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大武神王
高句麗の第3代の王(在位:18年-44年)であり、大解朱留王、大朱留王ともいう。先代の瑠璃明王の3番目の男子であり、姓は高、諱は無恤(ぶじゅつ、ムヒュル)... |
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閔中王
高句麗の第4代の王(在位:44年-48年)。姓は高、諱は解色朱。『三国史記』高句麗本紀では先代の大武神王の弟、『三国遺事』王暦では大武神王の子とする。44年... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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多婁王
多婁王(たるおう、生年未詳-後77年)は百済の第2代の王(在位:28年-77年)であり、始祖の温祚王の嫡男。10年に太子となり、28年2月に温祚王の死去により王... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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聖王
百済の第26代の王(在位:523年-554年)。先代の武寧王の子。『三国史記』百済本紀・聖王紀によれば諱は明穠。先王が523年5月に死去したことにより、王位につ... |
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太祖大王
高句麗の第6代の王(在位:53年-146年)。姓は高、諱は宮(きゅう、クン)、または於漱(おそう、オス)。大祖大王、国祖王とも表記される。第2代瑠璃明王の孫... |
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瑠璃明王
高句麗の第2代王(在位:前19年-後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟... |
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垂仁天皇
垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日-垂仁天皇99年7月14日)は第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日-垂仁天皇99年7月14日)。活目入彦五十狭茅... |
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次大王
遂成を太祖大王の弟とする記述と王子とする記述とが混合している。また『後漢書』には遂成は宮(太祖大王)の子とある。太祖大王の94年(146年)12月に王位を... |
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新大王
新大王(しんだいおう、89年-179年)は高句麗の第8代の王(在位:165年-179年)。姓は高、諱は伯固(はくこ、ペクコ)または伯句(はくく、ペクク)。『三国史... |
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山上王
山上王(さんじょうおう、生年不詳-227年)は高句麗の第10代の王(在位:197年-227年)。姓は高、諱は延優または位宮。先代の故国川王の弟であり、故国川王が1... |
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故国川王
故国川王の即位後に漢の建安年間(196年-220年)の初めに、抜奇が王位につけなかったことを不服として消奴部(涓奴部)の加(高句麗の官名のひとつ、首長層)... |
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東川王
高句麗の第11代の王(在位:227年-248年)。姓は高、諱は憂位居、幼名は郊彘。東襄王ともいう。先代の山上王の子であり、213年に太子に立てられ、227年5月に先... |
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中川王
高句麗の第12代の王(在位:248年-270年)。姓は高、諱は然弗。中壌王ともいう。先代の東川王の子であり、243年に王太子に立てられ、248年9月に先王の死去とと... |
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西川王
高句麗の第13代の王(在位:270年-292年)。姓は高、諱は薬盧、または若友。西壤王ともいう。先代の中川王の第2子であり、255年に王太子に立てられ、270年10月... |
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ローマ皇帝
紀元前27年に元老院よりアウグストゥス(Augustus)の尊称を授与されたアウグストゥス本人と、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。ローマ皇帝というひとつの職... |
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美川王
高句麗の第15代の王(在位:300年-331年)。姓は高、諱は乙弗、または憂弗(『三国遺事』では瀀弗)。好壤王(『三国遺事』では好穣王)とも記される。第13代... |
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烽上王
高句麗の第14代の王(在位:292年-300年)。姓は高、諱は相夫、あるいは歃矢婁ともいい、雉葛王とも記される。先代の西川王の子であり、年次は不明であるが太... |
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長寿王
高句麗の第20代の国王(在位:413年-491年)。姓は高、諱は巨連。『魏書』などには「璉」の名で現れる。先代の好太王の長子であり、409年に太子に立てられ、41... |
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プロフィール
慕本王(ぼほんおう、30年-53年)は、高句麗の第5代の王(在位48年-53年)。姓は高、諱は解憂(または解愛婁)。『三国史記』高句麗本紀では先々代の 大武神王の嫡子であり、『三国遺事』王暦では先代の 閔中王の兄とする。32年12月、 大武神王の嫡子として太子に立てられたが、44年10月の 大武神王の死去の際には幼少であったため、王の弟の 閔中王が推戴されて王位に就いており、48年に 閔中王が亡くなると解憂が王位に就いた。
治世
| 49年2月、将軍を派遣して後漢の北平・漁陽・上谷・太原を襲撃させたが、遼東太守の蔡彤は恩義と信義とをもって対応したので、両国間の関係は和親に戻った。 |
| 『後漢書』蔡彤伝に拠れば、匈奴対策として鮮卑などを懐柔しようとした蔡彤が鮮卑の朝貢に対して何倍もの下賜品を与えたことを伝え聞いた高句麗が、それまで敵対していたにもかかわらず後漢の遼東へと朝貢を行ったという記事があり、符合している。 |
| 国内の飢えた民に施すこともあった(49年8月)が、後には人の上に座ったり人を枕にするなどして揺れ動いたものは容赦なく殺し、諫言する臣は弓で射殺すなど、暴虐の王と化した。 |
| そのために、いつか王に殺されると恐れた杜魯という側近によって53年11月に殺害された。 |
| そして慕本原に葬られ、慕本王と諡された。 |
関連項目
| 百済:多婁王(在位:28年-77年)。 |
| 新羅:儒理尼師今(在位:24年-57年)。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
| 鮎貝房之進『朝鮮姓氏・族制考』国書刊行会、1987(原著1937)。 |
| 井上秀雄『古代朝鮮』講談社<講談社学術文庫>、2004ISBN4-06-159678-0(原著『古代朝鮮』日本放送出版協会、1972)。 |
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