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つながりの強いひと
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別府史之
神奈川県茅ヶ崎市出身の自転車プロロードレース選手。自転車ジャーナリストの別府始は長兄、おなじくロードレース選手である別府匠は次兄である。史之と匠の... |
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宮澤崇史
長野市出身の自転車競技選手。長野県長野工業高等学校出身。 |
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福島晋一
岡山県出身(大阪育ち)の自転車プロサイクルロードレース選手である。弟の福島康司もサイクルロードレースのプロ選手であり、福島兄弟として知られる。 |
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今中大介
今中大介(いまなかだいすけ、1963年7月24日-)は元自転車ロードレース選手で現在は実業家。広島県広島市出身。広島城北高等学校~大分大学大学院工学研究科... |
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ランス・アームストロング
アメリカ合衆国テキサス州プラーノ出身の自転車プロロードレース選手。精巣腫瘍との闘病の後、ツール・ド・フランスで前人未到の7年連続総合優勝(1999年から... |
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飯島美和
最後の最後にJamisのブースでキャンギャルをしてらした飯島美和さんにサインをもらい、ちょこっと立ち話。「今度、アナウンサーブースにも遊びに来てください... |
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土井雪広
山形県出身の自転車プロロードレース選手である。現在はスキル・シマノに所属。 |
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浅田顕
東京都出身の自転車競技選手(プロロードレーサー)・監督。175cm、60kg。A型。現在はエキップアサダ監督兼代表。 |
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清水都貴
埼玉県出身の自転車プロロードレーサー。2010年現在はチームブリヂストン・アンカーに所属している。 |
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イヴァン・バッソ
イヴァン・バッソは(IvanBASSO、1977年11月26日-)はイタリアを代表する自転車プロロードレースの選手。 |
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カデル・エヴァンス
カデル・エヴァンス(CadelEvans、1977年2月14日-)はオーストラリア・ノーザンテリトリーのカサリーン出身の自転車競技選手。 |
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片山右京
日本のレーシングドライバー、元F1ドライバー、登山家、自転車競技選手。神奈川県相模原市出身(東京都町田市の町田市民病院で出生したことから「東京都出身... |
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辻浦圭一
奈良県大和高田市出身の自転車シクロクロス選手である。現在はチームブリヂストン・アンカーに所属。 |
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山口もえ
東京都台東区出身のタレント。スターダストプロモーション所属。血液型はAB型。愛玩動物飼養管理士2級資格・ベジタブル&フルーツマイスター資格所持。美ら島... |
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西谷泰治
自転車ロードレース選手である。広島県安芸郡坂町出身。2002年と2006年のアジア競技大会自転車競技日本代表。ツール・ド・北海道との相性が非常に良く、ステ... |
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栗村修
栗村修(くりむらおさむ、1971年12月30日-)は横浜市出身の自転車ロードレースの元プロ選手で、プロロードレースチーム宇都宮ブリッツェンの監督、有限会社マ... |
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森亮
英文学・比較文学者、詩人。大阪府生まれ。東京帝国大学英文科卒。旧制松江高等学校教授、お茶の水女子大学教授。「新体詩抄」や「海潮音」など明治期の訳詩... |
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大友克洋
日本の漫画家、映画監督。宮城県登米郡迫町(現在の登米市迫町)出身。宮城県佐沼高等学校卒。血液型はA型。1973年『漫画アクション』にてデビュー。代表作に... |
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プロフィール
- 新城幸也とは
- ハンドボール時代
- ロードレースへの転向
- 2009年
- ツール・ド・フランス
- その他
- 2010年
- ジロ・デ・イタリア
- 2011年
- コルナゴC59
- 主な実績
- 脚質
- 関連サイト
新城幸也(あらしろゆきや、1984年9月22日-)は、沖縄県石垣市登野城出身のサイクルロードレース選手。沖縄県立八重山高等学校卒業。2009年7月には、 別府史之とともに日本選手として13年ぶりにツール・ド・フランスに出場し、日本人で初めて近代ツール・ド・フランスを完走した選手の一人となった。更に2010年のジロ・デ・イタリアを完走し、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人ライダーとなった。
ハンドボール時代
| 小学校5年生のときに初めてロードバイクに乗ったが、中学2年でハンドボールに出合いハンドボール中心の生活を送り、自転車に乗るのはトライアスロンの時だけだったという。 |
| 高校3年夏でハンドボール部を引退した後、父の知り合いのロードレース選手・福島晋一がツアー・オブ・ジャパン宇都宮ステージで優勝した際のビデオテープを見て自転車競技の道を志す。 |
ロードレースへの転向
| 福島に才能を見込まれ、高校卒業後に本格的に自転車競技へ転向。 |
| フランスへ自転車留学した後、アンカーエスポワールに所属。 |
| 2006年はチームブリヂストン・アンカーに所属していた福島らとともに、新しく発足した日本初の独立チームであるチーム・バン・サイクリングに移籍、ツール・デュ・リムザン(TourduLimousin)で総合3位を獲得。 |
| そしてU-23部門での日本選手権で逃げ切りを決め優勝。 |
| 2007年からはチーム・バンの活動停止を受け、ほぼ同メンバーにより結成された新チームエキップアサダ(2007年=NIPPOコーポレーション・梅丹本舗・エキップアサダ、2008年=梅丹本舗・GDR)に所属する。 |
| この年、土砂降りと濃霧で大混乱となった日本選手権で優勝する。 |
| 2008年にはツール・デュ・リムザンで自身2度目の総合3位と区間優勝を獲得。 |
2009年
| 大きなレースで上位入着を重ねた実力が認められ、2008年12月からはUCIプロチームであるBboxブイグテレコムと1年間の契約を結び、プロツアー選手となった。 |
ツール・ド・フランス
| 2009年、ツール・ド・フランスへの出場が決定。 |
| 日本人の出場は、1996年大会の今中大介に続いて、戦後2人目となる |
| 2009年6月25日、芸能プロダクションのホリプロとマネージメント契約を結んだ |
| 2009年のツール・ド・フランスでは「完走よりもステージ優勝を狙う。 |
| ステージ優勝できたら次の日にリタイアしてもいい」と公言し、第2ステージでのゴールスプリントで5着に入る活躍を見せたが、この結果によりチーム側からスプリンター扱いチームにはパンチャーと呼ばれるアップダウンに強いタイプとして登録されていたを受け、レース中自らアタックすることを禁じられてしまう。 |
| また第6ステージで落車した影響で一時調子を落としたこともあり、その後は活躍する場面が見られなかったが、最終的に無事3週間のレースを終え完走を果たした東京中日スポーツ・2009年8月5日付18面「コンフィデンシャル」。 |
| 同レースには別チームで出場していた別府史之も無事完走し、凱旋門をバックに二人が肩を組む写真が自転車専門誌の表紙を飾った。 |
| 先のジロ・デ・イタリアに引き続き二年連続でツール・ド・フランス出場を果たした。 |
| 尚、同年にグランツール二大会出場を果たしたのは日本人選手初の快挙である。 |
| 役割としてはトマ・ヴォクレールと2人で大逃げを狙うのがメインだが、逃げに失敗した場合にはセバスティアン・テュルゴの発射台、もしくは単独でのスプリントと多数の任務を抱える重要な選手となった。 |
| 第11ステージで世界の並み居る強豪スプリンター達を相手に全く引けを取ることなく、ゴール前スプリントに絡み見事6位に入賞マイヨ・ヴェールのトル・フースホフトをゴールライン手前で差した |
その他
| 同年9月の世界選手権では、序盤から逃げ集団に加わって、全19周のうち残り4周まで逃げ続けるという活躍を見せた |
| 10月3日にオーストラリアのメルボルンで開催された世界選手権自転車競技大会エリート男子ロードレース部門に別府史之と土井雪広と共に日本ナショナルチームで出場し、近代自転車ロードレースに於ける日本人過去最高成績の、首位と同タイムの9位でゴール優勝者はノルウェーのトル・フースホフト |
| 世界選手権から1週間後の10月10日、伝統のクラシックレース「パリ〜ツール」にブイグテレコムのエースとして出場し、ゴールスプリントに絡み5位入賞を果たす。 |
2010年
| 2010年シーズンは新城にとって大きく飛躍を遂げる年となった。 |
ジロ・デ・イタリア
| 2010年はシーズン序盤こそレース終盤での脱落が目立ったが、ジロ・デ・イタリアのメンバー入りを果たすと、第5ステージで得意の大逃げを決め、ゴールスプリントで敗れはしたものの3位に入る。 |
| これはグランツールにおける日本人選手としては最高成績であり(2010年12月現在)、グランツール・プロツアーで十分に戦えることを証明した。 |
| その後のステージでは、平地はスプリンターのウィリアム・ボネのアシストとしてチームに貢献、山岳ステージに於いても成長を見せ、悪天候かつ近年稀に見る難コースをクリアしていった。 |
| 中でも、山岳コースの第17ステージでは再び逃げに乗り、終盤でメカニカルトラブルによる一時ストップを余儀なくされたもののステージ13位、翌第18ステージではボネを集団前方に引き上げる役割を果たしながら自らもスプリントに参戦しステージ13位を記録、最難関の山岳である第20ステージでも標高2618mのガヴィア峠頂上にトップから僅か5分遅れで到達するなどの活躍により最終的に総合優勝のイヴァン・バッソから3時間22分21秒遅れ、91時間06分22秒の総合93位で完走した。 |
2011年
| 2010年一杯で現所属チームのメインスポンサーであるブイグテレコムが撤退したが、新スポンサーとして大手レンタカー会社のヨーロッパカーが加わることが決まり、新城もチームと2年間契約を延長した |
| 第31回アジア自転車競技選手権大会・個人ロードレース優勝。 |
| 同大会・個人タイムトライアル4位。 |
コルナゴC59
| 新城は2010年5月のジロ・デ・イタリア第6ステージ以降、コルナゴの2011年モデルC59を使用している。 |
| 最初に支給されたC59は新城専用のカラーリングで、漢字による個人ネームと「必勝」の文字、日の丸がペイントされた日本を意識したデザインのものである。 |
| 通称「必勝号」と呼ばれている。 |
| なお、2010年7月のツール・ド・フランスより所属チーム全員にブラック/イエローカラーのC59が支給されているが、前述のジロ・デ・イタリアの時点では新城を含め世界で4人にしか提供されていなかった他はサシャ・モドロとトマ・ヴォクレールの2人で、新城は3人目。 |
| 4人目はドメニコ・ポッツォヴィーヴォ。 |
| デザインに関しては以前に新城からコルナゴへアイデアを提供していたとされる |
| ちなみにこの「必勝号」は現在スペアバイク扱いとなっている。 |
| 新城はチームで唯一右前左後ブレーキのセッティングであり、スペアバイクは容易に判別できる方が都合が良いのも理由の一つである。 |
主な実績
| 20px全日本自転車競技選手権大会・U23部門ロード&タイムトライアル優勝。 |
| ツール・デュ・リムザン総合3位、新人賞。 |
| 世界選手権自転車競技大会・U23部門個人ロード14位。 |
| ツール・ド・おきなわ3位。 |
| 20px全日本自転車競技選手権大会ロード優勝。 |
| ブエルタ・ア・レオン総合2位。 |
| ツール・ド・北海道総合3位。 |
| 区間1勝(第4)。 |
| ツール・ド・おきなわ3位。 |
| ツアー・オブ・ジャパン区間1勝(第7)。 |
| ツール・ド・おきなわ総合優勝、区間2勝(第1、2)。 |
| ツール・デュ・リムザン総合3位、区間1勝(第2)。 |
| ツール・ド・熊野総合3位。 |
| :第2ステージ5位。 |
| ダンケルク4日間レース総合9位。 |
| :第5ステージ3位。 |
| :第11ステージ6位。 |
| 世界選手権(メルボルン)エリート男子ロード9位。 |
| パリ〜ツール5位。 |
| 第31回アジア自転車競技選手権大会。 |
| :個人タイムトライアル4位。 |
| 全日本自転車競技選手権大会ロード2位。 |
脚質
| 本人も「好きなのは逃げ」と常に語るほどの逃げが得意なライダー。 |
| きちんとローテーションすれば2010年ジロ・第5ステージのように18km地点から144kmを実力で逃げ切るほどの巡航力を誇る。 |
| それに加え単独での逃げアタック能力(2009年世界戦、2010年ジロ)、ゴールスプリントでのスプリンター並みのパワー(2009年ツール)をみせるなど、短距離でも鋭い足を誇る平地型のパンチャーといえる。 |
| そのため今のチーム内ではエーススプリンターであるウイリアム・ボネのアシストとして(幸也が発射台役)動くオーダーが多いが、逃げが許される状況では積極的なレースを見せる。 |
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1984年
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新城 幸也(あらしろ ゆきや)は、沖縄県石垣... |
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2008年
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ツール・デュ・リムザンで自身2度目の総合3位... |
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