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嘉納治五郎
嘉納治五郎(かのうじごろう、万延元年10月28日(1860年12月9日)-1938年(昭和13年)5月4日)は明治から昭和にかけての柔道家、教育者である。講道館柔道の... |
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佐岡真弐(さおかしんじ、1982年11月7日-)は日本のアメリカンフットボール選手。大阪府生まれ。 |
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夏目漱石
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鍵谷幸信(かぎやゆきのぶ、1930年7月26日-1989年1月16日)は英文学者、詩人、音楽評論家。 |
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岡本成蹊
岡本成蹊(おかもとせいけい、明治38年(1905年)7月31日-1988年4月28日)は日本のイギリス文学者、法政大学名誉教授。父は薬剤師の岡本正。 |
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ヴォルフガング・イーザー
ヴォルフガング・イーザー(WolfgangIser、1926年7月22日-2007年1月24日)はドイツの文学研究者、英文学者。受容美学の提唱者。 |
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齋藤憲三
齋藤憲三(さいとうけんぞう、1898年2月11日-1970年10月31日)は実業家・政治家。TDKの創業者で衆議院議員・科学技術庁政務次官を務めた。 |
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桐野丈二郎
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日本の写真家。大阪府大阪市生野区出身。独学で写真を学ぶ。主に関西を中心に、国内及び海外の展覧会やメディアを通して作品を発表している。 |
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プロフィール
- 本田増次郎とは
- 経歴
- 本田増次郎と回春病院
- 著作物
- 参考文献
- 関連サイト
本田増次郎(ほんだますじろう、1866年1月15日(慶応2年11月29日)- 1925年11月25日)は、岡山県久米郡美咲町出身のイギリス文学者、教育家、ジャーナリスト、民間外交家。柔道3段。
経歴
| 岡山県久米郡美咲町打穴(うたの)小学校(2006年3月廃校)卒業後、医学を志し同県福渡の医師吉岡寛齋、続いて上京し愛宕下田村町の医師松岡勇記の薬局生となるが、英語を習得するため嘉納治五郎の門を叩き、弘文館で英語を、講道館で柔道を学ぶ。 |
| 1889年の嘉納外遊に際して、講道館・寄宿舎の運営一切を西郷四郎、岩波静弥と共にまかせられるが、留守中、嘉納の忌み嫌うクリスチャン(日本聖公会)になった上、不祥事に連座したことから破門され、一旦は嘉納の下を離れ米国聖公会ヘーア主教の秘書兼通訳となる。 |
| しかし、嘉納が文部省の命を受け熊本の第五高等中学校校長に赴任するに伴い同校教授に招聘される。 |
| その後は、大阪の高等英学校(新制桃山学院高等学校の前身)、高等師範学校(新制東京教育大学の前身)、東京外国語学校(新制東京外国語大学の前身)、立教女学校(立教女学院)、女子英学塾(新制津田塾大学の前身)、早稲田大学で教鞭をとり、英語教育に貢献する一方、清国留学生教育の立ち上げ、ハンナ・リデルの回春病院開設への協力、動物虐待防止会の運動などに力を注ぐ。 |
| アンナ・シューウェルの『黒馬物語』(''BlackBeauty'')の邦訳もこの動物愛護運動の一環としてなされたものである。 |
| 日露戦争を契機に平和運動を志し、つぶさに平和運動を学ぶため、1905年、単身渡米する。 |
| それは過労により悪化していた結核の転地療養も兼ねていた。 |
| 時はちょうどポーツマスで講和会議が開かれる直前に当たり、爾後、日本の立場や日本文化などを題材にした講演活動を行う傍ら、桜井忠温(ただよし)の''HumanBullets''(『肉弾』)の英訳を手がける。 |
| 講演活動は英国にも及ぶが、1909年からは、ニューヨークに居を定め、日本政府の広報誌『オリエンタル・エコノミック・レビュー』(後に『オリエンタル・レビュー』に誌名変更)の発刊に携わる。 |
| 当初は馬場恒吾と共に副編集長を務めるが、編集長の頭本元貞がジャパンタイムズの経営立て直しのため帰国した後は編集長を引き継ぐ。 |
| この出版活動と講演活動により日米の相互理解に貢献したとのことから、1911年、コネチカット州トリニティ・カレッジから名誉人文学博士号を授与された。 |
| 1913年、帰国後は、ジャパンタイムズ、ヘラルド・オブ・エイシアの編集に携わる一方、東京外国語学校へ一時出講もするが、主要な公務は外務省や宮内省にかかわる外交関連の仕事であった。 |
| パリ講和会議に際しての外遊、英国のエドワード8世(当時は王太子)や英国の新聞王ノースクリフ卿来日時の接遇役などが特筆される。 |
| 英国大使カニンガム・グリーン、ジャパン・アドバタイザーの主筆ヒュー・バイアスとも親交を結んだ。 |
| また、外国雑誌、英字新聞、英語雑誌、婦人雑誌、新聞などへの寄稿を多数行っており、特に『英語青年』に寄稿した語源に関する記事(「連想語学」連載13回、「外国語雑爼」連載15回、「語学雑爼」連載30回)は、本田独特の語り口もあって、連載を重ねた。 |
| 大正12年(1923年)の関東大震災を境に一時回復を見ていた結核が悪化、その2年後に他界した。 |
| 井岡ふでとの間に一女はながあり、作家山本有三に嫁いだ。 |
本田増次郎と回春病院
| 明治24年-26年4月の短い熊本滞在時に、ハンナ・リデルに会い、患者救済のために病院建設したいという理想に共鳴し、(日本聖公会はリデルの考えに前向きでなかった)御殿場にある神山復生病院訪問やベルツ博士の助言をえたり、外国人は土地を得ることができなかったので、リデルに代わり土地購入に協力したりしている。 |
| 回春病院の評議員として生涯協力している。 |
| 彼の娘の名、はなはハンナ・リデルから取ったといわれている。 |
| 結婚後、はなは山本の助言により華子と名前を変えているが、ハンナ・リデルの後継者のライトに悩みを相談した手紙が残っている。 |
著作物
| #本田増次郎訳『こがねと乳香(敬神知足良婦美譚)』日本聖公会出版社明治29(1896)年12月。 |
| #本田増次郎訳『こどもかたぎかたみのボタン』育成会明治34(1901)年12月。 |
| #本田増次郎訳『処世要訓』文武堂明治35(1902)年7月。 |
| #E・P・ヒューズ、本田増次郎、棚橋源太郎共訳『教授法講義』山海堂書店明治35(1902)年8月。 |
| #E・P・ヒューズ、A・C・ハーツホン、本田増次郎共著『家庭の模範』育成会明治35(1902)年12月。 |
| #A・C・ハーツホン編、本田増次郎注解''ThoughtsonEthicsSelectedfromtheWritingsofJohnRuskin''(『ラスキン倫理思想』)英学新報社明治36(1903)年1月。 |
| #本田増次郎著『犬の世界』明治36(1903)年7月(発行者も本田増次郎)。 |
| #本田増次郎訳『驪語(くろうまもがたり)』内外出版協会明治36(1903)年9月。 |
| #本田増次郎編『カーライル英雄論詳解』内外出版協会明治37(1904)年12月。 |
| #本田増次郎編『泰西女訓』内外出版協会明治38(1905)年4月。 |
| #本田増次郎編『英文詳解』内外出版協会明治38(1905)年12月。 |
| #''HUMANBULLETS:ASOLDIER’SSTORYOFPORTARTHUR''BYTADAYOSHISAKURAITRANSLATEDBYMASUJIROHONDAEDITEDBYALICEMABELBACONHOUGHTONMIFFLINCOMPANYOctober1907。 |
| #本田増次郎著『イートン学校及び其校風』内外出版協会明治43(1910)年4月。 |
参考文献
| #日本力行会編『現今名家列伝』1903年。 |
| #HONDANUMBER『英語青年』第54巻第9号、1926年。 |
| #本田増次郎氏追悼号『英語青年』第54巻第10号、1926年。 |
| #永野賢(まさる)『山本有三正伝(上)』未來社、1987年。 |
| #日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。 |
| #勝浦吉雄「語学の逸材:本田増次郎」名著普及会『名著サプリメント』第1巻第3号、1988年。 |
| #中村浩路「今よみがえる英語と人生の達人:本田増次郎(1)-(6)」『岡山商大論叢』第36巻第1号、第36巻第2号、第36巻第3号、第37巻第1号、第37巻第2号、第37巻第3号、2000-2002年。 |
| #長谷川勝政「本田増次郎自叙伝『ある日本人コスモポリタンの物語』(”TheStoryofaJapaneseCosmopolite”Astoldbyhimself)の紹介(1)-(3)」、『桃山学院年史紀要』第23号、第24号、第25号、2004-2006年。 |
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帰国後は、ジャパンタイムズ、ヘラルド・オブ... |
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