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元聖王
父
元聖王(げんせいおう、生年不詳-798年)は新羅の第38代の王(在位:785年-798年)であり、姓は金、諱は敬信。第17代の奈勿尼師今の十二世孫であり、父は一吉... |
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哀荘王
哀荘王(あいそうおう、788年-809年)は新羅の第40代の王(在位:800年-809年)であり、姓は金、諱は清明、のちに重熙と改名。父は第39代昭聖王、母は大阿飡(... |
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憲徳王
憲徳王(けんとくおう、生年不詳-826年)は新羅の第41代の王(在位:809年-826年)であり、姓は金、諱は彦昇。父は第38代元聖王の元太子の金仁謙(昭聖王によ... |
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興徳王
興徳王(こうとくおう、生年不詳-836年)は新羅の第42代の王(在位:826年–836年)であり、姓は金、諱は秀宗、のちに景徽(けいき)と改名した。父は38代元聖... |
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宣徳王
祖父を元訓角干、父を孝方海干(4等官)、母を四召夫人、王妃を狼品角干の娘の具足王后とする。780年4月に先代の恵恭王を殺して王位に就いた。宣徳王以降を新... |
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恵恭王
恵恭王(けいきょうおう、758年-780年)は新羅の第36代の王(在位:765年-780年)であり、姓は金、諱は乾運。先代の景徳王の嫡男であり、母は舒弗邯(1等官)... |
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僖康王
僖康王(きこうおう、生年不詳-838年)は新羅の第43代の王(在位:836年–838年)であり、姓は金、諱は悌隆(ていりゅう)または(ていぐう)。38代元聖王の曾... |
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孝成王
新羅の第34代の王(在位:737年-742年)。姓は金、諱は承慶。先代の聖徳王の第2子であり、母は順元伊飡(2等官)の娘の。王妃は初め(朴?)永宗の娘を立てて... |
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閔哀王
閔哀王(びんあいおう、生年不詳-839年)は新羅の第44代の王(在位:838年–839年)であり、姓は金、諱は明。『三国遺事』王暦では敏哀王の別表記も伝える。第3... |
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文聖王
文聖王(ぶんせいおう、生年不詳–857年)は新羅の第46代の王(在位:839年-857年)であり、姓は金、諱は慶膺(けいよう)。父は先代の神武王であり、母は貞継... |
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景徳王
新羅の第35代の王(在位:742年–765年)で、姓は金、諱は憲英。先代の孝成王の同母弟であり、父は33代聖徳王、母は順元(2等官)の娘の。王妃は舒弗邯(1等官... |
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聖徳王
聖徳王(せいとくおう、生年不詳-737年)は新羅の第33代の王(在位:702年–737年)であり、姓は金、諱は興光。元の名は隆基であったが、唐の玄宗と同名であっ... |
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神武王
神武王(しんぶおう、生年不詳–839年)は新羅の第45代の王(在位:839年)であり、姓は金、諱は祐徴。第38代元聖王の曾孫であり、父は上大等金均貞、母は朴氏... |
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孝昭王
新羅の第32代の王(在位:692年–702年)であり、姓は金、諱は理洪(『三国史記』新羅本紀・孝昭王紀の分注には理恭ともいう)。先代の神文王の長子であり、母... |
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憲安王
憲安王(けんあんおう、生年不詳–861年)は新羅の第47代の王(在位:857年-861年)であり、姓は金、諱は誼靖(ぎせい)、『三国史記』新羅本紀・憲安王紀の分... |
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景文王
景文王(けいぶんおう、845年?–875年)は新羅の第48代の王(在位:861年-875年)であり、姓は金、諱は膺廉(ようれん)。父は第43代僖康王の子の啓明阿飡(6等... |
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文武王
新羅の第30代の王(在位:661年–681年)であり、姓は金、諱は法敏。先代の武烈王の長子であり、母は角干(1等官)の金舒玄の娘(金庾信の妹)の文明夫人。王妃... |
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神文王
神文王(しんぶんおう、生年不詳-692年)は新羅の第31代の王(在位:681年–692年)であり、姓は金、諱は政明(『三国史記』新羅本紀・神文王紀の分注には明之... |
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憲康王
憲康王(けんこうおう、生年不詳–886年)は新羅の第49代の王(在位:875年-886年)であり、姓は金、諱は(てい)。先代の景文王の長子であり、母は第47代の憲... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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プロフィール
昭聖王(しょうせいおう、生年不詳-800年)は新羅の第39代の王(在位:799年-800年)であり、姓は金、諱は俊邕(しゅんよう)。父は第38代 元聖王の元太子の金仁謙(夭逝して恵忠太子と諡され、 昭聖王の即位後に恵忠大王と追封された)、母は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人( 昭聖王の即位後に聖穆太后と追封された)。王妃は大阿飡(5等官)の金叔明の娘の桂花夫人。 元聖王時代に父仁謙らの太子が夭逝していたために795年1月に俊邕が太子に立てられており、798年12月29日に 元聖王が死去す ...
即位まで
| 『三国史記』新羅本紀においても、元聖王紀と昭聖王紀とでは昭聖王の即位前の略歴について異なった事情を伝えており、系統の異なる史料が存在したものと見られている井上訳注1980p.352注20。 |
| ;元聖王紀の記述。 |
| 元聖王7年(791年)10月に、大阿飡の位から侍中となり、8年(792年)8月に病気のために侍中から退官。 |
| 11年(795年)1月に、太子に立てられた。 |
| ;昭聖王紀(即位紀)の記述。 |
| 元聖王7年(791年)に父の金仁謙が死去し、宮中で養われるようになった。 |
| 5年(789年)には唐に使者として派遣され、大阿飡の位を受けた。 |
| 6年(790年)には波珍飡(4等官)となり、宰相(上大等か?)となった。 |
| 7年(791年)に侍中となり、8年(792年)には兵部の令(長官)になった。 |
| 11年(795年)に太子となり、元聖王の死去により王位を継いだ。 |
治世
| 799年3月に、官僚養成機関である国学の学生のための禄邑として、菁州老居県(慶尚南道巨済市長承浦邑)をあてがった。 |
| これは、新羅の下代(宣徳王以降)の特色である律令制度と貴族連合体制の制度とを融合したものの現れと見られている井上訳注1980p.352注21。 |
| 在位2年にして800年6月に死去し、昭聖と諡された。 |
| 王陵については未詳。 |
| 唐の徳宗からは<開府儀同三司・検校大尉・新羅王>に冊封されるところであったが、冊命使が新羅入りする前に昭聖王が死去したため、冊命使は引き上げたという『旧唐書』211・新羅伝「貞元十六年(800年),授俊邕開府儀同三司、檢校太尉、新羅王。 |
| 令司封郎中、兼禦史中丞韋丹持節冊命。 |
| 丹至鄆州,聞俊邕卒,其子重興立,詔丹還。 |
関連項目
| 唐:徳宗(在位:779年-805年)。 |
| 渤海:康王(大嵩璘)(在位:794年-808年)。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 『完訳三国遺事』一然著金思燁訳、明石書店、1997ISBN4750309923(原著『完訳三国遺事』六興出版、1980)。 |
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