| 出発に際して重耳は叔隗に対して、「私を25年待ってくれ、それでも帰ってこなかったら再婚しなさい」と言い、叔隗は笑って「25年も待ったら私の墓に植えた柏の木も大きくなっていることでしょう。 |
| でも私はあなたのことを待っています」と答えた。 |
| 一行はまず衛を目指した。 |
| 衛公は一行を歓迎せず、一行は五鹿という土地で食料が尽き、地元の農民に食を乞うた。 |
| これに対して農民は器に土を盛って出した。 |
| 重耳は激怒したが、趙衰『史記』「晋世家」による。 |
| 『左伝』ではこの発言を狐偃とする。 |
| に「土を得たということは、この土地を得るということです。 |
| 拝して受けなさい」と言われ、重耳はその通りにした。 |
| そのような事がありながらも旅を続け、一行は東の斉にたどり着いた。 |
| 桓公はみすぼらしい亡命公子に過ぎない重耳に戦車20乗の馬(当時の戦車は四頭引きなので80頭)を贈り、また娘(「斉姜」と通称される)を重耳に娶わせ大いに歓待した。 |
| 斉に付いてから5年が経ち、その間に桓公は薨去し、その後継を巡って激しい内乱が起きていた。 |
| その中で重耳は既に斉で妻を持ったこともあり、斉を離れようとは思わなくなっていた。 |
| これに対して狐偃・趙衰らは重耳を連れて斉を出ることを計画する。 |
| この計画を斉姜の侍女が盗み聞きして斉姜に告げるが、斉姜は漏洩を恐れて侍女を殺し、重耳に早く斉を出るように促した。 |
| しかし重耳は聞く耳を持たなかった。 |
| そこで斉姜は狐偃たちと図り、重耳が酔ってしまった所を車に乗せ、無理やり斉から連れ出した。 |
| 酔いがさめた重耳は激怒して狐偃を殺そうとした。 |
| 狐偃は「私を殺してあなたの大業が成るのなら望む所です。 |
| 重耳が「事が成らなかったら舅狐偃の娘は重耳の最初の妻、というのは宮城谷昌光の創作。 |
| 一般的には母方のおじ(狐偃は狐姫と同世代の宗族)の意味とされる)を-->殺して肉を食うぞ」と言うと、狐偃は「事が成らなかったら私の肉は生臭くて食べられたものではないでしょう(手を下される前に責任を取って自殺します、という意味)」と答えた。 |
| 斉を出た一向は曹に入ったがまたしても無礼な扱いを受け、すぐに出国し宋に入った。 |
| 宋は当時楚との戦争(泓水の戦い)に敗れたばかりであったが、襄公は重耳に対し国君の礼を持って迎え、桓公と同じく80頭の馬を贈り歓待した。 |
| しかし現状の宋では助力する余裕などないため、一行は楚を頼ることにした。 |
| その途中、鄭に寄ったが、ここでも冷遇された。 |
| 楚の成王は、亡命公子の重耳を諸侯と同じ格式でもてなしたが、悪戯心から「もし貴方が国に帰り、晋の君主になる事ができたら私に何をお返ししてくれるでしょうか?」と尋ねた。 |
| 重耳は「もし王と戦う事になったら、軍を三舎(軍が3日で行軍する距離)退かせましょう」と答えた。 |
| これを聞いた成王の部下の子玉は、亡命公子に過ぎないくせに楚王に向かって生意気であると憤り重耳を殺そうとしたが、成王は「天が興そうとするものをどうして止められようか」と子玉を止めた。 |