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つながりの強いひと
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大島明秀
著者情報 大島 明秀 1975年大阪府生まれ。1999年関西学院大学文学部日本語日本文学科卒業。2003年九州大学大学院修士課程修了(比較社会文化)。2008年九州大... |
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司馬江漢
江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重(すずきはるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。字は君嶽、君岡、司馬氏を称した。ま... |
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前野良沢
豊前国中津藩(現在の大分県中津市)の藩医で蘭学者。『解体新書』の主幹翻訳者の一人。良沢は通称で、名は熹(よみす)、字は子悦、号は楽山、のちに蘭化。 |
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杉田玄白
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。杉田... |
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俊才
株式会社 俊才塾 お申し込み エントリー 会社概要/Company Profile 社名 株式会社 俊才塾 所在地 東京都中央区日本橋本町3−6−2
小津本館ビル5F 電... |
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大田南畝
天明期を代表する文人・狂歌師。漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。勘定所幕吏として支配勘定にまで上り詰めたが、一方、余... |
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平賀源内
平賀源内(ひらがげんない、享保13年(1728年)-安永8年12月18日(1780年1月24日))は江戸時代の日本の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家(蘭画家... |
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本木良永
師事
本木良永(もときよしなが/りょうえい、享保20年6月11日(1735年7月30日)-寛政7年7月17日(1794年8月12日))は江戸時代のオランダ通詞。通称は栄之進、仁太... |
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大槻玄沢
仙台藩の支藩一関藩(田村氏領)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有... |
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本居宣長
江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたこ... |
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高野長英
江戸時代後期の医者・蘭学者。通称は悦三郎、諱は譲(ゆずる)。号は瑞皐(ずいこう)。実父は後藤実慶。養父は叔父・高野玄斎。江戸幕府の異国船打払令を批... |
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平田篤胤
江戸時代後期に国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。幼名を正吉、通称を半... |
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エンゲルベルト・ケンペル
ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。 |
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安藤昌益
江戸時代中期の医者・思想家。秋田藩出身。号を確龍堂良中。 |
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青木昆陽
江戸時代中期の儒学者、蘭学者である。名は敦書、字は厚甫、通称は文蔵、昆陽と号した。 |
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新井白石
江戸時代中期に活躍した旗本・政治家・学者である。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に渡る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、... |
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松平定信
江戸時代の大名、政治家。陸奥国白河藩第3代藩主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。定綱系久松松平家第9代当主。 |
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高橋至時
江戸時代後期の天文学者。字は子春、号は東岡・梅軒。通称作左衛門。大阪定番同心の子として生れ、子に天文学者で伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完... |
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稲村三伯
稲村三伯(いなむらさんぱく、宝暦8年(1758年)-文化8年(1811年)1月16日)は江戸時代後期の蘭学者。名は前、字は白羽。石井庄助、宇田川玄真らの協力で、... |
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プロフィール
志筑忠雄(しづきただお、宝暦10年(1760年)-文化3年7月3日( 1806年8月16日))は、江戸時代長崎の蘭学者、阿蘭陀稽古通詞(のち辞職)。
概要
| 天文、物理、地理誌、海外事情、オランダ語、オランダ文法学等の分野で著述を成した。 |
| 本姓中野氏、通称忠次郎、字季飛。 |
| 名をはじめは盈長、後に忠雄とし、柳圃と号した。 |
| 養父孫次郎の養子として阿蘭陀通詞志筑本家8代を継いだが、生家の中野家がいかなる家だったのかについては不明な点が多い。 |
| 志筑の経歴については長年、『長崎通詞由緒書』の情報をもとに、阿蘭陀通詞志筑家の養子となり、安永5年(1776年)には稽古通詞となったが、その翌年病身を理由に辞職し、阿蘭陀通詞で西洋天文学に精通していた本木良永に師事したと信じられてきた渡辺庫輔『阿蘭陀通詞志筑氏事略』、p.31-35。 |
| 近年の研究成果によって、志筑は少なくとも天明2年(1782年)まで稽古通詞を務めていたことが究明された原田博二「阿蘭陀志筑家について」、p.24-25。 |
| 生涯にわたって蘭書翻訳に熱中する一方で、多病であったようである。 |
| 大槻玄幹(1785年-1837年)、杉田玄白、新宮凉亭(1787年-1854年)らの諸著述において、志筑は若くして病気を理由に阿蘭陀稽古通詞を辞し、隠居して人との交わりをできるだけ絶ち、およそ政治や現実問題とは無縁な生き方をしながら蘭書に没頭する人物として描かれている。 |
| 彼の著作は主に写本で伝わり、現在までに確認されているものは50点近くにのぼる鳥井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績-今なぜ志筑忠雄なのか?」、および大島明秀『「鎖国」という言説-ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史-』、p.68-69、表3参照。 |
| それらの多くは、いつ成立したのか、いつ写されたのかが不明のものが多い。 |
| 著作の半分近くは西洋天文・物理学関係の蘭書からの翻訳で、次に多いのがオランダ語・文法に関するもので約3割を占める。 |
| 前二者に比べると数は多くないが、地理、海外事情に関する翻訳も認められる。 |
| その訳述の内容と豊富さから西洋科学に対する志筑の熱意が感じとられるが、一方でエンゲルベルト・ケンペル『日本誌』のオランダ語第二版(1733)の巻末附録の最終章を訳出した写本「鎖国論」(1801)に志筑が付した注釈には排外的な側面も見られ、矛盾葛藤する両面を見せている。 |
| ただし、現在までに発掘されている史料が乏しいことから、志筑忠雄についてこれ以上追究することは難しい状況にある「概要」の記述は、全て大島明秀『「鎖国」という言説-ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史-』に拠って記された。 |
主な訳著書
| 『万国管窺』1782年-大航海時代のいくつかの旅行記の日本語訳。 |
| 日本で初めてコーヒーについて言及した書、との説がある。 |
| 『八円儀及其用法之記』1798年-コルネリス・ドウエス著『CornelisDouwes:BeshrijvingvanhetOctant』(1749年)の日本語訳。 |
| 『鎖国論』1801年-エンゲルベルト・ケンペル(ドイツ人、1651年-1716年、医師)著『日本誌』(1727年)の章の1つ『日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理』の日本語訳。 |
| 「鎖国」という言葉を生んだ書とされている。 |
| 『暦象新書(上中下)』1798年から1802年-原著はジョン・ケイル(JohnKeill,1671年-1721年)の『真正なる自然学および天文学への入門書(IntroductionesadVeramPhysicametveramAstronomiam)』(1725年)のオランド語版(1741年)。 |
| アイザック・ニュートンやヨハネス・ケプラーの生んだ法則や概念、+、-、÷、√といった記号を日本に紹介し、「遠心力」、「求心力」、「重力」、「加速」、「楕円」という語を生んだ書。 |
| 吉田光邦『江戸の科学者たち』p.156。 |
| 『二国会盟録』1806年-ジェルビヨン(フランス人、宣教師)が著した旅行記の日本語訳。 |
| 『三角算秘傳』-「ネイピアの法則」を日本に最初に紹介したとされる書。 |
参考文献(和文)
| イサベル・田中・ファン・ダーレン「オランダ史料から見た長崎通詞-志筑家を中心に-」、『蘭学のフロンティア-志筑忠雄の世界』(志筑忠雄没後200年記念国際シンポジウム報告書)、長崎文献社、長崎、2007年、p.28-43。 |
| ISBN978-4-88851-079-0。 |
| 大島明秀『「鎖国」という言説-ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史-』、ミネルヴァ書房、京都、2009年、全524頁。 |
| (ISBN978-4-6230-5312-4)。 |
| 大島明秀「志筑忠雄訳「鎖国論」の誕生とその受容」、『蘭学のフロンティア-志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、p.110-122。 |
| 鳥井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績-今なぜ志筑忠雄なのか?」、『蘭学のフロンティア-志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、p.7-17。 |
| 原田博二「阿蘭陀志筑家について」、『蘭学のフロンティア―志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、p.20-27。 |
| 松尾龍之介『長崎蘭学の巨人-志筑忠雄とその時代-』、弦書房、2007年、ISBN978-4-902116-95-3。 |
| 吉田忠「志筑忠雄-独創的思索家-」、ヴォルフガング・ミヒェル・鳥井裕美子・川嶌眞人共編『九州の蘭学-越境と交流』、思文閣出版、京都、2009年、p.102-108。 |
| ISBN978-4-7842-1410-5。 |
| 渡辺庫輔『阿蘭陀通詞志筑氏事略』、長崎学会、長崎、1957年。 |
| 吉田光邦『江戸の科学者たち』社会思想社(現代教養文庫)、1969年。 |
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1716年
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医師)著『日本誌』1727年の章の1つ『日本国... |
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稽古通詞となったが、その翌年病身を理由に辞... |
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