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つながりの強いひと
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橘逸勢
平安時代の書家・官人。橘奈良麻呂の子で右中弁を務めた橘入居の末子。嵯峨天皇皇后・橘嘉智子、右大臣橘氏公はいとこにあたる。官位は従五位下・但馬権守、... |
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正子内親王
母
第52代嵯峨天皇の皇女。母は皇后橘嘉智子。淳和天皇皇后。同母兄弟に仁明天皇(同年の生まれのため、双子のきょうだいであったと考えられる)。弘仁14年(823... |
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藤原良房
平安時代初期の公卿。藤原北家・藤原冬嗣の二男。母は藤原美都子。子に明子、養子に藤原基経。染殿、白河殿と称される。漢風諡号は忠仁公、国公は美濃公。皇... |
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橘嘉智子
第52代嵯峨天皇皇后。橘奈良麻呂の孫、贈太政大臣・橘清友の娘。母は田口家主の娘で、贈正一位・田口三千媛。兄弟に右大臣・橘氏公がいる。別名・檀林皇后(... |
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淳和天皇
引き継ぐ者 父
平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。諱は大伴(おおとも)。 |
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大覚
南北朝時代の日蓮宗の僧。名は妙実。近衛家の出と言われ、初めは真言宗の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、宗派を改め弟子とな... |
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阿保親王
平安時代前期の皇族。平城天皇の第一皇子。官位は三品・弾正尹、贈一品。 |
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仁明天皇
平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。 |
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伴健岑
平安時代初期の官人。大伴氏の一族。右兵衛督大伴直臣の子。淳和天皇の皇子で仁明天皇の皇太子恒貞親王の春宮帯刀舎人(たちはきのとねり)であったが、842年... |
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嵯峨天皇
母
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。 |
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承和の変
承和の変(じょうわのへん)は平安時代初期の842年(承和9年)に起きた廃太子を伴う政変。藤原氏による最初の他氏排斥事件とされている事件である。 |
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藤原冬嗣
平安時代の公卿・歌人。右大臣藤原内麻呂の子。正二位・左大臣。贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。 |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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藤原基経
平安時代前期の公卿。藤原北家・藤原長良の三男。幼名は手古。従一位、摂政関白太政大臣、贈正一位。堀川大臣(堀河大臣)と号する。漢風諡号は昭宣公、国公... |
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廃太子
皇室、王室における廃嫡のことをいう。皇太子、王太子など皇位、王位継承者がその位を廃されることであり、廃された本人をもそう呼ぶ。なお、立太子されてい... |
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小野篁
平安時代前期の官人、学者、歌人。参議小野岑守の子。官位は従三位・参議。異名は「野相公」「野宰相」、その反骨精神から「野狂」とも。 |
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菅原道真
天神 菅原道真 0.目次 本レポートでは以下の通りに調査内容を報告することをここに記す。 1.菅原道真という人物。 2.天神、道真。そして学問の神、道真。 ... |
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伴善男
平安時代前期の貴族。参議・伴国道の五男。官位は正三位・大納言。伴大納言と呼ばれた。 |
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早良親王
奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。生母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(... |
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高岳親王
平安時代初期の皇族・僧侶。法名は真如。平城天皇の第三皇子。甥に在原業平がいる。品位は四品。 |
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プロフィール
恒貞親王(つねさだしんのう、天長2年(825年)-元慶8年9月20日(884年10月12日))は、平安時代前期の皇族。 淳和天皇の第二皇子。 仁明天皇の 皇太子(のち廃される)。品位は三品。異称は亭子 親王。法名は恒寂。
経歴
| 異母兄・恒世親王の死後、淳和天皇の後継者とされた。 |
| 天長10年(833年)従兄弟にあたる仁明天皇の即位に際し、嵯峨上皇の意向により立太子。 |
| 承和5年(838年)紫宸殿において元服するが、天皇に拝謁する際に礼儀を備えており、紫宸殿を降りて拝舞する様子も雅やかで麗しかったという。 |
| その後、淳和上皇や恒貞親王は権力闘争に巻き込まれる事を憂慮して度々皇太子の辞退を申し入れたものの、嵯峨上皇や仁明天皇に慰留されてしまう『恒貞親王伝』。 |
| だが、承和9年(842年)嵯峨上皇の崩御後まもなく発生した承和の変により、皇太子を廃された。 |
| 嘉祥2年(849年)三品に叙せられるが、まもなく出家して法号を恒寂と称した。 |
| 真如法親王から灌頂を受け、嵯峨大覚寺の初祖となった。 |
| 仏道に深く帰依して常に精進持戒したという。 |
| 元慶8年(884年)陽成天皇が退位したあとの皇位継承問題が生じた際に、即位を要請されたがこれを拒絶した。 |
| 死の直前に己の最期を悟り、衣服を浄め仏前に香華を備えて西方に向かって結跏趺坐の姿勢を取って入寂したと伝えられている。 |
人物
| 性格はゆったりとして優雅であり、姿形が美しかったという『日本三代実録』元慶8年9月20日条。 |
参考文献
| 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し日本三代実録下巻』戎光祥出版、2009年。 |
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