昭は「祖公以来、35万石で暮らすことが本意であり、倹約するのはこの石高で暮らすためである。 |
| 諸役人はこの趣旨に沿って生計をたてよ」と述べた『甲子夜話』松浦清、続編。 |
| 斉昭はその答えに驚くどころか「よくぞ正直に申した」と褒めて奥津を江戸家老に任命した『百草』、著者不明。 |
| それを知った他の水戸の博徒は恐れをなして他国に逃げ、水戸には博徒がいなくなったという『百草』、著者不明。 |
| 御三家の格式は非常に重いので表向きのことは変更できないだろうが、内向きのことである食事などには金などかけることはない」と述べ、翌日から部屋住みの頃の食事に変えさせた『甲子夜話』松浦清、続編。 |
官職位階履歴
| 寛政12年(1800年)3月11日-誕生。 |
| 文政12年(1829年)。 |
| 11月-水戸徳川家の家督を相続し、藩主となる。 |
| 11月18日-従三位に叙し、左近衛権中将に任官し、左衛門督を兼任。 |
| 文政13年(1830年)12月1日-参議に補任。 |
| 天保8年(1837年)2月28日-権中納言に転任。 |
| 天保15年(1844年)5月6日-隠居。 |
| 万延元年(1860年)8月15日-薨去。 |
| 文久2年(1862年)閏8月5日-贈従二位権大納言。 |
| 明治2年(1869年)12月20日-追贈従一位。 |
| 明治36年(1903年)6月27日-追贈正一位。 |
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1800年
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水戸藩第7代藩主・徳川治紀の三男として水戸... |
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1829年
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長兄で第8代藩主・徳川斉脩の死後、大名昇進... |
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