| フランス語と日本語に堪能だったという。 |
| 帰国後、陳伯陶の招きに応じて暨南大学と上海音楽学院で教官を務めた。 |
| またこの頃楊仁山から浄土宗を学び、その思想や学問研究に大きな影響を受ける。 |
| 主に北京と上海に住んだ。 |
| 詩・詞(宋詩)・作文に巧みで、詩文は草稿を作ることなく即興で詠んだ。 |
| 填詞や歌曲の作成にもマニュアル本を必要とせず、韻律を知り尽くしていた。 |
| 書においても篆書・隷書・草書・楷書のすべてに優れ、誰か特定の書家に倣ったわけではなく、金石文に範を持った。 |
| 画は山水画・花卉画を得意とした。 |
| 最も得意としたものは篆刻と填詞であると自ら認めている。 |
| 篆刻は黄牧甫を範としたが、周・秦・漢の古印を独学で学び、古拙で味わい深い作風であった。 |
| 填詞は、徹底して格率を遵守しながら古人の詞を一句ずつ抜き出して集め、原義を守って配置しているにも拘らず、全く自然な詞を構築した。 |
| また訓詁学・声韻論にも非常に造詣が深かった。 |
| さらに韋斎の号で、音楽家の蕭友梅と共に、時代性と民族性に富んだ楽曲を作曲した。 |