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つながりの強いひと
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浪曲
明治時代初期から始まった演芸の一つ。「浪花節」(なにわぶし)とも言い、三味線を伴奏に用いて物語を語る。浪花節は古くから伝わる浄瑠璃や説経節、祭文語... |
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正司敏江・玲児
元夫婦によるどつき漫才コンビ。敏江が松竹芸能所属で、玲児はフリー。 |
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夢路いとし・喜味こいし
戦前から21世紀初頭にかけて活動した、夢路いとしと喜味こいしの兄弟による日本の漫才コンビ。1937年に少年漫才コンビとして活動を開始、2003年9月に兄の夢路... |
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京唄子
日本の女優・漫才師。所属事務所はさち子プロ。京都府京都市出身。 |
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ミヤコ蝶々
ミヤコ蝶々(ミヤコちょうちょう、女性、本名:日向鈴子(ひゅうがすずこ)、1920年7月6日-2000年10月12日)は女優、漫才師。東京市(現東京都中央区)出身、... |
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フラワーショウ
松竹芸能に所属していた浪曲漫才トリオ。テーマ曲は「道頓堀行進曲」「♪ようこそ~皆さま~ご機嫌宜しゅう~歌って~笑って~フラワーショウ~どうぞ~よろし... |
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レツゴー三匹
和光プロダクション→松竹芸能(じゅんのみオフィスのいり所属)所属の漫才トリオ。タイヘイ一門の総領格だが、永らく半休止状態にある。トリオ名の由来は名古... |
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砂川捨丸・中村春代
砂川捨丸・中村春代(すながわすてまる・なかむらはるよ)は大正、昭和の高度経済成長期にかけて活躍した日本の漫才コンビ。出囃子は『岩見』。 |
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三人奴
三味線漫才トリオ(音曲漫才)。三人奴というトリオ名は、同じ「奴」という字が付くという事で何かと比較された松葉家奴・松葉家喜久奴と区別するために付け... |
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横山たかし・ひろし
横山たかし・ひろし(よこやまたかし・ひろし)は松竹芸能所属の漫才コンビ。横山やすしの弟子で、共に明蝶学院の出身。1968年にコンビ結成。同年に新世界新... |
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上方柳次・柳太
上方柳次・柳太(かみがたりゅうじ・りゅうた)とは戦後にかけて活躍した漫才コンビ。 |
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海原お浜・小浜
上方の女流漫才師である。戦後は角座などの松竹系の劇場やトップホットシアター等に出演。 |
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桜川末子・松鶴家千代八
昭和期に活躍した音曲漫才コンビ(1954年~1974年)。恰幅の良い末子が男勝りの気っ風と節回しで聞かせる江州音頭と、痩躯の千代八が甲高い声で細棹を弾き語... |
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南都雄二
南都雄二(なんとゆうじ、本名:吉村朝治(よしむらちょうじ)、1924年4月26日-1973年3月19日)は上方の漫才師、俳優。大阪市の生まれ。大阪電機学校卒業。愛... |
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プロフィール
- 暁伸・ミスハワイとは
- メンバー
- 概説
- 受賞
- 外部リンク
- 関連サイト
暁伸・ミスハワイ(あかつきしん・ミスハワイ)は、『浪漫 リズム』で知られた夫婦の 浪曲漫才コンビ。2009年、第13回上方演芸の殿堂入り。
メンバー
| 暁伸(あかつきしん1915年(大正4年)12月1日-、本名:森光雄(もりみつお)。 |
| 兵役検査に落ち、地元から朝鮮に渡って大工をしていたが、浪曲への思い断ち難く、浅草に出て1939年京山爲吉(京爲)に入門し京山若秀を名乗る。 |
| 桃忠軒桃千代一座で旅を回るうち、これからは浪曲も三味線一棹の時代ではないと悟り、洋楽を学び歌謡浪曲に進んだ。 |
| タイヘイ洋児、三代目平和ラッパと並ぶ、芸能界屈指のギブソンの遣い手。 |
| 非常に高価なルイ・ヴィトンのバッグを5本も潰して革だけを取り、オリジナルのギターケースを作成している。 |
| ミスハワイ(1926年(大正15年)4月30日-1998年(平成10年)12月13日、本名:森オセイ、旧姓:南口)。 |
| 神戸の岡田芸能社の所属歌手で1936年に春野ひばりの名で初舞台。 |
概説
| 戦時中朝鮮にて『江利チエミショウ』の前座で旅回り中に意気投合した2人は、1944年頃コンビを組む。 |
| 当初は『暁のぼる・春乃ひばり』や『暁のぼる・南光枝』の名で、ギターにクラリネット伴奏でジンタ風のリズムを刻んでいた。 |
| 1946年新興キネマ演芸部所属になり、秋田實門下の浪曲漫才コンビ『暁あきら・南あき子』で再出発したが、なかなか芽が出なかったため、1950年に易者の見立てで『暁伸・南あき子』に改名。 |
| 1951年、砂川捨丸・中村春代一座のアメリカ巡業に加えられ、立ち寄り先のハワイで見たフラやハワイアン・ミュージックからヒントを得て、独特の浪漫リズム(ロマンリズム、名古屋の席亭が命名)を創案、帰国後コンビ名も『暁伸・ミスハワイ』に改めた。 |
| 因みに、タイヘイトリオが名乗ったのは『浪漫ショウ』である。 |
| 二組は犬猿の仲だったといわれる。 |
| 凱旋巡業では英単語混じりの浪曲漫才で売れ出すが、伸が喉を傷め大声を出せなくなったため、苦肉の策として、合いの手役のハワイが前にしゃしゃり出るスタイルに転向。 |
| ど派手なムームーに金髪パーマのカツラで、ヘチマ型のギロをこすり上げ、「行け!」、「いい声で歌わんかい!」と、伸をけしかけながら舞台狭しと立ち回り、甲高い声で「アーイーヤー」(ハワイ語で「さあ、行くぞ」の意味)を連発したところ、これが大受けを取るようになった。 |
| このように、有名な「アーイーヤー」は伸が体調を崩し声が出なくなり間を繋ぐために突発的に生まれたフレーズである。 |
| 恰幅の良いハワイが腰を振りつつ右往左往すれば、伸がその容姿を「♪立てばポスト(旧式)で、座ればだるま…」と扱き下ろしながら、やおら「奥さん、明日も雨でンな」等と客いじりに移る、ペーソス溢れる芸風で一世を風靡した。 |
| オチは伸が「寝ぐらへ帰るダンプカー…」で締めた。 |
| また「♪腰にぶらぶら ヘチマ提げ~」で始まり、「化粧落としたその顔は ふた目と見られぬ 色気婆~」で終わる別バージョンもあった。 |
| 『これは素敵な チョイといかす。 |
| 一節聴いたら ドンピシャリ~♪』で始まるテーマソングは、伸・ハワイが10年以上司会を務めた『お笑いびっくりタイム』(毎日放送)のスポンサー、阪本赤まむし本舗のCMソング(伸の作詞作曲)で、歌詞を一部変更し自らも用いるようになったもの。 |
| また伸・ハワイの楽屋には、同社のマムシグロン(ドリンク剤)が必ず届けられていた。 |
| 芸には非常に厳しく、仲間ともつるまず、酒にも博奕にも手を出さず、芸人らしい格好に気を配り、客受けにも敏感だった。 |
| 千日劇場の楽屋では芦乃家雁玉の後を引き継いで最奥に陣取り、余りの威圧感とドケチ振りから周囲に近づく者が無かったという(三代目桂米朝談)。 |
| 1957年から在籍した千土地興行が1969年に解散すると、古巣の流れを汲む松竹芸能に移籍。 |
| 伸は甘いものが好きでなおかつ大食漢であったために糖尿病を患っていたためにハワイから禁止されていたが、よくトイレなどで楽屋に出された差し入れを隠れて食べていたのを目撃されている。 |
| 浪花座で出演時間を計る役を仰せ付かっていたのに、サボって漫画を読み耽りストップウォッチを押し忘れた濱口優(よゐこ)は、高座を降りたハワイから「死ね!」と面罵されたというが、ちゃんと仕事をしていればお小遣いを欠かさぬなど、ハワイに限っては後輩芸人や裏方への面倒見は決して悪くなかった。 |
| 1998年にハワイが先立った後も、伸は現役最高齢級の芸人としてピンで活動。 |
| 1999年には『金鳥タンスにゴン』(大日本除虫菊)のCMに出演したが、現在は高齢、糖尿病などの理由で舞台には立っていない。 |
受賞
| 第13回上方漫才大賞審査員特別賞。 |
| 1995年大阪府知事表彰。 |
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1936年
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春野ひばりの名で初舞台 |
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1950年
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易者の見立てで『暁伸・南あき子』に改名 |
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投票数
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暁伸・ミスハワイさんについてのひとこと紹介
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