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プロフィール
- 木佐貫洋とは
- プロ入り前
- プロ入り後
- 人物
- 鉄道ファン
- 年度別投手成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
木佐貫洋(きさぬきひろし、1980年5月17日-)は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身。
プロ入り前
| 川内高校では3年時の1998年、鹿児島県春季高校野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。 |
| 夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。 |
| 甲子園出場を逃した鹿児島県大会はこの年まで準々決勝と準決勝の間に休養日がなく、日程の関係上、杉内は準決勝と決勝の2連投だったが、木佐貫は準々決勝から3日連続登板。 |
| 準決勝は雨によりナイターゲームとなった為、翌日の決勝に疲労を残していた。 |
| 鹿児島実業は1日の休養が有った。 |
| これを受けて県大会の日程に問題有りとされ、後に日程が見直される発端となった。 |
| 卒業後は亜細亜大学に進学。 |
| 東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。 |
| 4年生時は2季連続で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの三冠受賞。 |
| 第1回世界大学野球選手権日本代表にも選出された。 |
| 2002年のドラフト会議で読売ジャイアンツに自由獲得枠で入団。 |
プロ入り後
| ルーキーイヤーの2003年はリーグ最多の2完封を含むシーズン10勝を挙げ新人王に選ばれる。 |
| しかし、翌2004年は成績が伸びず、シーズン途中から一時抑えに転向する。 |
| 2005年は14試合の登板にとどまり未勝利(0勝1敗5セーブ)、7月に右肩甲骨下の手術を行う。 |
| 2006年1月に二岡智宏と共に奄美大島での小久保裕紀・斉藤和巳の自主トレに同行。 |
| 6月19日のオリックス戦で約1年ぶりに1軍登録、即先発するも、3失点で敗戦投手になる。 |
| 合計3度先発のチャンスを与えられるが、いずれも序盤にKOされてしまい0勝3敗でシーズンを終え、2年連続未勝利という結果に終わった。 |
| 2007年は主力投手であった上原浩治・ジェレミー・パウエルが故障で出遅れたため開幕一軍入りを果たし、自己最高となる12勝(9敗)・防御率3.09をマークして活躍。 |
| 内海哲也・高橋尚成とともに一年を通してローテーションを守ったひとりとなった。 |
| 2008年は、開幕から低迷するチームの中で好投し、4月で3勝(1敗)をあげ、敗戦による「8イニング完投」ながら2004年以来となる完投も記録した。 |
| しかし5月から調子を崩し、7日の阪神戦では3回途中金本知憲への頭部死球で危険球退場となる。 |
| 以後、短いイニングで降板する試合が続き8月に1軍登録を抹消。 |
| そのままシーズンを終え、前半戦の貢献を主張するが認められず年俸減で更改した。 |
| 年末会田有志などの成長株がドミニカウィンターリーグに派遣されることをうけ、本人の希望でドミニカへ渡った。 |
| 2009年は、開幕先発ローテーション枠争いに敗れ、二軍スタート。 |
| 8月のローテーションの谷間でようやくシーズン初登板・初先発のチャンスを得たが、3回途中3失点でKOされ、二軍降格。 |
| その後、一軍登板機会が得られぬまま、シーズンを終えた。 |
| 二軍では先発の軸として活躍し、リーグ最多勝(9勝)、最多奪三振(94個)の二冠となったが、防御率は4.05と奮わなかった。 |
| 同年12月4日、高木康成との交換トレードでオリックス・バファローズに移籍 |
| 2010年は、オープン戦で好投し、開幕ローテーション入りを果たす。 |
| 3月28日の福岡ソフトバンクホークス戦で、8回途中1失点で、2008年7月27日以来となる609日ぶりの移籍後初勝利を挙げた。 |
| 5月22日の阪神戦から5連勝を記録。 |
| 6月は29日の楽天戦で、新人時代の2003年以来となる7年ぶりの完封勝利記録するなど4勝0敗の活躍で6月の月間MVPを獲得する。 |
| 7月31日の勝利で9勝目を挙げたが、8月6日のロッテ戦で9回2死まで無失点ながら、そこから3失点を喫して敗戦投手になると、この試合から5試合は、自身が登板している間の味方打線の援護が5試合で僅か計2点しかなく、なかなか白星がつかなかった。 |
| 9月8日のロッテ戦で2失点完投勝利をあげ、3年ぶりの二桁勝利を達成。 |
| 最終的に防御率3点台も記録したが、好不調の波が激しく12敗を記録し与四球数はリーグ2位、暴投と与死球数はリーグ最多と制球を乱す試合も多かった、また援護率はパリーグでワースト2位の3.71となかなか打線の援護に恵まれなかった。 |
| 一方で被本塁打は9本と少なかった。 |
| また、ロッテ戦では4勝4敗、交流戦では3勝1敗とまずまずの成績を残した一方で、西武戦では5戦4敗、防御率7.01と非常に相性が悪かった。 |
| 2011年は、4月12日に福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦で自身初の開幕投手を務めたが、12球団の開幕投手で唯一勝利がなく5月4日に登録抹消となった。 |
| その後、14日に一軍登録となり、同日の北海道日本ハムファイターズ戦(函館市千代台公園野球場)に先発したが、2回1死からホームランと連打で8失点で降板。 |
人物
| 高校時代から注目されていた投手で、速球とフォークのコンビネーションで三振の山を築くスタイルは当時からである。 |
| 地元薩摩川内市内には「木佐貫ロード」(距離約1.7km)なるものが存在する。 |
| そこは木佐貫本人が中学・高校時代にトレーニングをした場所であり、同選手の活躍と更なる人材輩出を願って、地元市民団体によって名づけられた。 |
| 登板時のBGMは入団してからずっとヴァン・ヘイレンの『JUMP』を使用している。 |
| 打席に入るときはHOTEI&Charの『StereoCastar』。 |
| 当時低迷していた巨人投手陣の再建を期待され招聘された尾花高夫投手コーチ(現・横浜ベイスターズ監督)が実際に巨人の若手投手の投球を目にした際、「ソフトバンクを超える投手陣を作れる。 |
| 」と、コメントしたが、特に木佐貫は「潜在能力は斉藤和巳クラス。 |
| 」と、そのポテンシャルが絶賛された。 |
| 2007年から背番号は21から41にかわった。 |
| 原監督からは「巨人のトム・シーバーになってほしい」という期待のあらわれと、復活して欲しいという意味がこめられているものとみられる(巨人の41番は、かつての斎藤雅樹が着けていた番号でもある)。 |
| 几帳面な性格で日記を書く際には、文字を一定の間隔を空けて書くことがテレビ番組で紹介されたことがある。 |
| 日記を書くことになったきっかけは、リハビリ中に当時巨人のチームリーダーの1人だった小久保裕紀に「苦しいときの記録を残しておけ」とすすめられたという。 |
| いつでも謙虚で、前向きな姿勢がファンから慕われている。 |
| コーチからの助言を聞くときはもちろん、取材などでも直立不動と、生真面目な選手である。 |
| 練習にも極めて熱心である。 |
| ルーキーイヤーの2003年には、大学から同期で広島東洋カープの永川勝浩投手と、シーズン最後まで新人王争いを演じた。 |
| 本人曰く、大雑把な性格だったが、亜細亜大に入ってから変わったと話している。 |
| 苦手なバッターは「赤星さんや井端さんのようなしつこいバッター」だが、質問に答えてから「ウチの大学の教えを実行しているひと(亜細亜大学の先輩)」と気が付いた。 |
| 2008年5月7日の阪神タイガース戦で金本知憲の頭部死球を与えた翌8日、試合前の練習中に本人のもとへ駆け寄って頭を下げて謝罪した。 |
| 「また思い切り投げてこいよ。 |
| 気にするなよ、大丈夫だから、と言われました。 |
| 」と、笑顔で対応した金本の気遣いに感謝していた。 |
| 歴史学に優れており、ズームイン!!サタデー内のコーナー『プロ野球熱ケツ情報』では、出題されたテーマにまつわる歴史上の人物について語ることが多い。 |
| 趣味は地図を持ちながらの街歩き。 |
| 外出先のオープンテラスからラジオに電話出演したことがある |
| シーズン中に遠征する際には、趣味と実用を兼ねて、必ず遠征先の地図を自前で持参するという。 |
| 前述『MBSたびぐみ』に出演した際の発言より。 |
| 高木康成との交換トレードが成立した際に、かねてから親交の深かった岡田彰布と原辰徳の間柄で成立した友情トレードであり、岡田を信頼した上でのトレードであったと言われた。 |
| また、清武英利は幹部候補生として修業に出す気持ちと語っており、将来的には巨人に復帰することも示唆している |
| 同じシーズンオフにオリックスに移籍した赤田将吾とは同郷(鹿児島県出身)同学年で、中学校時代に対戦している(当時投手だった赤田の1安打完封勝ち)。 |
鉄道ファン
| 「プロ野球界随一の鉄道ファン」として有名。 |
| オリックスに移籍後は、阪神なんば線の沿線にある自宅から、京セラドーム・スカイマークスタジアムまで電車で移動することもある。 |
| 2010年11月28日に京セラドーム大阪で開催されたBsファンフェスタでは、当日京セラドーム大阪まで来るのに使ったドーム前駅の通路でオリックスファンの少年と目が合い、会釈をしたが無視されたというエピソードを披露した。 |
| 2010年のシーズンオフに当たる12月7日(水曜日)には、「西日本一の鉄道アナ」として有名な馬野雅行(毎日放送アナウンサー)がパーソナリティを務める『MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ』(MBSラジオ)にゲスト出演。 |
| 「現役プロ野球選手・木佐貫とスポーツアナウンサー・馬野」という顔合わせにもかかわらず、双方の希望で、放送中は鉄道の話題に終始した。 |
| 放送中には、阪急電鉄の車両の座席の手ざわりを気に入っていることや、プロ野球からの誘いがなければ鉄道系の社会人野球チームへの入団を検討していたことなどを自ら明かしていた。 |
| 2011年3月に全線開通する九州新幹線の宣伝活動にも意欲を燃やしている。 |
年度別投手成績
| 2010年度シーズン終了時。 |
| 各年度の太字はリーグ最高。 |
表彰
| 新人王(2003年)。 |
| 月間MVP:1回(2010年6月)。 |
記録
| 初登板・初先発:2003年3月30日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、2回5失点で敗戦投手。 |
| 初奪三振:同上、1回表に福留孝介から。 |
| 初勝利・初先発勝利:2003年4月25日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、7回3失点。 |
| 初完投勝利:2003年5月10日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)。 |
| 初完封勝利:2003年7月29日、対中日ドラゴンズ18回戦(東京ドーム)。 |
| 初セーブ:2004年7月4日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)。 |
| 初安打:2003年4月25日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、3回表にクリス・ホルトから右前安打。 |
| 初打点:2004年7月8日、対横浜ベイスターズ16回戦(東京ドーム)、3回裏に吉川輝昭から右越適時二塁打。 |
| オールスターゲーム出場:2回(2003年、2010年)。 |
背番号
| 21(2003年-2006年)。 |
| 41(2007年-2009年)。 |
| 12(2010年-)。 |
関連項目
| 鹿児島県出身の人物一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
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1980年
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木佐貫 洋(きさぬき ひろし)は、オリックス... |
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1998年
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鹿児島県春季高校野球大会にて杉内俊哉を擁す... |
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投票数
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