9515
9656
116367
%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%B5%E5%A4%AA%E9%83%8E
%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%B5%E5%A4%AA%E9%83%8E
%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%B5%E5%A4%AA%E9%83%8E
%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%B5%E5%A4%AA%E9%83%8E
%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%B5%E5%A4%AA%E9%83%8E
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 木村兵太郎の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
板垣征四郎
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を... |
|
|
武藤章
昭和の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。極東国際軍事裁判(東京裁判)で唯一中将として絞首刑判決を受けた。 |
|
|
松井石根
松井石根(まついいわね、明治11年(1878年)7月27日-昭和23年(1948年)12月23日)、中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長、陸軍大将... |
|
|
土肥原賢二
土肥原賢二(どいはらけんじ、明治16年(1883年)8月8日-昭和23年(1948年)12月23日)は大日本帝国陸軍大将。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離... |
|
|
東條英機
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。新字体で東条英機(とうじょうひでき)とも表記される。陸軍大臣、内... |
|
|
広田弘毅
日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。旧名は丈太郎(じょうたろう)。新字体で広田弘毅(ひろたこうき)とも表記される。外務大臣(第49・50・51・55代)、... |
|
|
平沼騏一郎
日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は法学博士。号は機外。大審院検事局検事総長(第8代)、大審院長(第11代)、日本大... |
|
|
佐藤賢了
日本の陸軍軍人、陸軍中将。石川県河北郡花園村字今町(現・金沢市今町)出身。身長5尺6寸(169cm)。 |
|
|
梅津美治郎
昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。通称「無言の将軍」。東京裁判で終身刑の判決を受け、服役中に獄中死。昭和53年(1978年)に靖国神社に合祀される。 |
|
|
木戸幸一
第二次世界大戦期の日本の政治家である。侯爵。最後の内大臣。幸一の父・木戸孝正は明治の元勲・木戸孝允の妹・治子と長州藩士・来原良蔵の長男。夫人は陸軍... |
|
|
白鳥敏夫
大正、昭和期の日本の外交官・政治家。東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。元外務大臣石井菊次郎も叔父にあたる。息子に白鳥正人元北陸財務局長。 |
|
|
鈴木貞一
日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。 |
|
|
東郷茂徳
東郷茂徳(とうごうしげのり、1882年(明治15年)12月10日-1950年(昭和25年)7月23日)は日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大... |
|
|
荒木貞夫
日本の陸軍軍人、第一次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。皇道派の重鎮であり、昭和初期の血気盛んな青年将校のカリスマ的存在であ... |
|
|
永野修身
大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校28期。最終階級は元帥海軍大将・正三位・勲一等・功五級。東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。帝国海軍の歴史上、海軍三長... |
|
|
重光葵
第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。第二次世界大戦中に外務大臣を務め、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した。戦後は東京裁判で有期禁... |
|
|
廣田弘毅
いなかったと思います。桂園時代を築いた、桂太郎・西園寺公望の両名は公爵だったかと。平民ですね。廣田弘毅・吉田茂などは外交官試験に合格し外相から総理... |
|
|
松岡洋右
松岡洋右(まつおかようすけ、3月4日-6月27日)は日本の外交官、政治家。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦... |
|
|
プロフィール
- 木村兵太郎とは
- 生い立ち・前歴
- ビルマからの撤退
- 東京裁判
- 年譜
- 親族
- 木村兵太郎を演じた人物
木村兵太郎(きむらへいたろう、明治21年(1888年)9月28日-昭和23年(1948年)12月23日)は、昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。 太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。
生い立ち・前歴
| 東京都出身本籍は埼玉県。 |
| 半藤一利・横山恵一・秦郁彦・原剛『歴代陸軍大将全覧 昭和編 太平洋戦争期』(中央公論新社[新書ラクレ],2010年)より。 |
| 広島一中、広島陸軍地方幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校卒。 |
| 昭和14年(1939年)3月から第32師団長、昭和15年(1940年)、関東軍参謀長。 |
| 昭和16年(1941年)4月から同18年(1943年)3月まで陸軍次官。 |
| 昭和19年(1944年)8月、ビルマ方面軍司令官。 |
ビルマからの撤退
| 昭和20年(1945年)、イギリス軍のビルマ侵攻が開始され、ビルマの防衛は危機に瀕していた。 |
| 木村はイギリス軍のビルマ侵攻を知った時、恐怖で手が震え、何も話すことができなくなるほど動揺し、作戦指導はほぼ不可能な状態に陥っていた『ビルマ脱出記・外交官の見たビルマ方面軍壊滅の日』 田村正太郎 著 図書出版社。 |
| 4月13日、ラングーン北西部の防衛戦を指揮していた第28軍司令官桜井省三中将は、木村に対し、「戦局の推移が迅速でいつラングーンが戦場になるかもわからない。 |
| ラングーンが攻撃されてから方面軍司令官が移動しては逃げ出したことになり、作戦指導上困難が生ずる」として、「方面軍司令部を速やかにシヤン高原に前進させ、第一線で作戦を指導すべき」と進言したが、木村はこれを却下した。 |
| 同様に田中新一方面軍参謀長も「方面軍司令部は敢然としてラングーンに踏みとどまり、いまや各方面で破綻に瀕しつつある方面軍統帥の現実的かつ精神的中心たるの存在を、方面軍自らラングーンを確保することにより明らかにすべき」と主張していたが、司令部の撤退が田中参謀長の出張中に決定された。 |
| 4月23日、木村は幕僚とともに飛行機でラングーンを脱出、タイとの国境に近いモールメインへ撤退した。 |
| 南方軍へは無断の首都放棄であった。 |
| 前線で苦戦する隷下部隊や、日本が支援したビルマ政府のバー・モウ首相、自由インド仮政府のチャンドラ・ボース主席、自由インド仮政府初代公使の蜂谷輝夫、石射猪太郎駐ビルマ大使以下日本大使館員及び民間の在留邦人、傷病兵などは置き捨てられた。 |
| 取り残された人々は、陸路で脱出を試みたが、多くの犠牲者を出した(この時、チャンドラ・ボースは常にインド国民軍部隊の殿を歩き、渡河を行うときなどは最後の兵が渡河を終えるまで川岸を離れなかったという)。 |
| なお、木村はこの逃避行の後に陸軍大将に昇進している。 |
| 木村を含めたビルマ方面軍司令部の唐突なラングーン放棄により、方面軍の指揮命令系統は大混乱に陥った。 |
| イラワジ河西部でイギリス軍と激戦中だった第28軍は敵中に孤立してしまい、のちに脱出する過程で半数以上が死亡するという大きな犠牲を払うことになった。 |
| ビルマ戦役における日本軍の戦死者は約14万4千人に達するが、悲惨を極めたと言われるインパール作戦における戦死者は1万8千人と12.5%であり、戦死者の約52%がこの最終段階で発生している。 |
| 我が身を逃がすために必要な指揮を怠り、日本と盟友関係にある外国要人や在留邦人の保護義務も果たさなかった木村の軍司令官としての責任については、ビルマ戦役の生還者を中心に厳しい批判がなされている。 |
東京裁判
| 戦後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受けた。 |
| 死刑判決を受けた理由は、第3次近衛内閣・東条内閣で東条陸軍大臣の下で次官を務めていたこと(東条英機の権力掌握時に木村と軍務局長武藤章が陸軍中枢の権力を握っていた)によるものが大きい。 |
| 連合国側からは日本の陸軍次官職について欧米並みの政治的権限を持つと考えられ(特に陸軍大臣が総理大臣の兼務であったこともその見解を強めた)、実際以上にその権限を過大評価されていたとする見方もある。 |
| なお、ビルマ方面軍司令官としての行動については訴因として挙げられておらず、あくまで陸軍次官在職時の責任のみが追及されている。 |
| 訴因の中に「英国に対する大東亜戦争遂行」という項目があるが、これは28名のA級戦犯すべて(民間人であった大川周明さえも)に適用された訴因であり、ビルマ方面軍司令官としての責任を問うたものではない。 |
| 検察側は個人諭告において「ビルマの屠殺者」との言葉を用いたが、訴因とは直接関係の無い発言であった。 |
| また、英国との戦いでは、前任の河辺正三の方が主として行ったにもかかわらず、河辺は昭和40年、インパール作戦の指揮官第15軍司令官牟田口廉也が昭和41年まで生きたことと比較すると、彼は運が悪いという意見もあるが、上記のようにビルマ方面軍司令官として訴追・処刑されたわけではないので、河辺・牟田口との比較は意味が無い。 |
| 木村に対する11人の判事の投票は、被告全員の無罪を主張したインドのパール判事を除いた10人が有罪とし、アメリカ・イギリス・中国・フィリピン・ニュージーランド・カナダ・オランダの7人の判事が死刑賛成であり、東條・土肥原・松井・武藤・板垣と並んで、最も死刑賛成の投票が多かった(木村以外の5名も、前述の7人と同じ判事が死刑賛成に投票している)。 |
| 日本側では木村が死刑になる可能性は少ないとの意見が支配的であり、新聞記者や弁護人、他の被告の家族に至るまで、木村大将は心配は無いとの見解を可縫夫人に伝えていた。 |
| しかしながら木村自身は裁判の趣旨から非命を予想していたらしく、判決前日の面会の際に2人の子供を連れて来ず、楽観論を述べた夫人に対し、「この裁判をどう考えているのか。 |
| はじめから結論はついている裁判なんだ。 |
| そんなに甘いもんじゃない」と述べている。 |
| ちなみに、木村は東京裁判において自身による弁論を一切行わなかったため、公判記録には木村の発言は何も記録されていない。 |
| なおその後、可縫夫人は戦犯者の遺族会「白菊遺族会」の会長に就任し、戦犯者の名誉回復にあたった。 |
| 昭和23年(1948年)12月23日、判決に従い絞首刑に処せられた。 |
| 辞世の句は次のとおりであった花山信勝『平和の発見』より。 |
| 「現身はとはの平和の人柱七たび生まれ国に報いむ」。 |
| 「平和なる国の弥栄祈るかな 嬉しき便り待たん浄土に」。 |
| 「うつし世はあとひとときのわれながら 生死を越えし法のみ光り」。 |
| 東京・青山霊園内の立山墓地に眠る。 |
| 1960年に殉国七士廟、1978年靖国神社にそれぞれ合祀された。 |
年譜
| 明治41年(1908年)。 |
| 5月-陸軍士官学校卒業(20期)。 |
| 12月-少尉に昇進。 |
| 野砲兵第16連隊附。 |
| 明治44年(1911年)12月-中尉に昇進。 |
| 大正元年(1912年)。 |
| 11月-陸軍砲工学校高等科卒業。 |
| 12月-陸軍野戦砲兵射撃学校教官。 |
| 大正5年(1916年)11月-陸軍大学校卒業(28期)。 |
| 大正6年(1917年))9月-参謀本部附勤務。 |
| 大正7年(1918年)。 |
| 7月-大尉に昇進。 |
| 8月-第3師団参謀。 |
| 大正11年(1922年)。 |
| 1月-参謀本部附仰付。 |
| 5月-ドイツ駐在。 |
| 大正12年(1923年)8月-少佐に昇進。 |
| 大正14年(1925年)10月-陸軍大学校教官。 |
| 大正15年(1926年)8月-砲兵第24大隊長。 |
| 昭和3年(1928年)。 |
| 3月-中佐に昇進。 |
| 7月-砲兵監部員。 |
| 昭和4年(1929年)。 |
| 6月-陸軍野戦砲兵学校教官。 |
| 9月-軍令部員(参謀本部員との兼任)。 |
| 11月-ロンドン海軍軍縮会議随員。 |
| 昭和6年(1931年)8月1日-大佐に昇進。 |
| 野砲兵第22連隊長。 |
| 昭和7年(1932年)8月8日-技術本部員(陸軍野戦砲兵学校教官との兼任)。 |
| 昭和10年(1935年)3月15日-陸軍省整備局統制課長。 |
| 昭和11年(1936年)8月1日-少将に昇進。 |
| 昭和14年(1939年)3月9日-中将に昇進。 |
| 昭和15年(1940年)10月22日-関東軍参謀長。 |
| 昭和16年(1941年)4月10日-陸軍省陸軍次官。 |
| 昭和18年(1943年)3月11日-軍事参議官兼陸軍兵器行政本部長。 |
| 昭和19年(1944年)8月30日-ビルマ方面軍司令官。 |
| 昭和20年(1945年)5月7日-大将に昇進。 |
親族
| 父木村伊助(陸軍少佐、日露戦争で戦死)。 |
| 妻木村可縫(白菊遺族会会長)。 |
| 長男木村太郎(元日本銀行監事)。 |
| 義弟川崎輝夫(陸軍少佐)。 |
木村兵太郎を演じた人物
| 國創典(「大東亜戦争と国際裁判」、新東宝)。 |
| 加治春雄(「プライド・運命の瞬間」、東映)。 |
| 久保明(「南京の真実」)。 |
|
1940年
|
関東軍参謀長 |
|
1945年
|
イギリス軍のビルマ侵攻が開始され、ビルマの... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
木村兵太郎さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|