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金子大栄
友達
日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。前近代における仏教・浄土真宗の伝統的な教学・信仰を、広範な学識と深い自己省察にもとづく信仰... |
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行信
奈良時代の僧。738年(天平10年)律師に任じられ、この頃から法隆寺東院の復興に尽力。748年(天平20年)大僧都として諸寺資材帳に署名している。750年(天平... |
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清沢満之
日本の明治期に活躍した真宗大谷派僧侶、哲学者・宗教家。旧姓は「徳永」。幼名は「満之助」。院号法名は、「信力院釋現誠」。 |
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安田理深
兵庫県美方郡温泉町 (現:新温泉町)生まれの仏教学者。... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E7%90%86%E6%B7%B1 安田 理深 師 将来的には... |
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鈴木大拙
禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、... |
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平澤興
日本の医学者。新潟県出身。専門は脳神経解剖学。京都大学教授、京都大学第16代総長などを勤めた。1900年(明治33年)新潟県西蒲原郡七穂村(のち味方村、現... |
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法然
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、1175年(承安5年)、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀... |
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中村元
障害者高齢者の顧客起点の観光再生に成功し、2007年度国土交通省大臣表彰、2008年度内閣府特命大臣表彰を授賞した。 著書は「水族館の通になる」(祥伝社新書... |
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西谷啓治
日本の哲学者・宗教哲学研究者。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授、文化功労者。 |
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親鸞聖人
死んだ後ではない、生きている現在ということで、「業」とは事業の業の字を書いて仏教では「ごう」と読みます。 親鸞聖人は人生の大事業のことを「業」と言わ... |
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歎異抄
鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書。作者は、親鸞に師事した唯円とされる。書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異議異端を嘆いた... |
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興宗
遼の第7代皇帝(在位:1031年6月25日-1055年8月28日)。契丹名は耶律只骨。1016年に第6代皇帝であった聖宗の長男として生まれる。3歳の時に梁王に冊封され、1... |
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真宗
北宋の第3代皇帝(在位:997年5月8日-1022年3月23日)。 |
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親鸞
鎌倉時代前半から中期にかけて活動した日本の僧である。浄土真宗の宗祖とされる。 |
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中村久子
明治~昭和期の興行芸人、作家。両手・両足の切断というハンデにも関わらず自立した生活を送った女性として知られる。 |
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良寛
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕-天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵... |
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山田無文
「裁判官にでもしてやろうと学校に行かせたのに」と怒り、母は「ぼんさん(お坊さん)出さなあかん程、うちは世間に悪いことしてない」と泣く、父は親交のあ... |
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池田勇諦
三重県桑名市出身の僧侶である。元同朋大学教授・学長、現同朋大学文学部特別任用教授、大谷大学(大学院)講師。真宗大谷派「講師」。真宗大谷派・西恩寺前... |
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村上専精
日本の明治・大正期に活躍した教育者、仏教史学者。明治・大正期の教育界において主として高等教育の充実に尽力。特に、仏教思想・仏教史を近代的学問体系か... |
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南条文雄
日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。南條文雄とも表記される。字は碩果、松坡。近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観... |
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プロフィール
曽我量深(そがりょうじん、1875年〈明治8年〉9月5日-1971年〈昭和46年〉6月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗 大谷派僧侶、仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授。旧姓、富岡。法名、「無極院釋量深」。伝統的な解釈のもとに継承されてきた仏教・真宗の教学・信仰を、幅広い視野と深い信念とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した功績は顕著で、近代仏教思想史の展開上、大きな足跡を残した。出身地である旧味方村の名誉村民であった。新潟市南区味方には、同じく名誉村民であった脳神経解剖学者の 平澤興と、量深の2人を顕彰する「曽我・平澤記念 ...
経歴
| 1875年9月5日、新潟県西蒲原郡味方村(現、新潟市南区味方)円徳寺に、富岡量導の三男として生まれる。 |
| 1899年、真宗大学(現、大谷大学)本科を卒業。 |
| 同年、新潟県南蒲原郡新潟村大字指出(現、見附市)の浄恩寺に入寺、曽我恵南の養子となり曽我姓となる。 |
| 1901年、真宗大学が東京府北豊島郡巣鴨村宮仲(現、東京都豊島区上池袋一丁目・宮仲公園付近)へ移転・開校するにともない、東京に移住する。 |
| 初代学監(学長)には、清沢満之が就任する(~1902年)。 |
| 1903年3月、清沢満之が近角常観の留守宅にて主宰した私塾浩々洞に加入する。 |
| 1903年6月6日、清沢満之示寂。 |
| 1904年7月、真宗大学研究院を卒業する。 |
| 同年9月、同大学の教授に就任する。 |
| 1911年、真宗大学を京都に戻し、高倉大学寮と合併し、真宗大谷大学と改称することが決定する。 |
| (1913年、移転)。 |
| 同年9月、同大学の京都移転に反対して辞任する。 |
| 同年10月、郷里新潟に帰り研鑽を続けつつ、同郷の金子大栄と親交を深める。 |
| 1916年、金子大栄のあとを受けて、清沢満之が創刊した雑誌『精神界』の編集責任者として再び東京へ移住する。 |
| 同年9月、東洋大学教授に就任する。 |
| 1924年3月、東洋大学教授を辞任する。 |
| 同年10月、再び郷里新潟に帰る。 |
| 1925年4月、大谷大学教授に再任、京都に移住する。 |
| 1926年、「如来表現の範疇としての三心観」を講義する。 |
| 『無量寿経』に説かれる法蔵菩薩と、唯識思想の阿頼耶識(第8識)とは本質的に同じであり、「本願の三心(至心・信楽・欲生)」と、「阿頼耶識の三相(自相・因相・果相)」とは同じものであると主張する。 |
| 1927年、講義録『如来表現の範疇としての三心観』を著す。 |
| 1930年3月、『如来表現の範疇としての三心観』における主張が、異安心とされ問題となり、事実上追放の形で、同大学教授を辞任する。 |
| (しかし、その後も自説を堅持する)。 |
| 同年9月、金子大栄らと共に左京区鹿ケ谷に興法学園を開設する。 |
| 同学園にて、研鑽と講義を継続し、多くの論文を発表する。 |
| 1941年8月、真宗大谷派の最高の学階である「講師」に任ぜられる。 |
| 同年11月、大谷大学教授に復職する。 |
| 1942年7月11日~8月10日、東本願寺の白書院にて第1回安居本講が開講される。 |
| 講師に量深が選ばれ、講本に『歎異抄』を選ぶ。 |
| この講義録は、北原繁麿・松原祐善・安田理深・日野賢憬が筆録し、1947年に『歎異抄聴記』として出版される。 |
| 1949年、GHQの公職追放の指令により同大学教授を辞任する。 |
| 1951年、同大学名誉教授となる。 |
| 1955年11月~1956年1月、渡米する。 |
| 1959年、東本願寺侍薫寮々頭に就任する。 |
| 1960年、第3回安居本講にて、『顕浄土真実信文類』を講ずる。 |
| この講義録は、1963年に『教行信証「信の巻」聴記』として出版される。 |
| 1961年8月、大谷大学学長に就任する。 |
| 1965年8月、同大学学長に再任される。 |
| 同年、勲三等瑞宝章を受章。 |
| 1967年8月、同大学学長を退任する。 |
| 1968年、第4回安居本講にて、『正信念仏偈』を講ずる。 |
| この講義録は、1969年に『正信念仏偈聴記』として出版される。 |
| 1970年10月、雑誌『中道』における差別表現の問題で、侍薫寮々頭を引責辞任する。 |
| 1971年6月20日、示寂、享年97(満95歳没)。 |
法語集
| ;東本願寺高廊下掲示板に掲載された量深の法語。 |
| 選択本願の念仏とは念仏申せば助かるということではない念仏でなければ助からないということだ。 |
| 自分がわからないから信ずる信心がぐらつく。 |
| われわれは知らなくても仏に願いをかけられ望みをかけられておる。 |
| あるものをおそれ、ないものをほしがる、これが悪人の問題。 |
| 相手を鬼と見る人は自分もまた鬼である。 |
| 仏様どこにおいでになりますか南無阿弥陀仏と念ずる人の前においでになります。 |
| 浄土は言葉の要らぬ世界である人間の世界は言葉の必要な世界である地獄は言葉の通じない世界である。 |
| 往生の“生”は生まれるというほかに“生きる”という意味がある。 |
| 人間は生死(しょうじ)の苦しみをのがれようとして、生死に苦しんでいる。 |
| 如来は我なりされど我は如来に非ず如来我となりて我を救いたもう。 |
| ;真宗大谷派三宝寺HPより転載。 |
| 自分は正直なつもりであろうが、実はそんな人間が一番不正直な人間であろう。 |
| われ如来を信ずが故に如来在しますなり。 |
| 正しい信念というのものは、劣等感を捨てさせることができる。 |
著書
| 『救済と自証』1922年。 |
| 『地上の救主』1924年。 |
| 『如来表現の範疇としての三心観』1927年。 |
| 『本願の仏地』1933年。 |
| 『本願の内観』1934年。 |
| 『親鸞の仏教史観』1935年。 |
| 『伝承と己証』1938年。 |
| 『行信の道』1940年。 |
| 『内観の法蔵』1941年。 |
| 『真宗の眼目』1949年。 |
| 『歎異抄聴記』東本願寺大谷出版協会、1947年。 |
| 『暴風駛雨』1951年。 |
| 『生産道の宗教』1954年。 |
| 『分水嶺の本願』1954年。 |
| 『象徴世界観』1956年。 |
| 『信に死し願に生きよ』1961年。 |
| 『法蔵菩薩』1963年。 |
| 『我如来を信ずるが故に如来在(まし)ます也』1966年。 |
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1875年
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新潟県西蒲原郡味方村(現、新潟市南区味方)... |
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1899年
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真宗大学(現、大谷大学)本科を卒業 |
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