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つながりの強いひと
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後水尾天皇
後水尾天皇(ごみずのおてんのう、慶長元年6月4日(1596年6月29日)-延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日... |
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後光明天皇
江戸時代前期の第110代天皇(在位:寛永20年10月3日(1643年11月14日)-承応3年9月20日(1654年10月30日))。幼名を素鵞宮(すがのみや)、諱を紹仁(つぐひ... |
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徳川秀忠
母
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。 |
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後桜町天皇
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう、元文5年8月3日(1740年9月23日)-文化10年閏11月2日(1813年12月24日))は第117代天皇(在位:宝暦12年7月27日(1762年9... |
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小石房子
日本の作家、女性史研究家。大分県大分市生まれ。青山学院女子短期大学国文科卒。はじめ那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975... |
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徳川家光
江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年-1651年)である。2代将軍秀忠の次男(嫡男)で、母は浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であった。乳母は春日局(福... |
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後陽成天皇
安土桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇(在位:天正14年11月7日(1586年12月17日)-慶長16年3月27日(1611年5月9日))。諱を和仁(かずひと)といい後... |
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孝明天皇
江戸時代末期に在位した第121代天皇。在位は1846年3月10日(弘化3年2月13日)‐1867年1月30日(慶応2年12月25日)。幼称は煕宮(ひろのみや)。諱は統仁(おさ... |
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徳川和子
母
江戸時代前期の女性。徳川秀忠の娘(五女)で、徳川家康の内孫。後水尾天皇の中宮。明正天皇の生母。また女院として東福門院(とうふくもんいん)。 |
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桃園天皇
江戸時代の第116代天皇(在位:延享4年5月2日(1747年6月9日)-宝暦12年7月12日(1762年8月31日))。幼名を八穂宮(やほのみや)または茶地宮(さちのみや)... |
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霊元天皇
江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)-貞享4年3月21日(1687年5月6日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)... |
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後西天皇
江戸時代の第111代天皇。幼名を秀宮、諱を良仁(ながひと)という。花町宮。花町殿。 |
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浅井長政
戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏... |
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文智女王
江戸時代前期の尼僧。後水尾天皇の第1皇女。母は四辻公遠の娘である典侍四辻与津子(およつ、明鏡院)。梅宮・沢宮と称される。号は文智大通。 |
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桜町天皇
江戸時代の第115代天皇(在位:享保20年3月21日(1735年4月13日)-延享4年5月2日(1747年6月9日))。幼名を若宮、諱を昭仁(てるひと)という。 |
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春日局
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号。父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明... |
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後桃園天皇
江戸時代の第118代天皇(在位:明和7年4月28日(1770年5月23日)-安永8年11月9日(1779年12月16日))。諱は英仁(ひでひと)。なお、急逝による後継の準備の... |
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大正天皇
日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治以降で初の一夫一妻制をとった天皇。 |
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光格天皇
江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日)-文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱ははじめ師仁(も... |
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後奈良天皇
室町時代・戦国時代の第105代天皇(在位:大永6年4月29日(1526年6月9日)-弘治3年9月5日(1557年9月27日))。諱は知仁(ともひと)。 |
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プロフィール
- 明正天皇とは
- 系譜
- 略歴
- 在位中の元号
- 諡号・追号・異名
- 陵墓・霊廟
- その他
- 参考文献
明正天皇(めいしょうてんのう、元和9年11月19日(1624年1月9日)-元禄9年11月10日(1696年12月4日))は、第109代天皇(在位:寛永6年11月8日(1629年12月22日)-寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。
系譜
| 後水尾天皇の第二皇女。 |
| 母は太政大臣征夷大将軍徳川秀忠の娘・東福門院源和子かずこ。 |
| 入内の際に濁音発音を嫌う宮廷風習にならい「まさこ」と読みを変える。 |
略歴
| 寛永6年(1629年)の紫衣事件や将軍・徳川家光の乳母春日局が無官のまま参内した事件に関して江戸幕府への憤りを覚えた父・後水尾天皇から突然の内親王宣下と譲位を受け、興子内親王として7歳で践祚。 |
| これにより称徳天皇以来859年ぶりに女帝が誕生した。 |
| 治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷における実権を持つことは何一つなかった。 |
| 寛永20年(1643年)21歳で異母弟・紹仁親王(後光明天皇)に譲位して太上天皇となった。 |
| のちに出家して、太上法皇となる。 |
| 元禄9年(1696年)に崩御。 |
| 古代より「天皇となった女性は即位後、終生独身を通さなければならない」という不文律があった古代の女帝は、独身を通した元正天皇・孝謙天皇の他は、いずれも天皇や皇太子の未亡人である。 |
在位中の元号
| 寛永(1629年11月8日)-(1643年10月3日)。 |
陵墓・霊廟
| 京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵(つきのわのみささぎ)に葬られた。 |
その他
| 明正天皇は徳川氏を外戚とする唯一の天皇である。 |
| これを機に『禁中並公家諸法度』に基づいて江戸幕府の朝廷に対する介入が本格化した事を意味する。 |
| しかし朝廷内においては院政を敷いた後水尾上皇が依然として実権を握っていた。 |
| 院政は本来、朝廷の法体系の枠外の仕組みであり、『禁中並公家諸法度』ではそれを統制できなかった(この件については霊元天皇の項も参照)。 |
| 勧修寺にある寝殿(明正殿)と書院(重要文化財)は、明正天皇が生活した御殿を彼女の死後に移築した物である。 |
| 書院は土佐光起親子が書いた障壁画で有名であるが、これらの絵画は江戸幕府や後水尾上皇らの許可無しでは、外出や他人との面会もままならない一生を過ごした明正天皇を慰めるために畿内の名所を書いた物と伝わる。 |
参考文献
| 宮内省図書寮編『明正天皇実録』(ゆまに書房、2005年)ISBN4-8433-2028-5。 |
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