| 持病の腰痛が悪化。 |
| 回復が大幅に遅れ、プロデビューを果たしたのは21歳となっていた1994年6月5日。 |
| 当時は地元の宮崎ワールドジム所属であった。 |
| 1996年6月3日、10戦目にして日本王座初挑戦。 |
| 安藤謙三(グリーンツダジム)と空位の日本ライトフライ級王座を争い、10回判定勝ち。 |
| 王座奪取に成功した。 |
| 9月16日には村松竜二相手に初防衛を果たし、11月に王座を返上。 |
| 1998年、世界挑戦を現実のものとするため、宮崎ワールドジムを離れ、名古屋の緑ジムに移籍。 |
| 同ジムには当時、WBA世界スーパーフライ級王者飯田覚士が所属。 |
| 彼の世界戦の前座で試合を行うようになる。 |
| 「世界ランカーに勝ったら世界戦を組んでやる」と言われていた戸高は1998年12月23日、張英淳(韓国)に10回判定勝ちを収め、世界ランク入り。 |
| そして、翌1999年3月28日、故郷・宮崎県で世界初挑戦が実現。 |
| WBA世界スーパーフライ級王者ヘスス・ロハス(ベネズエラ)の初防衛戦の相手としてリングに上がった。 |
| 開始早々から積極果敢に攻め、老獪なロハスを苦しめた。 |
| しかし、3回、偶然のバッティングで王者の左眉付近から出血。 |
| 王者の出血は止まらず、4回、ドクターチェックが入る。 |
| 一時は試合が再開されるものの、程なくして2度目のチェック。 |
| ここで試合がストップされてしまう。 |
| 「偶然のバッティングで試合続行不能となった場合、4回までなら引き分け。 |
| 5回以降はそれまでの採点で勝敗を決定する」という規定を適用。 |
| 4回終了前ということで試合は引き分けとなり、不完全燃焼の形で世界初挑戦を終える。 |
| 双方共に不完全燃焼となった試合の再戦はすぐに決まった。 |
| 1999年7月31日、今度は名古屋で再戦。 |
| 2回、右のショート・ストレートでロハスからダウンを奪う。 |
| これで主導権を掌握した戸高は前半を優勢に戦ってみせる。 |
| 中盤、王者の反撃を許したが終盤に入ると再びペースを取り返した。 |
| そして、勝敗の行方は判定に委ねられ、結果、僅差ながらジャッジ3人の支持を受けた戸高が新王者となった。 |
| 1999年11月7日に行われた初防衛戦。 |
| その相手は元高校2冠王でデビュー前から次期世界王者候補と言われてきた天才児、名護明彦だった。 |
| 名護はデビュー以来15連勝中(11KO)で、無敗のまま世界初挑戦を迎えることとなる。 |
| 「戸高の初防衛戦は雑草とエリートの戦い」と言われたこの試合だが、試合前の評価は意外にも五分だった。 |
| あの曲者ロハスを攻略したことが大きく評価されていたのである。 |
| 両国国技館で行われたこの試合は、前評判の高かった挑戦者の強打が不発だった。 |
| これまで幾度も対戦相手をマットに沈めてきた名護の右フックは驚異的だったが、初挑戦の緊張からか狙いすぎな感があり、この日はことごとく空を切り、逆に戸高の細かい連打を浴び続けた。 |
| クリンチになろうが戸高はどんな体勢からでもパンチを放ってくる。 |
| 試合終了のゴングが鳴った時、誰の目からも勝敗は明らかだった。 |
| 2000年4月23日、2度目の防衛戦でヨックタイ・シスオー(タイ)と対戦。 |
| 前半、戸高は不用意にパンチをもらい、何度も顔面を跳ね上げられた。 |
| しかし8回、終了のゴングとほぼ同時に放たれた戸高の右フックがクリーンヒット。 |
| ヨックタイは右に左に大きくよろめきながらダウン。 |
| ダメージは明白だった。 |
| これを機に、戸高が一気に攻勢に転じると、9・10回も元王者を滅多打ち。 |
| そして迎えた11回、戸高のパンチで大きくグラついたヨックタイは背中を向けた状態でロープまで吹っ飛ばされる。 |
| そのまま正面に向き直らなかったヨックタイを見てレフェリーは即座に試合を止めた。 |
| 見事な逆転KO勝ちだった。 |
| ヨックタイ戦での逆転KO勝ちからもうすぐ6か月が経とうとしていた2000年10月9日、3度目の防衛戦で世界3階級王者のレオ・ガメス(ベネズエラ)と対戦。 |
| 本来は負けるような相手ではなかった。 |
| しかし「角度によっては物が2重にも3重にも見えるような状態だった」と戸高は語った。 |
| 試合前に眼筋麻痺を患っていたのだと言う。 |
| ガメスのパンチを浴び続けた戸高は7回、ついに力尽きる。 |
| 既に口の中は血で真っ赤に染まっていたが、それでも気力を振り絞り、老雄に向かっていく。 |
| しかし、2分が経過したところで、ガメスの強烈な右ストレートをまともに浴びると、遂に仰向けに倒れる。 |
| ここで戸高陣営の松尾・緑ジム会長がリングになだれ込み、試合終了。 |
| この瞬間、1年2か月あまり保持してきた世界王座を手放すこととなる。 |
| しかも、この試合で顎の骨を複雑骨折してしまい、長いブランクに突入。 |
| 再起を果たすまで約1年5か月を要することとなる。 |
| 2002年3月、ようやく負傷も回復し、再起戦が行えるようになり、見事KO勝ち。 |
| その後も2試合を戦い、ともに勝利。 |
| 世界ランクにも復帰した戸高は2003年10月4日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦に出場。 |
| 3年前にKO負けしたガメスと再戦することになった。 |
| 試合は最初から最後まで真っ向からの打ち合いとなったが、手数で上回った戸高が2-1の判定で勝利。 |
| 因縁の相手に雪辱し、日本人5人目の2階級制覇を成し遂げた。 |