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つながりの強いひと
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徳川家斉
江戸幕府第11代征夷大将軍(在位:1787年-1837年)。御三卿一橋家・第2代当主徳川治済の長男。母は側室のお富の方。 |
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徳川斉荘
江戸時代の大名。天保7年(1836年)に田安徳川家4代当主、天保10年(1839年)に尾張徳川家12代当主となった。 |
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徳川斉朝
尾張藩の第10代藩主。徳川家斉の弟で一橋家嫡子だった徳川治国の長男。母は二条治孝の娘・乗蓮院。正室は徳川家斉の娘・淑姫(ひでひめ・清湛院)。官位は従... |
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徳川家慶
江戸幕府の第12代征夷大将軍(在位:1837年-1853年)である。11代将軍徳川家斉の次男で、母は側室の楽(香琳院)であった。 |
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徳川斉彊
江戸時代後期の紀伊国紀州藩の第12代藩主。清水徳川家第5代当主。11代将軍・徳川家斉の二十一男。母は吉江左門の娘・本性院。12代将軍・徳川家慶は異母兄であ... |
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徳川斉順
江戸幕府11代将軍徳川家斉の七男。清水徳川家第3代当主を経て、第11代紀州藩主に転出した。 |
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松平斉民
江戸時代末期の大名。美作国津山藩の第8代藩主。11代将軍家斉の14男で、12代将軍家慶の異母弟。母は牧野忠克の娘・八重(皆春院)。「確堂」の号で知られる。 |
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徳川斉匡
徳川御三卿の一つ田安徳川家第3代当主。一橋徳川家2代当主徳川治済の五男。母は丸山氏。江戸幕府11代将軍徳川家斉の異母弟にあたる。 |
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松平斉良
松平斉良 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 松平 斉良 (まつだいら なりよし、 文政 2年 10月24日 ( 1819年 12月1... |
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徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
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松平斉善
江戸時代後期の大名。福井藩の第15代藩主。江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉の二十二男。第12代将軍・徳川家慶の弟。官位は正四位下、越前守、左近衛権中将。... |
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池田斉衆
因幡国 鳥取藩 の世嗣。 江戸幕府 11代 将軍 徳川家斉 の十三男。母は側室お八重の方( 皆春院 )。正室は 池田斉稷 の娘。官位は従四位上、侍従、民部大輔... |
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蜂須賀斉裕
江戸時代末期の大名。阿波国徳島藩の第13代藩主。11代将軍・徳川家斉の二十二男。母は家斉の側室・お八重の方(皆春院)。正室は鷹司政通の娘・鷹司標子。子... |
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松平斉省
武蔵川越藩の嫡子。11代将軍徳川家斉の25男。母は側室本輪院。正室は川越藩第2代藩主・松平直温の娘。継室は池田斉政の娘。官位は従四位上、侍従、大蔵少輔、... |
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徳川慶臧
江戸時代の尾張藩第13代藩主。徳川斉彊の養女(徳川斉荘の娘)と婚約していた。田安徳川家第3代当主徳川斉匡の十男。幼名は鑑丸。初名は匡賢。官位は従三位権... |
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松平斉宣
江戸時代の大名。播磨明石藩第8代藩主。直良系越前松平家9代。11代将軍・徳川家斉の二十六男で、母は側室・本輪院。12代将軍・徳川家慶の異母弟。同母兄には... |
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プロフィール
徳川斉温(とくがわなりはる、文政2年5月29日(1819年7月20日)-天保10年3月20日(1839年5月3日))は、尾張藩11代藩主。従二位 権大納言。
略歴
| 正室は田安斉匡の娘・愛姫(俊恭院)、継室は近衛基前の養女(鷹司政煕の娘)・福君(琮樹院)。 |
| 文政5年(1822年)6月13日、従兄にあたる徳川斉朝の養子になった。 |
| 文政10年(1827年)8月15日、養父斉朝の隠居により、家督を相続した。 |
| 尾張藩の財政の建て直しなどに尽力したといわれるが、実際には無類のハト好きで、江戸藩邸に大量のハトを飼育し、藩費を浪費した。 |
| また、病弱の故をもって江戸藩邸に常住し、襲封後死去までの12年間、尾張藩領内に一度も入ったことがなかった。 |
| 死去に際して実子がなく、異母兄の徳川斉荘が養子となって家督を相続した。 |
官職位階履歴
| 1822年(文政5年)6月13日、尾張国名古屋藩主徳川斉朝の養子となる。 |
| 1826年(文政9年)5月28日、元服し、将軍徳川家斉の一字を賜り、斉温と名乗る。 |
| 従三位に叙し、左近衛権中将に任官。 |
| 1827年(文政10年)8月15日、藩主となる。 |
| 1830年(文政13年)4月18日、参議に補任。 |
| 1831年(天保2年)12月1日、権中納言に転任。 |
| 1837年(天保8年)8月28日、従二位に昇叙し、権大納言に転任。 |
| 1839年(天保10年)3月20日、薨去。 |
| 法名:良恭院殿譲譽盛徳源僖大居士。 |
| 墓所:名古屋市東区筒井の徳興山建中寺。 |
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徳川斉温さんについてのひとこと紹介
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