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つながりの強いひと
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野口遵
日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッ... |
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海音寺潮五郎
日本の小説家・作家。本名は末富東作(すえとみとうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務... |
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井上雅彦
東京都出身の小説家。東京都立板橋高等学校を経て明治大学商学部卒業。1983年(昭和58年)、「よけいなものが」が星新一ショートショート・コンクールにて優... |
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春風亭柳之助
春風亭柳之助(しゅんぷうていりゅうのすけ)は落語の名。過去に6人ほど確認されている。麗々亭柳之助(柳の助とも)-初代麗々亭柳橋門下。存在した時期は弘... |
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エドヒガン
バラ科サクラ属の植物の一種。桜の野生種の一つ。彼岸ごろに花を咲かせることからこの名前がついた。 |
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アイスカービング
○地アイスカービング 3.00 現役 牝7歳 黒鹿毛 美浦・松山将樹 お気に入り馬登録 (登録数: 3 人) プロフィール 戦績 血統 掲示板 写真館 調教 ... |
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仲村渠
本名仲村渠到良(なかんだかりちりょう)。那覇市生まれ。県立一中から熊本鎮西中学に転校、明治学院入学。
「文章倶楽部」「詩神」「日本詩人」などに詩作を... |
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阿曽村孝雄
阿曽村 孝雄(アソムラ タカオ) 1944年、東京都に生まれる。早稲田大学文学部を卒業。広告代理店、博報堂に入社、コピーライター&CMディレクターとして広... |
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島津斉彬
江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主(在任:嘉永4年(1851年)-安政5年(1858年))。島津氏の第28代当主である。 |
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東北電
山口荘一郎 プロフィール
昭和52年2月生まれ(33才)
平成11年3月 新潟大学経済学部 卒業
平成11年4月 東北電力株式会社 入社
平成22年2月現在 東北電力... |
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ヨーロッパ
スウェーデン出身のハードロックバンド。"TheFinalCountdown"(1986年)の大ヒットで知られる。1992年から一旦長期にわたり活動を停止するが、2004年に再結成を... |
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いさし
いさし さんのネームカード いさし アクセス数 : 629 ■プロフィール 自己紹介 長野のリスナーです。 日記サークル 外部ブログ... |
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霧島
霧島(きりしま)霧島山-鹿児島県と宮崎県の県境にある山塊。キリシマ-ツツジ科の常緑樹。霧島一博-大相撲の力士。霧島、きりしま(船舶愛称)霧島(戦艦):大... |
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さつま
名前: さつまあげかるかん 年齢: 47 性別: 男性 カテゴリ: エンターテイメント 閲覧数: 28,522 登録日: 2007/03/10 お気に入られ数: 8 最終ログイン: 2週間以... |
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DinosaurJr.
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新納忠元
新納忠元(にいろただもと)は戦国時代の武将。島津氏の庶流の一族・新納氏に生まれ、智勇に優れたことから重用された。 |
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八幡
八幡 プロフィール ブログ なう ピグの部屋 アメンバーになる メッセージを送る プレゼントを贈る プロフィール ニックネーム 八幡 性別 男... |
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吉田拓郎
日本の男性シンガーソングライター。本名同じ。旧芸名は平仮名の「よしだたくろう」。楽曲提供者としては「入江剣」の名を用いることもある。鹿児島県大口市... |
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創始者
ダイエー創始者 中内功[なかうちいさお] (1922〜2005) 1922年兵庫県神戸市生まれ。ダイエーを流通業界の最大手に一代で築き上げた... |
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水口
水口和彦 Kazuhiko Mizuguchi
石川県金沢市出身。1967年生まれ
(有)ビズアーク取締役社長
「時間管理」を専門に執筆や研修・講演、
コンサルティングを行... |
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プロフィール
曽木発電所遺構(鹿児島県伊佐市) 撮影日:2010(H22).09.16 『日本の化学工業と、時代を駆け抜けた男の歴史が始まった場所』 曽木の滝から1.5km下流に造られた「曽木第二発電所」。 竣工は1909(M42)年。 昭和40年ダム建設により役割を終え、その優雅な姿は湖底に沈むこととなりますが、毎年5月から9月頃水量調整時にのみ水上に姿を現し、多くの見学者が訪れます。 設立者は日本の電気化学工業の祖と言われる野口遵(のぐちしたがう)。 二階建て部分にはドイツのシーメンス社製の発電機が4台据え付けられ発電量は約6700kw。 電気は市内の鉱山に送られ、余剰電力は熊本県水俣市の日本窒素肥料(株)において、電気化学工業の発展に使われました。 三階建ての管理棟部分と合わせ、明治期に造られ鹿児島県に唯一残る煉瓦建造物です。 2006(H18)年3月国の登録文化財に指定されまし ... もっと見る
曽木発電所遺構(鹿児島県伊佐市) 撮影日:2010(H22).09.16 『日本の化学工業と、時代を駆け抜けた男の歴史が始まった場所』 曽木の滝から1.5km下流に造られた「曽木第二発電所」。 竣工は1909(M42)年。 昭和40年ダム建設により役割を終え、その優雅な姿は湖底に沈むこととなりますが、毎年5月から9月頃水量調整時にのみ水上に姿を現し、多くの見学者が訪れます。 設立者は日本の電気化学工業の祖と言われる野口遵(のぐちしたがう)。 二階建て部分にはドイツのシーメンス社製の発電機が4台据え付けられ発電量は約6700kw。 電気は市内の鉱山に送られ、余剰電力は熊本県水俣市の日本窒素肥料(株)において、電気化学工業の発展に使われました。 三階建ての管理棟部分と合わせ、明治期に造られ鹿児島県に唯一残る煉瓦建造物です。 2006(H18)年3月国の登録文化財に指定されました。
写真は前回の曽木の滝に戻ります。 滝の上流から発電所への導水路が造られています。 取水口部分には水門が設置され、水量調整用の歯車が今も残っています。 導水路の跡も数多く残っています。 これは、第一発電所への導水路です。第一発電所は1907年に滝から近い位置に造られましたが、1909年洪水により使用不能となります。 曽木の滝から第1・第2発電所の位置関係(案内板より) 稼働時の第2発電所(案内板より) ここで野口遵の略歴を記しておきます。 明治 6年(1873) 7月26日金沢市で生まれる。 明治29年(1896) 東京帝国大学電気工学科を卒業。郡山電燈の技師長として赴任。 明治31年(1898) シーメンスの東京支社に入社。この間カーバイドの研究を続ける。 明治36年(1903) 三居沢(仙台市)で我が国最初のカーバイドを生産。 明治39年(1906) 曾木電気を創立。鹿児島県の曽木滝を利用して水力発電を起こす。 明治41年(1908) 日本カーバイド商会を設立し水俣に工場を建設。 曾木電気、日本カーバイド商会を合併して社名を日本窒素肥料(現チッソ)と 改称し、石灰窒素、硫安の製造を開始。 大正10年(1921) カザレー(伊)のアンモニア合成の特許を買収して延岡に世界最初の カザレー式アンモニア合成工場を建設。 大正11年(1922) 旭絹織を設立。 大正12年(1923) 延岡工場を新設、硫安を生産。 大正13年(1924) 朝鮮への進出を決定。 大正14年(1925) 北朝鮮赴戦江で水力発電の開発(20万kW)に着手。 続いて長津江(33万kW)、虚川江(34万kW)を完成、鴨緑江本流には 水豊発電所(70万kW)を建設。 昭和 4年(1929) ドイツ・ベンベルグ人絹の特許をもとに日本ベンベルグ絹絲(現旭化成)を 設立。 昭和16年(1941) 全財産3,000万円を寄付し、2,500万円で野口研究所を設立。500万円を 朝鮮奨学会に寄付。 昭和17年(1942) 勲一等瑞宝章を受章。 昭和19年(1944) 1月15日逝去。享年72歳。 保存のための補強改修工事が行われました。 ホテイアオイとウォーターレタスが湖面を覆い尽くそうとしています。 戦後、財閥解体の中で、日本窒素肥料株式会社は1949(S24年)に解散、水俣工場が新日本窒素肥料株式会社(現・チッソ株式会社)に、延岡工場が旭化成工業株式会社に、プラスチック事業が積水産業株式会社(現・積水化学工業株式会社)となりましたが、日本が世界に誇る化学技術は今日まで脈々と受け継がれています。 明治から昭和の激動期に国内外で数々の事業を手掛け、日本の近代化・電気化学工業の発展に輝かしい功績を残した野口遵ですが、彼が生きた時代背景に大陸進出、戦時体制へと突き進む日本があったこと、また、公害の原点と呼ばるチッソ(株)=水俣病の構図が強くイメージされているからか、野口遵を称賛する声が聞こえないように感じられます。 「おれの全財産はどのぐらいあるか」。1940年(昭和15年)2月、野口が京城(現ソウル)で病に 倒れたとき、側近をまくら元に呼んで調べさせた後、こう語ったという。 「古い考えかもしれんが、報徳とか報恩ということが、おれの最終の目的だよ。そこでおれに 一つの考えがある。自分は結局、化学工業で今日を成したのだから、化学方面に財産を寄付したい。 それと、朝鮮で成功したから、朝鮮の奨学資金のようなものに役立てたい」 こうして私財3000万円(現在の価値で約300億円)のうち、2500万円で化学工業を調査研究する ための「財団法人野口研究所」が設立され、500万円を朝鮮総督府に寄付して「朝鮮奨学会」の 原資とした。 日本にも古今、富豪と呼ばれる人は数多いが、全財産を投げ出してまで社会貢献を志した例は、 あまりないのではなかろうか。以下略 (日本経済新聞 2000年3月6日 20世紀日本の経済人61人飛翔編より) 湖面に現れた煉瓦建築の美しさもさることながら、創設者野口遵の人物像や彼が生きた時代背景、そして現代、いろいろな想いをかき立てる曽木発電所でした。 ※記事に際し、(財)野口研究所のHPから一部引用しました。
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