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本因坊秀策
本因坊秀策(ほんいんぼうしゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日)-文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士である。備後国因島(現・広島... |
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本因坊秀栄
本因坊秀栄(ほんいんぼうしゅうえい、嘉永5年9月20日(1852年11月1日)-明治40年(1907年)2月10日)は江戸時代・明治の囲碁棋士、十三世林秀栄、十七世、十... |
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本因坊算砂
安土桃山時代、江戸時代の囲碁の棋士。生国は京都。顕本法華宗寂光寺塔頭本因坊の僧で法名日海と称し、後に本因坊算砂を名乗り、江戸幕府から棒禄を受けて家... |
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安井算知
引き継ぐ者
囲碁の棋士で、家元安井家の二世安井算知。三世名人碁所。九世安井算知と区別して名人算知と呼ぶこともある。 |
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太田雄蔵
江戸時代の囲碁棋士。江戸生まれ、安井門下、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。幼名は川原卯之助、後に良輔、その後太田姓を名乗り、雄蔵とした。号は一石... |
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本因坊秀甫
本因坊秀甫(ほんいんぼうしゅうほ、天保9年(1838年)-明治19年(1886年)10月14日)は江戸時代から明治にかけての囲碁棋士。本名は村瀬秀甫(むらせしゅう... |
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本因坊秀哉
明治から昭和にかけての囲碁の棋士。東京出身。俗名は田村保寿(やすひさ)。名人。家元本因坊家の21世で、終身名人制の最後の名人。法名は日温。引退後に本... |
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本因坊道策
本因坊道策(ほんいんぼうどうさく、正保2年(1645年)-元禄15年3月26日(1702年4月22日))は江戸時代の囲碁棋士。四世本因坊、名人碁所。本因坊算悦、本因... |
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本因坊秀元
囲碁の棋士、16世・20世本因坊秀元、六段。本因坊秀和の三男で、本名は土屋百三郎。19世本因坊秀栄没後の後継者争いにおいて、一旦自らが20世襲位して田村保... |
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本因坊元丈
江戸時代の囲碁棋士で、家元本因坊家の十一世本因坊元丈、本因坊烈元門下、八段準名人。元の名は宮重楽山、法名は日真。安井知得仙知と拮抗した好敵手であり... |
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伊藤松和
江戸・明治時代の囲碁棋士。名古屋出身、本因坊元丈門下、八段準名人。幼名は松次郎。天保四傑の一人として数えられる幕末の強手で、軽妙、機知に富む碁風、... |
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井上幻庵因碩
江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の十一世井上因碩、八段準名人。井上家は代々因碩を名乗ったため、隠居後の号である幻庵を付けて幻庵因碩と呼ぶ。相続前に... |
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加藤正夫
加藤正夫(かとうまさお 1947年3月15日-2004年12月30日)は日本の囲碁棋士。号は「劔正」。同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金... |
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本因坊丈策
江戸時代の囲碁棋士で、家元本因坊家の十三世、七段上手。法名は日秀。本因坊元丈の実子で、本因坊丈和引退後に家督を継ぐが、井上幻庵因碩の名人碁所出願に... |
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武宮正樹
囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都葛飾区出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以... |
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趙治勲
囲碁のプロ棋士。韓国釜山広域市出身。日本棋院所属。血液型はB型。木谷實九段門下。棋聖8期、名人9期の他、本因坊戦10連覇の偉業により現役のうちから「25世... |
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坂田栄男
囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。本因坊戦で7連覇して本因坊栄寿と号し、二十三世本因坊の資格を持つ他、選手権制初の名人・本... |
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呉清源
囲碁の棋士。中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。本名は泉、清源は通称名。一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、現在は日本棋院名誉客員... |
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杉内雅男
囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。囲碁選手権戦優勝、本因坊戦挑戦者2回など。厳しい狙いを持つ力戦派で、囲碁に対する真摯な姿勢から... |
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依田紀基
依田紀基(よだのりもと、1966年2月11日-)は日本の囲碁のプロ棋士。北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。名人4期、碁聖6期、NHK... |
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プロフィール
- 本因坊秀和とは
- 生い立ち
- 幻庵との争碁
- 維新後
- 後継者
- 顕彰
- 参考文献
- 関連サイト
本因坊秀和(ほんいんぼうしゅうわ、文政3年(1820年)-明治6年(1873年))は、江戸時代の囲碁棋士、 本因坊家十四世本因坊秀和。伊豆国出身。幼名は 土屋俊平、後に恒太郎、秀和。 本因坊丈和門下、八段準名人。法名は日悦。囲碁四哲の一人とされ、当時周囲にも名人の力量を認められていながら、幕末の混乱のために名人就位はならなかった。実子に十五世 本因坊秀悦(長男)、十七・十九世 本因坊秀栄(次男)、十六・二十世 本因坊秀元(三男)。
生い立ち
| 伊豆国若沢郡西豆村小下田に生まれる。 |
| 文政12年(1829年)、9歳の時に本因坊丈和に入門。 |
| これは父と沼津に行った際に万屋某という12歳の少年に四子で負け、その結果に腹を立てた父親が江戸に上り、丈和のところに俊平を預けて帰った。 |
| しかし家族に猛反対されて連れて帰る旅中、前の少年に互先で打ち分けた。 |
| これに気を良くした父親は家族を説得し、今度こそ正式に門下生にしたのだという(「矢畑半助有信手記」)。 |
| その後13歳で剃髪し秀和を名乗り、15歳で三段、19歳で六段に進む。 |
| この頃は安井算知(俊哲)を相手に星打ちなど野心的な試みもしていたが、坊門の後継者と目されるようになる頃からは堅実な棋風となっていった。 |
幻庵との争碁
| 天保9年(1838年)、師の丈和が名人碁所を引退、本因坊元丈の子の丈策が家督を継ぎ、翌年に秀和が跡目となって21歳で七段に進む。 |
| この年から御城碁に出仕し、最後の御城碁まで29局を残した。 |
| またこの機に井上幻庵因碩は天保11年、名人碁所就任の願いを幕府に提出する。 |
| これに対して争碁の相手として、丈策は当主である自分でなく跡目の秀和を選び、幻庵と秀和は寺社奉行より四番の争碁を命じられる。 |
| 同年11月から行われた第1局で秀和は先で4目勝ちとし、幻庵は病もあって碁所願いを取り下げる。 |
| 続いて天保13年にも幻庵と秀和は2度対戦するが、秀和は先番で連勝し、幻庵は名人碁所断念に至った。 |
| 嘉永元年(1848年)、前年の丈策死去により、家督を継いで十四世本因坊秀和となる。 |
| 同年11月には、安田秀策を跡目に定める。 |
| 嘉永3年八段。 |
維新後
| 安政6年(1859年)、幕府に名人碁所就任願いを出す。 |
| 実力は誰もが認めるところであったが、すでに幕末の争乱期に入っており、幕府には囲碁界を省みている余裕はなく「内憂外患の多忙」を理由に却下される。 |
| この時十三世井上因碩(松本錦四郎)が異義を唱えていたが、このための争碁も行われなかった。 |
| 文久2年(1862年)、期待をかけていた跡目秀策がコレラに感染して死亡。 |
| 秀和は悲嘆の淵に沈んだと伝えられる。 |
| 新たな跡目として翌年、長子秀悦を指名。 |
| 御城碁はこの年の下打ちを最後として行われなくなり、棋士の対局機会も激減したため、秀和は研究会「三ノ日会」を組織するが、資金不足で3、4年で中断となる。 |
| 倒幕に伴い家元制度は崩壊。 |
| 明治2年(1869年)に東京府庁より、屋地引き替え、家禄減石の通達が出され、本所相生町の邸宅を借家にせざるを得なくなったが、直後にその借家から出火して邸宅が全焼、倉庫で雨露をしのぐなど苦しい生活に追い込まれた。 |
| 明治4年(1871年)には家禄奉還となり、さらに経済的に困窮した。 |
| 明治6年(1873年)死去。 |
| 秀悦が十五世本因坊となる。 |
| 秀和は名人の実力がありながら名人になれなかった元丈、知得、幻庵因碩とともに囲碁四哲と称される。 |
| また秀和とその弟子の秀策、秀甫を江戸末期の最高峰として三秀とも呼ぶ。 |
| 早打ち、性格は極めて穏やかであったとされている。 |
後継者
| 跡目としていた秀策死去の後、一門の最強者は村瀬秀甫、次いで丈和の三男中川亀三郎であったが、秀和はわずか13歳、三段の長男秀悦を再跡目に指名した。 |
| これは12世丈和の未亡人が口を挟んだためとも言われる。 |
| これに絶望した秀甫は越後方面に遊歴に出て、明治2年に中川らと六人会発足、続いて明治12年(1879年)に方円社を設立。 |
| もともと病弱であった秀悦は名門の重圧と碁界の混乱期という逆境の中で精神に変調を来たし、本因坊位は秀和の三男秀元、次いで次男秀栄と転々とし、混乱に拍車をかけた。 |
| なお本因坊秀栄もまた後継者を指名せずに亡くなり、混乱の源を作ってしまっている。 |
顕彰
| 1990年に生誕170周年を記念して、伊豆市の秀和の生家の隣にある最福寺に「秀和生誕の碑」が作られた。 |
| 「秀和生誕の地」の文字は坂田栄男の揮毫による。 |
| 最福寺内の郷土歴史資料館には秀和の展示コーナーも設置されている。 |
| 2006年に日本棋院囲碁殿堂入り。 |
参考文献
| 『棋醇』(囲碁名著選集9、池田書店、1979年;囲碁名著文庫7、池田書店 1983年)。 |
| 荒木直躬『本因坊秀和全集(全6巻)』誠文堂新光社1956-60年。 |
| 小堀啓爾『秀和日本囲碁大系14』筑摩書房1975年。 |
| 福井正明『堅塁秀和』日本棋院1995年。 |
| 福井正明「秀和遺譜」(「圍碁」誌1996年)。 |
| 相場一宏、福井正明「碁界黄金の十九世紀(第17、22、26、29回)」(「碁ワールド」誌2003年11月、04年4、7、11月号)。 |
| 福井正明『名人・名局選秀和』誠文堂新光社 2009年。 |
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1829年
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9歳の時に本因坊丈和に入門 |
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1838年
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師の丈和が名人碁所を引退、本因坊元丈の子の... |
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