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つながりの強いひと
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徳川慶喜
江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年‐1868年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職... |
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徳川斉昭
江戸時代末期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)の将軍・徳川慶喜の実父である。 |
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渋沢栄一
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主... |
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徳川慶篤
江戸時代後期の大名。常陸水戸藩第10代藩主。諡号は順公。最後の将軍・徳川慶喜の同母・長兄。 |
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土屋挙直
常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。徳川斉昭の子で、徳川慶喜の弟に当たる。嘉永5年(1852年)9月19日、水戸藩主徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸屋... |
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松平喜徳
江戸時代の大名、明治時代の華族(子爵)。会津松平家第10代当主、守山松平家第9代当主。 |
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松平忠和
伊勢 桑名藩 の第5代藩主。奥平松平家第7代当主。 生涯 宝暦 9年( 1759年 )8月27日、 御三家 紀州藩 の第7代藩主・ 徳川宗将 の九男として 江戸 赤坂の紀... |
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水戸徳川家
常陸国水戸にあった徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。単に水戸家ともいう。1606年(慶長11)9月23日、徳川家康の十一男である松平頼房が常陸国下妻10万... |
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松平昭訓
松平昭訓(まつだいらあきくに、嘉永元年12月29日(1849年1月23日)-文久3年11月23日(1864年1月2日))は江戸時代の武士。水戸藩主徳川斉昭の十四男。江戸幕... |
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松平頼之
江戸時代末期の大名。陸奥守山藩の第7代で最後の藩主。水戸支流頼元系松平家8代。水戸藩主徳川斉昭の二十二男で、最後の将軍徳川慶喜の弟。明治2年(1869年)... |
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喜連川縄氏
江戸時代(幕末)の大名。下野喜連川藩の第11代藩主。 |
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榎本武揚
江戸幕末~明治期の武士・幕臣、政治家。海軍中将正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名前は「えのもとぶよう」と有職読みされることもある。 |
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池田茂政
備前岡山藩の第9代藩主。岡山藩池田家宗家11代。常陸水戸藩主・徳川斉昭の九男。正室は池田慶政の娘・萬寿子。子は池田勝吉(長男)、西尾勝順(次男・西尾忠... |
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池田慶徳
江戸時代末期、幕末の大名。因幡国鳥取藩12代藩主。のち鳥取藩知藩事。鳥取藩池田家宗家14代。常陸国水戸藩主徳川斉昭の五男で、母は側室松波春子。15代将軍... |
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松平武聰
石見浜田藩の第4代藩主。美作鶴田藩主。越智松平家8代。徳川慶喜は異母兄に当たる。初名は昭音。 |
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松平直侯
武蔵川越藩の第6代藩主。直基系越前松平家10代。徳川慶喜の異母弟である。天保10年(1839年)1月9日、常陸水戸藩主・徳川斉昭の八男として江戸小石川で生まれ... |
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宮地正人
日本の歴史家。東京大学名誉教授。前国立歴史民俗博物館館長。専門は日本近代史。福岡県久留米市出身。 |
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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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岩倉具視
贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。 |
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徳川光圀
江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主。水戸黄門としても知られる。諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうま... |
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プロフィール
- 徳川昭武とは
- 生涯
- 備考
- 略年表
- 登場作品
- 参考文献
- 関連サイト
徳川昭武(とくがわあきたけ)は、清水徳川家第6代当主、のち水戸藩最後(第11代)の藩主。第9代水戸藩主 徳川斉昭の十八男で、第10代藩主 徳川慶篤、第15代将軍 徳川慶喜の異母弟にあたる。生母は側室・万里小路建房の六女睦子(ちかこ)。初名は松平昭徳。字は子明。号は鑾山。諡号は節公。正室は中院通富の娘。子は 徳川武定(次男)など。 正仁親王妃華子の曽祖父。
生涯
| 嘉永6年(1853年)、江戸駒込の水戸藩中屋敷で誕生する。 |
| 幼名は余八麿。 |
| その半年後から水戸にて養育されるが、幕末の動乱のため、文久3年(1863年)には再度江戸入りする。 |
| 同年、京都で病に伏した兄昭訓の看護の名目により上京する。 |
| 当初は長者町の藩邸に滞在するが、禁門の変の後は東大谷長楽寺、本圀寺に滞在する(これにより滞京中の水戸藩士は本圀寺勢と称される)。 |
| 滞京中の佐幕活動は多忙を極め、禁門の変や天狗党の乱に際しては一軍の将として出陣するなど、幼年ながらも幕末の動乱に参加している。 |
| 第14代将軍徳川家茂の死去に伴い、諱を昭武と改める。 |
| 慶応2年(1867年)、清水徳川家を相続する。 |
| 同時にパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代としてヨーロッパ派遣を命じられる。 |
| 慶応2年(1867年)に使節団を率いて渡仏する。 |
| ナポレオン3世に謁見し、パリ万国博覧会を訪問する。 |
| 万博終了後に引き続き、幕府代表としてスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなど欧州各国を歴訪する。 |
| その間に、オランダ王ウィレム3世、ベルギー王レオポルド2世、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、イギリス女王ヴィクトリアに謁見した。 |
| 以後はパリにて留学生活を送る。 |
| 明治元年(1868年)、新政府からの帰国命令を受けて帰国する。 |
| 翌年には水戸徳川家を相続し、最後の水戸藩主に就任した。 |
| 明治2年(1869年)、版籍奉還により水戸藩知事となる(民部大輔を辞官)。 |
| 北海道の土地割渡しを出願し、明治2年(1869年)8月17日北海道天塩国のうち苫前郡、天塩郡、上川郡、中川郡と、北見国のうち利尻郡の計5郡の支配を命じられた。 |
| 明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により藩知事を免ぜられ、東京府向島の小梅邸(旧水戸藩下屋敷)に暮らす。 |
| 明治7年(1875年)、陸軍少尉に任官する。 |
| 初期の陸軍戸山学校にて、教官として生徒隊に軍事教養を教授している。 |
| 明治9年(1876年)にフィラデルフィア万国博覧会の御用掛となり訪米する。 |
| その後、フィラデルフィアからパリに向かい再び留学する。 |
| 明治13年(1881年)に帰国する。 |
| 明治16年(1883年)、甥(慶篤の長男)の篤敬に家督を譲り、翌年には戸定邸(千葉県松戸市)にて隠居した。 |
| 明治25年(1892年)、隠居後にもうけた次男武定が子爵に叙されて松戸徳川家を創設している。 |
| 明治43年(1910年)7月3日、死去。 |
備考
| ヨーロッパ派遣団一行の中には、渋沢栄一も名を連ねている。 |
| 斉昭の息子のうち、写真が現存するのは慶喜、昭武、慶徳、茂政のみである。 |
| 万国博覧会では欧州各国首脳と交流を深めたが、近世日本と各国列強との交流の始まりと認められる。 |
| 幕府によって作成が計画された勲章が「葵勲章」である。 |
| 自転車や狩猟、写真などの多彩な趣味を有した。 |
| 隠居後は静岡の慶喜との往来も盛んで、一緒に写真撮影や狩猟に出かけるなど交流を深めた。 |
| 写真撮影には熱心で、現在もなお多くの写真が残されている。 |
略年表
| 嘉永6年(1853年)-誕生。 |
| 文久3年(1863年)-上京して佐幕活動に従事。 |
| 従五位下侍従・民部大輔に任官。 |
| 元治元年(1864年)-天狗党討伐に出陣。 |
| 慶応2年(1866年)-昭武と改名。 |
| 清水徳川家を相続。 |
| 従四位下左近衛権少将。 |
| これ以後、欧州各国を歴訪するなどフランスにて留学。 |
| 明治2年(1869年)-フランスより帰国、水戸藩主に就任(水戸徳川家を相続)。 |
| 版籍奉還により水戸藩知事。 |
| 明治3年(1870年)-永世禄(3,500石)。 |
| 明治4年(1871年)-廃藩置県。 |
| 明治7年(1874年)-陸軍少尉任官。 |
| 明治8年(1875年)-陸軍戸山学校教官(生徒隊付)。 |
| 明治9年(1876年)-アメリカ万国博覧会御用掛としてアメリカへ派遣。 |
| 明治14年(1881年)-従三位、麝香間祗候。 |
| 明治15年(1882年)-大能牧場を復興。 |
| 明治17年(1884年)-戸定邸に居住。 |
| 明治25年(1892年)-嗣子武定、子爵授爵(松戸徳川家の創設)。 |
| 明治31年(1898年)-水戸徳川家を後見。 |
| 明治43年(1910年)-死去。 |
| 墓所:茨城県常陸太田市の瑞龍山。 |
登場作品
| 『獅子の時代』(NHK大河ドラマ、1980年、演:中村幸二)。 |
参考文献
| 須美裕『徳川昭武万博殿様一代記』(中公新書、1984年)。 |
| 宮永孝『プリンス昭武の欧州紀行』(山川出版社、2000年)。 |
| 『徳川昭武幕末滞欧日記』(松戸市教育委員会編 山川出版社1999年)。 |
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1853年
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江戸駒込の水戸藩中屋敷で誕生する |
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1867年
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清水徳川家を相続する |
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