| プロ入り当初はコントロールに難があった。 |
| ルーキーイヤーの2000年は、9試合に登板するも防御率14.02と活躍する事ができず、翌2001年は1勝も挙げられることが出来ず5敗を喫しました。 |
| 2002年、フォームを改造、踏み込む足(左足)をすり足ぎみに出すことによりコントロールが安定。 |
| そのまま先発ローテーションに定着し、11勝(11敗)の好成績を残す。 |
| 2003年は、更なる飛躍が期待され、初本塁打も記録するが、右肘剥離骨折により戦線離脱(開幕前から既に投げられるような状態ではなかったが、二軍落ちが嫌だったため言い出さなかったとのこと)。 |
| 2004年、背番号を41から18に変更し復活を期して望む。 |
| 開幕直前に右肩痛を起こしたが、5月26日のヤクルト戦で復活勝利を果たす。 |
| しかし先発ローテーションに食い込むには至らず、この年の中日の優勝に貢献したとは必ずしも言えない成績であった。 |
| 日本シリーズのメンバーには入り、先発ではなかったが登板も果たしている。 |
| 2005年は、主に先発を任され、一軍と二軍を往復する不安定さは相変わらずであったものの、中盤から後半にかけては好投を見せ、阪神猛追の一翼を担った。 |
| 個人批判をあまりしないことで有名な落合監督も、この頃の朝倉に対しては厳しく言及することが多かった。 |
| これは期待の裏返しであり、なかなか期待に応えることのできなかった朝倉を鼓舞激励していたとの見方ができる。 |
| その期待の大きさは朝倉に18番をつけさせたこと、2006年度の背番号変更の際も主力投手の背番号とされる14番(古くは板東英二、今中慎二らがつけていた)を与えたことからも窺い知れる。 |
| 2006年、2月に行われたWBC壮行試合では12球団選抜に選ばれ、WBC出場組のイチローを内野ゴロに打ち取った。 |
| 開幕時は石井裕也(現:日本ハム)と共にロングリリーフでの起用となったものの、5月に先発で起用されてから好投し、勝利を重ねる。 |
| ピンチを招いても新球シュートを駆使し内野ゴロ併殺で切り抜ける場面がよく見られ、同時に制球面も改善された。 |
| 7月4日の巨人戦では2002年以来4年ぶりの完封勝利を記録、監督推薦でオールスターゲームにも出場した。 |
| 8月16日には2002年以来4年ぶり、自身2度目となる2桁勝利を達成。 |
| その後も勝利数を伸ばし、10月8日の対横浜戦において自己新記録となる12勝目、同月14日には得意のヤクルト戦で13勝目を挙げる。 |
| 落合監督も「朝倉は去年までとは全然違う」と語るなど、ようやく首脳陣の信頼を得て、ローテーション投手として飛躍を遂げた1年となった。 |
| 日本シリーズでは敵地初戦の第3戦に先発し、初回の立ち上がりに失点したものの2回以降立て直し、終盤まで追加点を許さない好投を見せるが打線の援護なく敗戦投手となった。 |
| 2007年は、開幕から先発として起用される。 |
| 前半は制球難で低迷したが、夏場に入って調子を上げ、7月と8月は7勝1敗の好成績。 |
| 特に8月は4勝0敗、防御率1.10で自身初の月間MVPに輝いた。 |
| しかし9月に入っての優勝争いの中で再び調子を落とし、12勝目以降は防御率8.38と打ち込まれる。 |
| 12勝目の時点で防御率2.55と最優秀防御率が狙える位置にいたが、最終的には3.36まで数字を落としてしまった。 |
| それでも自身初となる2年連続2桁勝利を挙げ、シーズンを通してローテーションを守ったことは、先発の柱としての責任は果たしたといえる。 |
| なお、被本塁打9は規定投球回数以上を投げたセ・リーグ投手の中では最も少ない(セ・パ両リーグでも2位タイ)。 |
| また、ナゴヤドームでは防御率2.11、6勝1敗と大活躍した一方、地方球場を除いたビジターでは2勝6敗、防御率5.12と内弁慶ぶりを発揮している。 |
| クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦に先発が予定されていたが10月9日、練習後車で帰宅中に交差点でバイクとの人身事故を起こしてしまう。 |
| この結果先発回避、山井大介の肩痛などもあり、第1戦には第1ステージにリリーフ登板していた小笠原孝が急遽先発。 |
| チームは3連勝、日本シリーズ進出を決めたものの朝倉自身は厳重注意処分を受けた。 |
| 10月30日の日本シリーズ第3戦では、先発投手として被安打9ながら7回1失点と日本ハムを抑えて見事日本シリーズ初勝利を挙げ、中日ドラゴンズ53年ぶりの日本一に大きく貢献。 |
| アジアシリーズでは第2戦に登板し、6回2失点の好投で中日の初勝利を飾り、チームもアジア一に輝いた。 |
| 2008年、開幕から先発として起用されるが、5月30日、不調により登録抹消。 |
| 6月22日に1軍復帰し、7月3日の阪神戦で5回1失点と好投するが、7月6日に再び戦線離脱。 |
| 右腕の血行障害であることが判明した。 |
| その後リハビリを経てフェニックスリーグで実戦に復帰、好投によりクライマックスシリーズ第2ステージ第2戦の先発に抜擢されるが、小笠原道大の2打席連続本塁打などで2回6失点とKOされ、チームも敗れた。 |
| 第3戦では12回裏に登板し1回無失点でシーズンを終えている。 |
| 2009年、開幕から先発として戦列に復帰する。 |
| 後半で調子を落としたため9月18日に登録抹消されるが、再登録後となる9月29日の巨人戦でシーズン10勝目を挙げる。 |
| 防御率は4.04とやや高めで完投も0だったが、選手生命を危ぶまれた血行障害を克服し、2年ぶりとなる規定投球回数到達と二桁勝利を達成した。 |
| 地方球場に強く、2009年までの58勝のうち11勝を地方球場で挙げている。 |
| また、出身地の岐阜の長良川球場、父方の祖父母が住む福井の福井県営球場でも勝利を挙げている。 |
| その代わりにナゴヤドームが苦手と話している(暑い、風が吹かない、マウンドが固いなど)。 |
| 汗をかきやすい体質なのか、マウンド上で汗だくになっている姿がよくみられる。 |