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本多康政
近江膳所藩の第8代藩主。康俊系本多家宗家8代。伊勢国神戸藩主・本多忠統の九男。子は娘(飛鳥井雅威室)。官位は従五位下、下総守、将監。幼名は菊弥。初名... |
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本多康完
近江膳所藩の第11代藩主。康俊系本多家宗家11代。7代藩主・本多康桓の嫡子でのち廃嫡された本多忠薫の長男。正室は秋元永朝の娘。子に娘(戸田忠禄正室)、娘... |
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本多康敏
近江膳所藩の第6代藩主。康俊系本多家宗家6代。元禄6年(1693年)、第4代藩主・本多康慶の五男として生まれる。正徳4年(1714年)3月4日、1000俵取りの寄合と... |
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本多康伴
近江膳所藩の第9代藩主。康俊系本多家宗家9代。出羽国庄内藩主・酒井忠寄の五男。正室は本多康桓の娘(本多康政の養女)。子は本多康匡(長男)、娘(吉田良... |
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本多忠統
河内西代藩主。のち伊勢神戸藩初代藩主となる。江戸幕府の若年寄として、享保の改革期における幕政に参与した。神戸藩本多家2代。「猗蘭侯」と称し、書画や儒... |
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本多忠薫
近江膳所藩の世嗣。通称は大助。諱は康年、後に忠薫。官位は従五位下、縫殿頭、伊勢守。・正室は加藤泰衑の娘。子は本多康完(長男)、本多康禎(三男)、本... |
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本多忠永
伊勢神戸藩の第二代藩主。神戸藩本多家3代。 |
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本多忠篤
伊勢神戸藩の世嗣。神戸藩初代藩主・本多忠統の三男。正室は甘露寺尚長の娘、継室は広橋兼広の娘。子は本多忠興(長男)、娘(渡辺綱通室)。官位は従五位下... |
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小笠原信胤
越前勝山藩の第4代藩主。信嶺系小笠原家6代。正徳5年(1715年)12月18日、伊勢神戸藩の初代藩主・本多忠統の次男として生まれる。享保15年(1730年)に第3代... |
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本多忠英
大和郡山新田藩主。のち播磨山崎藩初代藩主。政信系本多家2代。 |
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牧野忠寿
親
江戸時代の大名。越後長岡藩の第4代藩主。長岡藩系牧野家宗家5代。江戸幕府奏者番。 |
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牧野忠利
江戸時代の大名。越後長岡藩の第7代藩主。長岡藩系牧野家8代。 |
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京極高備
丹後国峰山藩の第7代藩主。第6代藩主・京極高久の長男。母は木下利潔の娘。正室は土方雄端の娘、継室は本多康桓の娘。子に京極高寧(長男)、京極高聡(次男... |
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本多康匡
近江膳所藩の第10代藩主。康俊系本多家宗家10代。第9代藩主・本多康伴の長男。官位は従五位下。主膳正。幼名は政吉。明和8年(1771年)、父の死去により跡を... |
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本多康慶
近江膳所藩の第4代藩主。康俊系本多家宗家4代。正保4年(1647年)、膳所藩の第2代藩主(当時は伊勢亀山藩主)本多俊次の長男・本多康長の子として伊勢亀山で... |
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本多康禎
近江膳所藩の第12代藩主。康俊系本多家宗家12代。7代藩主本多康桓の嫡子でのち廃嫡された本多忠薫の三男。第11代藩主・本多康完の弟に当たる。正室は島津斉宣... |
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本多康将
近江膳所藩の第3代藩主。康俊系本多家宗家3代。元和8年(1622年)、膳所藩の第2代藩主(当時は三河西尾藩主)である本多俊次の次男として三河西尾で生まれる... |
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本多康穣
近江膳所藩の第14代(最後)の藩主。康俊系本多家宗家14代。 |
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本多康融
近江膳所藩の第13代藩主。康俊系本多家宗家13代。第12代藩主・本多康禎の長男。正室は島津斉興の娘。官位は従五位下、隼人正、隠岐守。弘化4年(1847年)4月1... |
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プロフィール
本多康桓(ほんだやすたけ)は、近江膳所藩の第7代藩主。康俊系本多家宗家7代。諱は実家において忠邦、膳所藩主家養子入り後に康祖、康桓。
経歴
| 正徳4年(1714年)、河内西代藩主(のち伊勢神戸藩主)本多忠統の長男として西代で生まれる。 |
| 享保13年(1728年)12月21日に従五位下・丹後守に叙位・任官される。 |
| 元文2年(1737年)4月7日に第6代藩主・本多康敏の養子となった。 |
| 4月8日に隠岐守に遷任される。 |
| 延享2年(1745年)9月1日に下総守に遷任される。 |
| 延享4年(1747年)に康敏が死去したため、家督を継いで第7代藩主となった。 |
| 宝暦10年(1760年)7月28日に隠岐守に再任される。 |
| 明和2年(1765年)1月25日、嫡子・忠薫は病弱で廃嫡したため、弟の本多康政を養子として家督を譲り隠居する。 |
| 隠居した康桓も次第に病がちになり、明和6年(1769年)6月18日に死去した。 |
異説
| 娘で越後長岡藩の牧野忠利の妻になった逸姫は「寛政重修諸家譜」を初めとする公式記録では娘となっているが、越後長岡藩の史料「御附録」では実は康桓の義兄弟の牧野忠周の実子で故あって康桓の娘ということにしたとある。 |
| 忠利の死去後に再び本多家に戻り、豊姫と改名して永井直珍と再婚した。 |
参考文献
| 済海寺遺跡調査団(団長鈴木公雄)「港区三田済海寺長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書」(1986年/東京都港区教育委員会)。 |
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1714年
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河内西代藩主(のち伊勢神戸藩主)本多忠統の... |
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1760年
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隠岐守に再任される |
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本多康桓さんについてのひとこと紹介
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