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つながりの強いひと
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三田村邦彦
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徳川治宝
紀伊国紀州藩・第10代藩主(1789年-1824年)。8代藩主・徳川重倫の次男として生まれるが、安永6年(1777年)に9代藩主・徳川治貞の養子となる。母はおふさ(... |
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プロフィール
- 徳川治貞とは
- 生涯
- 人物・逸話
- 官歴
- TV番組
- 参考文献
徳川治貞(とくがわはるさだ)は、伊予西条藩の第5代藩主。のちに紀伊和歌山藩の第9代藩主。
生涯
| 享保13年(1728年)2月16日、和歌山藩の第6代藩主・徳川宗直の次男として生まれる。 |
| 寛保元年(1741年)に紀州藩の支藩である伊予国西条藩の第4代藩主・松平頼邑の養子となり、名を松平頼淳(まつだいらよりあつ)と改める。 |
| 宝暦3年(1753年)に西条藩の第5代藩主となる。 |
| 安永4年(1775年)2月3日、紀州藩の第8代藩主・徳川重倫が隠居すると、わずか5歳の岩千代(後の第10代藩主・徳川治寶)に代わって重倫の養子となって藩主となり、名を治貞と改める。 |
| なお、西条藩主は甥の松平頼謙が継いだ。 |
| 第8代将軍徳川吉宗の享保の改革にならって、藩政改革を行ない、紀州藩の財政再建に貢献している。 |
| 主に倹約政策などを重視した。 |
| 寛政元年(1789年)10月26日、死去。 |
| 享年62(満61歳没)。 |
| 後を養子の徳川治寶が継いだ。 |
人物・逸話
| 名君の誉れ高い熊本藩第8代藩主・細川重賢と並び「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と賞された名君で、紀麟公と呼ばれた。 |
| 紀州藩の財政を再建するため、自ら綿服と粗食を望んだ。 |
| 冬には火鉢の数を制限するまでして、死去するまでに10万両の蓄えを築いたという。 |
| このことから、「倹約殿様」ともいわれる。 |
官歴
| ※日付=旧暦墓所:和歌山県海南市の慶徳山長保寺。 |
| 1741年(寛保元年)12月19日-伊予国西条藩主の松平頼邑の養子となり、元服し、松平頼淳と名乗る。 |
| 1747年(延享4年)9月27日-玄蕃頭に遷任。 |
| 左近衛権少将如元。 |
| 1753年(宝暦3年)。 |
| 7月-家督相続し、西條藩主となる。 |
| 8月4日-左京大夫に転任。 |
| 左近衛権少将如元。 |
| 1775年(安永4年)。 |
| 2月3日-紀伊国紀州藩主徳川重倫の養子となり、家督相続し、紀州藩主となる。 |
| 第10代将軍徳川家治の諱を一字賜り、治貞と名乗る。 |
| 2月22日-従三位に昇叙し、参議に補任し、右近衛権中将を兼任。 |
| 1776年(安永5年)2月15日-権中納言に転任。 |
| 1789年(寛政元年)10月26日-薨去。 |
| 享年62(満61歳没)。 |
| 法名は、香嚴院殿三品前黄門心齋圓通。 |
TV番組
| 平成6年(1994年)4月から10月にかけて、テレビ朝日系列で『殿さま風来坊隠れ旅』という番組が放送された。 |
| これは紀伊藩主徳川治貞(三田村邦彦)と尾張藩主徳川宗睦(西岡徳馬)が主役の勧善懲悪時代劇で、もちろんフィクションである。 |
| しかし、一般にはあまり知られていなかった徳川治貞の名が全国に知れ渡る一助となった。 |
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1728年
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和歌山藩の第6代藩主・徳川宗直の次男として... |
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1741年
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紀州藩の支藩である伊予国西条藩の第4代藩主... |
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